見出し画像

親におもちゃを買ってもらったと感謝する心は、どうやったら身につくか。

「うちの子が、親におもちゃを買ってもらって当然かのように思っているようだけど、
なんとか親におもちゃを買ってもらって感謝する気持ちをわかってほしい。」

なんて、以前働いていた職場にて、ある女性社員たちの近くを通った時、こんな会話が聞こえてきた。

両親共働きで、まあまあ裕福な家庭の贅沢な悩みのように聞こえてしまい、私が会話の中にむやみやたらに入ったら嫌味ばかり言ってしまいそうな気がして、会話に入らず聞いただけで終わった。

それにしても、親におもちゃを買ってもらって当然のように振る舞う感覚がイマイチわからなかった。

でも、幼少期の環境や経験したことが、お金に対する考え方にもきっと繋がっているだろうけど、いつからこういう考え方に至ったのだろうか。

自分の幼少期なんて、何でもかんでも買ってもらえなかった。
一般的に祖父母は孫には甘くて何でも買い与えてしまうか言うけど、自分の場合はそんなこともなかった。
どうしてもほしいものは、おねだりして買ってもらうこともあったけど、
買ってもらうにも条件をつけられることもあったし、そんなの買うお金ないわと言って断られることもあったし、お年玉からやりくりして買いなさいと言われたこともあった。
こういうことも積み重なり、買ってもらって当然とは思うことはなかった。

そもそも自分の周りの大人達の中で、
「壊れたらすぐに新しいのを買えばいい」という発想を持っている人が少なかった。
それを見ていたからか、そういうもんだと思って過ごしていた。
そもそも裕福な家庭ではなかったから、経済的に何でもかんでも物を買う余裕がなく、
どんなものでも大事に長く使うことが重要視されていた。
多少壊れてもお直しして使えそうなら使う。
お直ししても使えないとなった時に、新しい物を買う。

それと、周りの大人たちが必死にお金を稼ぐ姿を見ていたから。
そのお金で生活させてもらっている以上は、買ってもらったものは大事に使わなきゃいけないという意識に自然となっていき、感謝の気持ちを持つようになったか。



小学生の頃に友人の家に遊びにいったら、テレビゲームはあるし、たくさんの漫画が置いてあるし、遊び道具がいっぱいあって羨ましく思った。
でも、外で遊ぶことも楽しかったし、家でドラマや音楽番組などを見ることも楽しかったし、
他にも夢中になって遊ぶ手段はあったから、猛烈な不満や嫉妬を抱くことはなかったかもしれない。
ただ、世間の小学生の流行とは、少し異なる路線を進んでいた感はある。

「まあ、今は家族に対してあれこれ買ってもらうのが当然とお子さんが思っていても、いつかは家族へ感謝する時がやってくるだろうから、
別にそこまで心配しなくてもいいんじゃないですか?」
なんて、当時の職場の女性社員さんからコメントを求められれば、こう言っていたかもしれない。

でも、何でもかんでも子供のお望み通りに与えてもらっていたら、きっと将来はすごくワガママな人間になっているかもしれない。
知らんけど。

この記事が参加している募集

お金について考える

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!