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中国神話と道教・儒教

つい先月に伊勢神宮に行った。それで、日本神話やら中国神話やらに少し興味が出て、kindleでこんな本を読んだのでアウトプットしてみる。

諸子百家について勉強してみようと思った。

  • 中国で儒家が重用されたのは、儒家同士が国を超えて同じ文字を読み書きできる集団であったため。外交官としての側面を持つ。また、隋の時代以降、科挙として学問の側面を強めていく。

    • 儒家はもともと葬儀屋の集団から発達したとされており、各種の儀式を執り行う技術も長けていたため、漢だけでなく、隋や唐でも同様に受け入れられていく。

    • 学問化した儒教が、改めて思想的側面を強めるのは宋の時代に朱カが登場したことによる。実際には、儒学・仏教・道教など、当時の中国鏡を集大成したといわれる。(道教の説く根本原理を「理」として取り込む)。同時に、道教の哲学的要素が抜き取られることになる。

  • 孔子の言葉に「怪力乱神を語らず」とあり、妖怪譚や神話性は儒教からは除かれたl

  • 上記故に、中国は神話のない国と呼ばれることもあるが、実際は道教がその側面を担うようになる。

    • 道教は各地に存在した民間信仰を、道教の神として取り込んでいく。

      • 実在性の高そうなものを「仙人」として残し、クリーチャーやモンスターを「神」として、仙人の格下に配置する。→封神演義

  • ただし、老子の思想は本来は哲学に近く、戦国時代に「国家の暴力によって若死にせず、寿命通り生きられる社会を作ろう」という思想。

    • 「不老長寿を得る」という宗教的側面はあとから生まれたもの。決定的になるのは三国志の幕開けとなる太平道。

    • 道教信者は不動(=不滅)の北斗七星が好き。老子(=太上老君)のモチーフとなる。

  • 始皇帝は国家の運営には法家を採用したが、私的には道家を好んだ。(不老長寿を望んだ。ただし道家には「国家間で距離を取る」ことが説かれているため、道家の書物は焚書対象であった)

  • 漢時代以降、官僚は公的には儒家を採るが、私的には道家を好む。庶民はそもそも道家のみ。

  • なお、道教の神話的側面は荘子による影響。荘子には現代の事象を説明する際に、過去を引用する。その際に神々も登場させたため、荘子は神と同格(=仙人)と捉えられる。

  • 中国神話が明記されるのは史記の五帝本紀。

    • 女媧は蛇身人面で人類を想像した神。各地で蛇は原初の神、または原初の神と相対するものとして語られる。

    • 女媧と伏義も、各地の洪水神話の例にもれない。

  • 史記が歴史書であれば、地理書は山海経。「普通の人が行くことのできない遠く離れた土地の動植物を紹介する」という趣のため、架空の動物が登場することになる。特にキメラ的手法が顕著。

  • 中国は歴史の正当性を示すために神話が後付で生まれる。

  • 元の時代、モンゴルに支配され、職を失った教養人(=科挙に合格した儒家)が生活の糧のために、庶民が興味を持つような書物(=道教の神々)がつくられる。

    • 明の時代に書かれた西遊記は三蔵法師がインドに経典を取りに行く話だが、その実は道教がベースに作られている。(道教の信者が、仏教徒を「西の方にいる道教信者」と考えている)

      • 実際に、中国への仏教伝来はシルクロードを行き来する商人の間に仏教徒がいた、ということ。シルクロードは前漢の武帝が匈奴を駆逐した結果、漢が支配下においた中国と西方の通商路。

  • 大和朝廷は仏教を保護していた南朝と付き合いがあったため、道教は流入してこなかった。

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