僕が職場でADHDを隠している理由(偏見も配慮も怖い)
「発達障害なら、そう言ってくれたら良いのに」と聞くたびに、心がざわつく。僕がADHDを隠して働いているからだ。
一方で職場で人事労務を担当している身としては、打ち明けてもらいたいという、企業側の立場も分かる。
それなら、どうして僕は打ち明けたくないのか。どうしたらカミングアウトしたくなるのか。
今回は、仮にカミングアウトしたときの恐怖について考えた。
※下記の記事の続きです。
注意:今回は特に、僕の憶測による意見が大半を占めます。
事実と異なるかもしれません。予めお含みおきください。
偏見の目で見られたくない
昔、職場の先輩が「精神障害の人って、怖いよね」と言ってたことがある。
その人は、全くもって嫌な人ではない。僕に仕事を教えてくれ、非常に面倒見の良い方だった。仕事もとにかくできるし、尊敬するビジネスパーソンの一人だった。
そんな人から、間接的に非難されたとき、僕は心の底からADHDであることを黙ってて得したと胸をなでおろした。
眼の前で発達障害者を批判されたことは、一度や二度ではなかった。
職場であまりに使えない人が現れると、人は決まって「あいつは発達障害ではないか?」と疑うのだ。発達障害者とは、職場で使えない奴の代名詞である。一応、活躍している当事者もいるのに、だ。
だから、僕はとてもじゃないが打ち明けられない。
「やっぱりね」という冷たい眼差しが脳裏をよぎると、口をつぐんでしまう。
また仮にカミングアウトして仕事の幅が狭まったら、キャリアアップなど、到底望めない。
「彼には、これは無理だろう」「あれもできないだろう」と、任されず、経験を積めないまま年老いることが怖い。
それなら、黙っている方がまだチャンスがある。
しかし、偏見ならまだマシだ。最悪成果でポジティブな印象に覆せる(もっとも、僕にはそんな結果は出せないけど・・・)。
それよりも、もっと恐れていることがある。
親しい人の配慮が怖い
障害者は、良くも悪くも偏見の目で見られるだろう。勿論、そのお陰で配慮してもらえることも、あるだろう。その優しさは、決して悪いことじゃない。むしろ、称賛されるべきだ。
しかし、同時に当事者と周囲は対等な関係ではなくなる。
配慮してくれる分、相手が一歩、腫れ物扱いするようになるのだから。
仮に僕がADHDだと明かしたときに、
「気づかなくて、ごめんなさい」
「これまで、頑張ってきたんだね」
と言われた日には、もういたたまれない。
職場の親しい人たちは、
もう二度と、気軽に話せなくなるだろう。
もう二度と、僕の雑談では笑ってはくれないだろう。
もう二度と、失敗談をいじってはくれないだろう。
仮に僕がハイパフォーマーであっても「障害者なのに、すごい」という評価になる。僕である前に、まず「発達障害者」というバイアスが生じる。
その慈愛に満ちた瞳を見たら、もう友達や仲の良い同僚ではいられない。相手だって、少しやり辛く感じるに違いない。
これこそ、僕の偏見だろう。間違っているかもしれない(ソースやFactも無いし)。というか、誤解であって欲しい。
ただ、僕は仲の良い人と対等な関係でいられなくなるなら、黙っていたい。
どうやったら、憶測による不安を解消できるかは、まだ分からない。対等であることを嫌う当事者の方も、いるだろう。
強いていえば、僕がカミングアウトするときは、このデメリットを甘受するしかないのかもしれない。
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