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27. 事実と解釈から、その先にあるものは?

これ、以前に書いて、引っ込めていたnoteなんですが、先日に書いたものと繋がるので、再投稿してみようかな?と。

それと、、、私のnoteやSNSって、受講者様が読んでくださっているので、お会いしたときに、noteの内容から会話が広がったり、情報が集まってきたりと、リアルな場と繋がっているんです。

だから、私の個人的な健忘録や日記を、こうしてここに書く意味はあるかな?と。

と言っても、「エクササイズ動画しか見ない」って方が多いんですけどね!笑

ちなみに、動画は、Instagramに!
https://www.instagram.com/hiroko.matsumoto.walking/

動画の解説は、アメブロに!
https://ameblo.jp/hiroko-matsumoto/

さて、話を戻して、ここからは、私の個人的な健忘録です!

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最近、周りの方々とよく話しているのは、事実と解釈から、その先にあるものは何か?という話しです。

事実については、ただそこに事実がある。事実は変わらないと考えています。

それをどう解釈するか?ここで、色々と問題が発生するんじゃないか?という話から、自分の体験談や世の中で見聞きすることを分析したり、それを人に伝えやすく抽象的にするとどうなるか?という実験的なことを話しています。それを、そのままここに書き残してみます。

事実には、正しい解釈と間違った解釈があります。法的にとか、学術的にとか、倫理的にとか、答えが既にある事実に対しての解釈のことです。

ところが、こういう事実でさえも、間違った解釈をして、それがまるで事実かのように話したり、SNSに書いてしまう人がいます。その人の中では理論的だったり辻褄が合っているような話振りや文章ですが、冷静に聞いたり読めば、必ず、イコールで結べない部分が見つかります。

その人の解釈の中で、イコールで結べないことを、頑なに結び付けている、、、それが問題なのです。事実に対する解釈が間違っているのですが、この解釈を守るために、他の部分で理論武装しているので、議論が成り立たないのです。法的に、学術的に、倫理的に説明したり、第三者に入ってもらったりすることで、解釈の訂正は可能なのですが、ご本人は納得しない場合が多いようです。

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また、何かの事実に対して、常識的にとか、一般的にとか、普通はと反論する方がいますが、、、その場合の事実に対しての解釈は人それぞれでいい場合が殆どです。多数決で決めれば、人数が多いものを常識的と言ったりするのかもしれませんが、人数が多ければ正しい訳でもないことを、私たちは経験から知っています。

人それぞれの解釈になる理由が幾らでもあることも、時代が進み、少しずつ私たちは触れることができるようになっています。これって、少なからずSNSのお蔭なのではないでしょうか?そうして、多数決ではない、人それぞれの解釈を尊重したり大切にすることが、今の時代の主流になっていくことを感じている方も増えているのではないでしょうか?

少数派でも、その人にとって、その解釈が自然で、その人らしい在り方や行動に繋がるのであれば、それを周りがとやかく言う筋合いはないと思うのです。

もし、自分が少数派になってしまっても、人の意見や圧力に屈して解釈を変えるようなことはしたくないし、変えないことこそが自分を大切にすることの証にもなりそうです。

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また、何かの事実を、ポジティブに解釈するか?ネガティブに解釈するか?の違いがあります。ポジティブに解釈したから良いとは限らず、また、ネガティブに解釈したからといって悪いとは限らない。

ポジティブに解釈したことからの行動がどうなったか?ネガティブに解釈したことからの行動がどうなったか?で、次に起こる事実が変わる、また、その事実をどう解釈し、どう行動し、どんな事実を生み出していきたいのか?

そうして自分の解釈によって次々と起こっていく事実は、自分の望むものなのか?が大切なような気がします。だから、解釈はどんどん変えていいと思うのです。どんどん良いものに触れてアップデートすればいいのです!

特に、過去の外的な要因で持ってしまった解釈が、自分らしさや自分の望むものを阻むなら、解釈は変えるべきだと思うのです。

親や友達に言われた、学校や部活や会社がそうだった、交際相手や結婚相手が望んでいるから、、、そんな外的な要因で持ってしまった解釈から、がんじがらめになった経験はないでしょうか?もしあるなら、自分の内側から本当に望んでいるものを受け取るための解釈へと変えて、自分を自由にしたらいいと思うのです。

それとは真逆に、自分の望むこと、強い欲望に飲み込まれてしまって、事実を自分の都合良く解釈する人がいるのも事実です。自分の望むことが、人の上に立ちたいとか、人より目立ちたいとか、人より知的に思われたいとかであれば、より厄介なのです。自分より上の立場の人、目立っている人、真に知的な人がいるという事実への解釈がおかしなものになり、恨んだり、妬んだり、腹が立ってしまうのではないでしょうか?それを、簡単に相手側へと一瞬で送ってしまえるSNSが、より厄介な事実の数々を生み出しているように思います。

SNSという仕組みが、色んな方の解釈を受けいれる豊かな土壌になったらいいのですが、より良い解釈に触れるための場として機能すればいいのですが、、、今はそれよりも、自分の都合良く解釈する人の発信の方に飲み込まれて、ダークサイドに堕ちていく人まで現れているのを見聞きし、ただただ残念に思ったりしています。

どんな悲しい事実があっても、どんなに望まない事実があっても、その解釈を、その先の自分の望むものに向けた方は、自分を成長させたり、世の中を良くしたりできるのではないかな?と、話はそんな着地点になりました。それが、事実というものに対する私の解釈です。

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長い、、、長いよ、、、読むの面倒くさいやん、、、ここまで、読んでくれた人っているのかな?

っていうか、こういうことを話したりできる周りの方々がいて良かったと思う。話したことからも、気をつけようって思えるし。

それに私は、事実を伝えるのが仕事だから、自分のことはあんまり信用してないんですよね!笑

とにかく事実を確かめるようにしている。きっと、そういう私のこと、受講者様は見ててくれているし、このnoteの内容も、「あー、らしいなぁ」って思いながら読んでくれたと思う。

読んでくれた人もいるとは思うんだけど、「動画の方しか見ない」って人が多い、、、いや、めちゃくちゃ嬉しいんだけどね!

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