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勝負の世界にスポーツマンシップって必要?(数多くの大会で優勝経験者が今思うこと)

1、スポーツマンシップは必要ない!

スポーツマンシップって何なのかと考えるようになったのにはある自分の経験が関係している。

自分がやっていたソフトテニスはダブルスいわゆる二人一組で争う大会がほとんどだ。

私は中学生の時、テニスの地区大会で今まで負けたことのない相手に負けた。自分のペアーは中学生から始めた初心者だった。しかし、県代表にも選ばれていた自分は負けるはずがないと思い試合に望んだ。しかし、結果は完敗だ。私は悔しさのあまりコートでラケットを投げ捨てた。

本戦にも関わらず、自分のチームの監督は県外に出張で滞在していなかった。そんなこと有り得て良いのだろか?僕は他の学校の監督や主催している学校の校長先生に呼び出され胸ぐらを掴まれ、説教を受けた。

勝たないといけない立場にいた自分は地区大会レベルの大会で勝つことは必須だった。僕は悔しさのあまり感情を抑えることができなかった。

負けることで感情をあらわにすることはそれだけ試合に勝ちたいという表れである。ラケットを投げ捨てる行為がスポーツマンシップに違反するのであれば試合で勝ちたいという気持ちを否定することになると考えられる。五教科しかできないガリ勉教師には秩序とルールしか理解できないのであろう。

2、部活の顧問は外部指導者だけにする必要がある(解決策)

オーストラリアに留学した際に学んだことがある。それは外部指導者の有用性である。オーストラリアではスポーツは単位として認められている他、指導者は外部指導者をほとんどの学校が雇っている。学校の先生はスポーツ活動に関わっていない。

指導者を外部指導者だけにすることでの利点は2つある。

1、優良なスポーツ環境

技術面での指導は競技経験である外部指導者が教師に代わってする方が良いのは一目瞭然である。今の日本では学校によってスポーツ教育面での格差は広がりつつある。特にクラブチームが存在しないソフトテニスなどの競技は尚更である。教育格差を埋める為にも全校に外部指導者を雇うことは必要なのではないだろうか。

2、選手の理解

外部指導者は技術指導の他に選手のメンタル面起用方法などの理解もできるだろう。僕が経験したように学校の先生はスポーツに打ち込んでいる生徒の理解をできる先生は少ない。なぜならスポーツに打ち込んできた先生が少ないからである。更に学校の先生は他の業務があるため、部活動に手が回らない先生もいる。そんな中、外部指導者はスポーツを真剣に取り組んできたからこそ生徒のメンタル面も理解し、指導してくれることが期待できるだろう。

3、スポーツ教育の見据える未来(まとめ) 

今のスポーツ教育において外部指導者を雇っている学校は全国的に活躍している強豪校などの僅かである。生徒の気持ちを理解し、スポーツ環境をより良いものにする為には全校の部活に外部指導者を導入することが1つの解決策になるだろう。しかし、外部指導者を雇うことは金銭的にも難しいのが現状だ。そのため多くの学生がスポーツに熱中できる環境づくりの方法をこれからもっと考えていく必要がある。

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