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国道の二人 【第3話】

国道の二人 【第1話】

「どうしようか?このまま追い越して行く?」、葉子さんが緊迫した声調にて訊く。

「それは、あまりいい選択ではないと思います」

 私はそう答え、車を完全停止したが、エンジンはそのまま止めなかった。

 トラックの運転手の意図はわからない。しかし、彼を刺激してしまうことは回避したい。

 運転手は、私達の方へ緩慢に歩いて来る。

「ピストルとか持ってないですよね」、私は葉子さんに囁く。

 囁ける相手が乗っていてくれて助かった、男が近付いて来る数秒間は、葉子さんの存在が心底有難かった。また、乗っている車が頑強なボディーのアメリカ車であることも心強く感じられる。仮にこれが軽自動車のオープンカーであったとしたら、とは想像もしたくない。

 葉子さんは、相変わらず私の腕にしっかりとしがみ付いている。

「両手には何も持っていないみたいだけど」

 最近鑑賞した映画では、悪役がジーパンの後ろのポケット、あるいはブーツの中にピストルを隠し持っていた。

 男は、私達の車の正面にて止まった。

 ヘッドライトに照らされて、初めて男の顔が露わになった。年齢範囲、30歳から50歳、顎鬚を生やしているため不詳である。白人、中肉中背、特にこれといった特徴はない。敢えて描写すれば、片目がやぶ睨み気味であった。白っぽいTシャツの半そでから伸びる腕、多少刺青があるが何を彫ってあるのかは判別出来ない。

 男はやがて葉子さんの方のドアに近付いて来た。

「ちょっと、こっちに来たわよ」、葉子さんの顔色は、暗い車内でもさらに土色に感じられた。

「ドアは絶対に開けないで下さいね」

 すぐに発車できるように、車の鍵がイグニションにささったままであることを再確認する。私は不思議と落ち着いていた。いや、落ち着いているわけではない。恐怖感は残っていたが、アドレナリン・レベルは高騰している。危険な状況になったら急発進して逃げる用意は出来ている。

 男は葉子さん側の窓から車の中を覗くと、窓を軽く叩く。

「え、やだ、どうする?どうしよう」、葉子さんは狭い座席の上で飛び上がり、上体を捻りながら焦燥している。

「とりあえず窓を数センチだけ開けてみて下さい。手が入らないぐらいの隙間を空けて」

 葉子さんは私の顔を一瞥すると、窓を注意深く2センチほど開けた。

 男は、上体を屈め、多少枯れたような声で葉子さんに訊ねた。

「Where are you guys heading to?(どこに行くんだ)」

 男の質問を受け、葉子さんは勇気を奮い起こした表情をする。

 あまり良い予感がしなかった。葉子さんの英語はお世辞にも上手いとは言えない。

「It's not your business!(貴方には関係ないでしょう)」

「葉子さん、駄目ですよ!そんな言い方をしたら逆上させてしまいます」

 逆上させてはいけない、と伝えたばかりなのに。あの人、どうせなら葉子さんではなくて私の方へ来てくれたら良かったのに、と歯がゆい思いをした。私の英語の方が数段マシなのである。

 葉子さんの剣幕に押されたのか、男は一瞬沈黙し、両肩を軽く竦めた。そのあと、葉子さんに何かを告げていた。しかし、エンジン音に遮られて、運転席の私からは男の言葉は聴き取れなかった。男はトラックの方へ緩慢に戻り始めた。

 男を引き留めなければ、そして彼が何を伝えようとしたのか訊ねなければ。

「Sir、 すみませんが戻って来てくださいませんか?」、と私は窓を大きめに開け、身体を乗り出しながら叫んだ。

 男の動きは一瞬止まったが、数秒後、方向転換し運転席の方へ歩いて来た。

 私はエンジンを止めたが鍵は差し込んだままにしておいた。黒い森は突如静寂に包まれた。再度、窓のロックを確認し、窓の開きを数センチに縮めた。

「随分失礼なことを言ってしまいました。同乗者は英語に関してはビギナーなので、時々英語の使い方を間違えてしまうのです」

 男は腰を多少屈め、窓の隙間から私を一瞥した。男の顔は、近くで観察してみても年齢不詳である。葉子さんの失言に対して激怒しているという雰囲気でもなかったが、その醸し出す雰囲気は友好的なものとは程遠いものであった。

 男は口を開いた。

「Actually, I don't give a damn(実際のところ、俺にはどうでもいいことだね)」

 男はやはり気分を多少害していたようである、少なくともそのように聞こえる、乱暴な語彙であった。

「それでも謝ります。だから、貴方が私たちを待っていた理由を教えてください」

 

 
 
 不自然な姿勢で上体を屈めていたため疲れたのか、男は一旦上体を延ばして再び運転席を覗いた。

「Alrighty then(それじゃあ言うが)、真夜中のミズーリの森の中、泥酔した中国人二人、路肩にでも嵌まったら助けが必要だろうと思って、しばらく後を付いて来てみた」

 泥酔した中国人?私達のことよね。車体が左右に揺れていたからそのように見えたのかも、きっと後ろから見たら車体がかなり揺れていたのね。

 それにしても『激突』どころか助けるつもりだったなんて。私たちは何たる勘違いをしてしまっていたの。

 葉子さんは私達の会話を不安そうに見守っていた。葉子さんの席からは男の低い声は聴き取れないであろう。

 私はひとえに葉子さんが声を発しないことを願っていた。

「ありがとう、それはとても親切な行為だわ」

 私がそう礼を述べても、男は表情を和らげることなく、葉子さんに訊ねた問いを繰り返した。

「Where are you guys heading to?(どこに行くんだ)」

「Des Moines, Iowa(アイオワ州デモイン市)」

 実際はデモイン市よりもさらに北上しなければならないが、そこまで言う必要もないであろう。

「それは残念だったな、あんた達にとっては。俺はこれから西のカンザス州へ向かうから、もうあんた達の面倒はみられない。この時刻に森の中を走る車はあんた達のほかには無いだろう。一つだけ警告しておくが、この先の急勾配は泥酔していてはとても乗り切れない」

「私たちは泥酔していません」、私は男の誤解を正そうとした。

 男は再度上体を延ばしてから、上体を屈め、懐疑的な表情にて私の顔を一瞥しながら問い掛けた。

「あんた達、そもそも何でハイウェイを走らなかったんだ?あちらのほうがよほど簡単に速く走れるはずだ」

 そのことを最初から知っていたら、当然、その選択肢を採っていた。あるいは、泥酔していたから敢えて警察に掴まりにくい国道を選んだ、と誤解をされたのかもしれない。

「国道を選んだ理由は、地図ではこちらの方がよほど近く感じられたから。そういう貴方が国道を通っている理由は?カンザス州に続くハイウェイだってあるはずでしょう?」

「I choose not to tell. Good luck, anyhow(出来れば理由は言いたくないね。
まあせいぜい頑張れよ)」

 男はそう言い捨てると、足早に自分のトラックへ戻って行く。もう私たちとは関りを持ちたくない、と、その後ろ姿が語っていた。

 私も今回は呼び止めなかった。

 疲れた。

 男のあとを付いて行って取りあえずカンザス州まで出て、そこからはハイウェイを利用しネブラスカ州へ北上し、そのあと東のアイオワ州に向かおうか、数秒間、そのような誘惑に駆られた。

 しかし、それこそ遠回りになる。今朝ルイジアナ州を出発してから、ランチと給油時以外ずっと休みなしで運転を続けている。時間を短縮するために夕食は取らずに、先程のガソリンスタンドにてポテトチップスを一袋と水を四本購入し、空腹時に取ることにしていた。

 男が、国道を通る理由を伏せていた理由も気になる。たんに説明するのが面倒であっただけかもしれないが、それほど関わりを持ちたい人間でもないかもしれない。

 腕の痙攣も引かない。

「ねえ、それで何を話してたの?」、試行錯誤の思考の中に葉子さんの声が侵入して来る。

 同時に前方のトラックからブルブルブルブルとエンジンを掛ける音が響いて来る。

 後を付いてゆくなら、こちらも今エンジンを掛けなければ、と考えつつも優柔不断であるため決心は付かない。

 その間にトラックは動き始めていた。そしてその姿は次第に小さくなってゆく。その姿がついに黒い森の中に消え去っていった瞬間、漆黒の森が『孤独』という文字を夜空に描いていているような錯覚を受けた。

「今度こそ私達はミズーリ州の国道に二人だけになってしまいましたね。あの人は、私達のことを心配してついて来てくれたそうなんです」

「えっそうなの?あの人いい人だったんだ」

 葉子さんは、すっかりと拍子抜けしたという様子でポカンと口を開ける。

 そのいい人を怒らせてしまったのはどこのどなたですか、と責めたかったが、葉子さんの反撃を躱す気力は残っていなかった。しかし今後のために一言だけは伝えておきたかった、今後があるか否かは疑問であるが。

「葉子さん、It's not your businessとか、It's none of your businessって言い回し、あんまり知らない人には使わないほうがいいと思います」

 葉子さんは肩を竦めた。

「わかったわよ。でもいい人だったなんて夢にも思わなかったから。安心したら少しお腹が空いちゃった。チップス開けるわね」

 葉子さんは、珍しく反撃もせずに了解をしてくれた。さすがに彼女も疲れていたのであろう。

 私たちは、ポテトチップスの袋に順番に手を入れ、チップスを貪った。これほどBBQ味のポテトチップスが美味しいと感じられたことはかつて無かった。

 チップスを何枚か食べたあと、葉子さんは就寝体勢に入った。

 私も特に話をする気力も残っていなかったため、今回は葉子さんにはそのまま就寝してもらうことにした。

 話し相手の代わりにラジオを付けてみる。

 ラジオから流れて来る曲はGreen Day'sの『Give Me Novacaine』であった。

  

 
 瀟洒なバイオリンの調べにてアレンジされたドラッグソング、無骨かつ親切なアメリカ人のトラックドライバー、眠る同乗者、終わりの見えない黒い森、アメリカ中西部にて真夜中のドライブ。

 これが私のアメリカ生活。

 私は車のギアをドライブのポジションに入れた。とにかくこの黒い森から抜け出さなければならない。


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