見出し画像

ふたつに分かれて重なる呼吸

2016年3月16日、いままさに産まれてきたばかりの我が子は、ピンク色で、ぱんぱんにむくんでいた。お世辞にもかわいいとはいえない、細い目と大きな顔。「新生児は本当にかよわくて、自分がこのもろい命を育てていけるのか不安になる」なんて話をよく聞くけれど、我が子はずっしりと頑丈そうに見えた。

助産師さんに「抱っこしますか?」と尋ねられたものの、いきみ疲れて手がぷるぷるしていたし、羊水まみれの我が子も早く拭いてあげてほしかったので「大丈夫です」と答えた。……そして数日経ってから、自分がいわゆる“カンガルーケア”を断ったことに気づく。カンガルーケアとは、分娩直後に肌と肌を触れ合わせて赤ちゃんを抱っこすること。産まれたばかりの赤ちゃんの体温や呼吸の維持、心身の安定、母乳の分泌を促すという。「カンガルーケアしますか?」って聞いてくれたら「はい」って言ったのに!! しかも夫はそれに気づいていて「あ、さくらさん、カンガルーケア断った」と思ったらしい。言ってよ!!!

そんなわけで知らぬ間にカンガルーケアをスキップして、後産(子どもが産まれた直後に胎盤がはがれて出てくること)を終え、切り広げた会陰を縫合してもらう。このときはすでにアドレナリンが切れているからか、麻酔の注射や縫合がすごく痛かった。せっかくなので出てきた胎盤を見せてもらったら、想像以上にどっしりと大きい。小ぶりの低反発クッションみたいな感じで、実際に弾力もすごかった。初めて自分の内臓(?)を見て、触って、不思議な気持ち。私は何もないところからこんな臓器を作りだして、今日までお腹のなかで胎児を育ててきたんだなぁと、謎のタイミングで誇らしくなった。

夫と「まじで産んだね」「むくんでたね」なんてたわいもないおしゃべりをしていたら、子どもがやってきた。真っ白いバスローブみたいなおくるみを着た我が子が、ようやく私の隣に寝かされる。なんとも形容できない、さらさらとやわらかい皮膚から、ふんわり甘い匂い。まだ何も出ない乳首をくわえさせたら、ちうちうと吸った。

出産直後は、2時間ほどそのまま分娩台で休んで、様子を見る。陣痛開始だけを知らせていた実家にLINEをしたり、夫に夕食を食べさせてもらったり、駆けつけてくれた義母や義姉とおしゃべりをして過ごした。入院する病室に移ったのが19時すぎで、面会時間は20時まで。しばらくみんなで赤ちゃんを愛でたあと、最後に少し、夫と2人きりになった。

そこで初めて、というか唐突に、涙が出た。かけがえのない命に感動したとか、爆発的に愛情がわいたとかではない。いま振り返ってもはっきりとはわからないけれど、たぶん、安心したのかな。8か月間ずっと抱えていた大仕事を、無事にやりきれた。人生で一番、身体を使って何かを成し遂げた。本当に母になった。夫をもっと好きになった。心配してくれているたくさんのひとに、早く伝えたい。ドラマティックな感情の揺れではないけれど、確かに胸の奥で、ふつふつと何かがたぎっている。静かな高揚と、体に残る疲労。そして、それがなんだかうれしかった。

面会時間を30分オーバーして夫が帰ってからは、赤ちゃんと2人きり。2人部屋なので隣のベッドでは別の赤ちゃんが泣いているけれど、全然気にならない。何ヶ月ぶりかのうつぶせが気持ちよすぎる。ひたすらティーンエイジャーのような姿勢で、メールをしたり仕事をしたりしていた。両手足の筋肉痛がひどくて、お産は強い運動だと思い知った。

私のベッドのすぐ隣、ベビーコットのなかには、我が子がいる。数時間前まで私とほとんどひとつだった命が、いまはふたつ。それぞれの呼吸が重なって、静かに音を立てる。本当に私は産んだし、本当にこの子は産まれたんだな、と思う。新しい体の感覚を確かめるように、子どもはもぞもぞ、ゆっくりと手足を動かしている。

いつの間にか目を閉じた子どもは、泣くこともなく、すぅすぅと眠り続けた。なのに私はその夜、ちっとも眠れなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?