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好きなことを仕事にした方がいいと言うけれど。②

最近、『暇と退屈の倫理学』という本を読んだ。
以前、わたしは好きなことを仕事にするということについてnoteを書いたことがあるのだが、今も考えは変わっていないのが分かった。
自分の思うことをもう少し出しておきたい!そう思って今、文を綴っている。


好きなこと

『暇と退屈の倫理学』は人間は退屈から逃れることはできないので、気晴らしをしながらうまく退屈と付き合っていこう、ということが書かれている。
その中で「好きなこととはなにか?」という問いにも触れていて少し引用する。

「好きなこと」という表現から、「趣味」という言葉を思いつく人も多いだろう。趣味とは何だろう?辞書によれば、趣味はそもそもは「どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方」を意味していた。これが転じて、「個人が楽しみとしている事柄」を指すようになった。

『暇と退屈の倫理学』p.22

教科書に載っているビジネスの定型は、ニーズ→商品やサービス→消費。
けれど著者は、商品やサービス←好きになる←消費、が消費社会の実態であると説いている。
準備された、用意された楽しみや快を消費しているだけで、それが本当に自分の好きなことなのか分かっている人はいかほどいるのか、なんてヒヤッとさせられる指摘だ。

正直、わたしは自分が何を好きなのが分からない。
好きなことを仕事にしたほうがいいと言われて、必死に自分の好きなことについて探求したもののしっくりこないし、何もない場所を探している感覚があった。

数あるものやコンテンツから選んでいるので好きという感情が少なからずあるのだろうが、その好きを深堀できないのは気晴らしでしかないからなのだと、この本を読んで理解した。
現に、一週間のお盆休み真っただ中だが、読みたかった本を読む以外にやることがなくて退屈だ。

好きなものにさして重要さがないと結論着くと寂しい感じもあるけれど、かなり気が楽になった。
いくら探しても自分のなかにないものを追い求めなくていいのだという感覚はずっとわたしが求めていた状態だった。

得意なこと

好きなことを仕事にしなさい、と同時に言われるのが得意なことだ。
約三年の社会人生活を経て思い至ったわたしの境地としては、他人と協力して仕事をする気さえあれば得意なことはどんな場所でも活かせる、だ。
もちろん、どうしても会わない人間がいるとか、破壊的に向いてない場合は関係ないけれど。
ある程度その環境に自分が適するのであれば、他人と協力して仕事をする気さえあれば大丈夫なのだ。

計算が苦手な人の仕事を率先してやればその人は助かる。
気持ちよく挨拶できる人は場を明るくしてくれる。
忙しい時に他の人の手が届いていない所に回れば、気が利くと感謝される。
得意なことって跳びぬけたものじゃなくて、些細なことでいいんだと思う。
だからわたしは、今後一切、跳びぬけたものを自分には求めない。

跳びぬけたものよりも目の前の人がわたしに向けている些細なサインを見逃さず感謝できる心を持っていたい。


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