アルコール依存症と躁うつ病の父の話

人生を振り返ると、今のところ、私が高校2年~大学4年くらいまで、ああ、しんどかったなと思う。

父が躁鬱病とアルコール依存症だった。

まず、鬱病の発症。当時、母も私も知識が無くて、ただ、落ち込んでいる父だと思っていた。毎晩仕事に行った父が家に帰ってこれるか、途中で死んだりしないか心配で、仕事が終わる時間くらいになると毎日電話をかけて、ちゃんと帰ってくるんだよ、と伝えてた。

落ち込んだ時期を抜けると、今までに見たことないくらいのテンションの高い父。深夜2時に仕事着に着替え、仕事に行ってくると出かける。目はぎらつき、一晩中誰かに電話をしているときもあった。大学生だった私には、それが病気とはわからなかった。太陽光発電、車、バイク、原付を一度に購入し、貯金が10万円になったらしい。(奨学金で命拾いした。)これが躁状態だったのだ。

いいちこ(麦焼酎)が好きだった父。(決まってお湯割り)毎日酔っぱらうまでお酒を飲んでいた。何杯も。その姿が日常過ぎて、おかしいと気づかなかった。友達が一人もおらず、(同僚や上司を飲みに行くことはあったが、今も関係がある人は一人もいない。打ちながら、可哀そうで心がやや痛む。帰ったら大事にしてあげよう。娘の私だけでも。)本当に真面目だった。
優しくて、娘にあまあまで。たまに作ってくれる、玉ねぎと卵を入れて作るインスタントラーメンと、マーガリンをたっぷり乗せてからトースターで焼く食パンが大好きだった。休みの日は外で遊んでくれて、夜の寝かしつけは決まって父だった。ライブや旅行のお小遣いは、惜しみなく出してくれた。行きたい塾にも、海外の修学旅行も、私が望むものは全て投資してくれた。私が失敗しても、それを否定することは一回もなくて、次気を付けたらいいんだよ、と、前向きなことを言ってくれるのも父だった。(クレジットカードのリボ払いで46万未払いだった時も。広島行きのバスの時間を間違えて5000円無駄にした時も。母は決まって怒るのである。なのでまず、父にワンクッション挟んでからの報告であった。)実家に帰るときのお迎えが、どんなに遅くても、どんなに早朝でも、仕事の前でも、嫌なんて一言も言わず、絶対に迎えに来てくれる、そんな素敵な父だった。(打ちながら泣きそう。)だから私が親になる立場になったら、同じように愛情を注いであげたいなと思っている。(涙ぽろり)

そんな父が、今度はアルコール依存症で完全に崩れてしまった。
アルコールしか受け付けなくなる身体。食事もまともに食べられないため、どんどん瘦せ細り、私より体重が軽くなる。当時50代だった父に、今何歳?と聞くと、23歳と答える父。いろいろが重なり、実家を出て、両親と私の3人でロフト付きの1Kで生活したときもあった。仕事はもちろん行けなくなり、1か月ほど家に帰らず、どこにいるかわからない時期もあった。警察に捜索願いを出す。ある日、突然深夜2時にキャバクラのお姉さまから携帯に、父はここにいますと連絡がある。(ああ、打ちながら胸が痛む。母のことを思うと余計に痛む。)お金も苦しいので、8時間労働した後に、アルバイトをしていた母。(また、泣きそうになる。)
ある日、日中一人にさせるのが不安で、母方の両親に父を預けた。夜中に起きたり、押し入れや植木をトイレと間違えたり、何度も起きたり、そんな中で受けた就職試験。よくやったぞ私。面接だけとはいえ、さすが。
やっとの思いで、精神科に入院。当時大学4年生。部活もしていたし、バイトだけでは、十分なおこづかいは稼げず、おしゃれするの大好きだったけど、大学時代に買った服なんて数える程度で。母の服を着たりしてたな。(あ、ライブに行きすぎてお金なかったのか?wまあこの話は置いておこう。)国家試験も控えていたので、勉強の傍ら、父の面会に行き。病室でベッドのシーツのしわを、テレビのリモコンと間違える父の横で、模試の見直しをしたりして。

で、月日は経ち、間でいろいろあり、父は断酒を継続し、それなりの生活を送っています。

よく、自分を保って、ここまで大人になれたな、と感心しています今。
そして泣きそう。父も、母もしんどかっただろうなと。
知っているけど、またそう感じて。

ふと、ああ、記しておきたいな、と思ったので、初めて文章にした。
誰かに聞いてもらったり、伝えたりしたことはあったけれど。

だから、1日1日のその人の変化に敏感に生きたいと思う。崩れるの、一瞬なのを知っているから。あのとき、こうできたのに、では遅いから。
どんなに自分が追われていても、少し立ち止まって余裕を持つ自分であれるように、少し頑張って、相手を思いやる、包み込める自分で在れるように。

だから今回実家に早めに帰ったのもよかったってことか、だからこういう行動を自分は取ったのか。やっと理解できた。

追記:国家試験は無事合格し(根は真面目なのでね)、社会人になると同時に、県外に就職し、初めての一人暮らしを始めました。今まで閉じ込めていた羽を、限りなく宇宙に近いところまで伸ばした感覚でありました。そして今は、その羽を大きくゆっくり羽ばたかせながら、少しずつ、限りのない空間を風向きや温度を確かめながら、漂い、満喫している途中です。
父に対して思うことはいろいろありますが、父が私に注いでくれた、たっぷりの愛とお金を私は知っているので、私のできる範囲で、父のサポートができたらなと思いました、今。いい夜だ。





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