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国道の二人 【第6話】

国道の二人 【第1話】

 私と葉子さんはジャズ・バーを探しながらバーボン・ストリートを緩慢に歩いていた。葉子さんが、私の腕を軽く掴んだ。私の方が10センチほど背が高いのでその位置になるのであろう。

「まずは私の推察だけど、今晩あの人たちが姿を現さなかったのは、撮影が長引いてしまったからだと思うの。すごくあり得ることだと思わない?日本人はプライベートを仕事よりも優先したりしないでしょう、しかも初対面の学生達との食事なんて」

 私には正式な就業の経験はなく、仕事と言えば、喫茶店のアルバイトをした程度であったが、テレビドラマなどで撮影シーンを見たことがある。煩雑な撮影の真最中に抜け出してレストランに連絡をする、ということは確かに難しそうである。

「貴方の番よ。貴方の推察はどうなの?」と、葉子さんは私を指さした。

 私の推察は、葉子さんが推察ごっこを提案する前に決まっていた。

「あの人たちは、私達と別れたあと、私たちよりもずっと彼らに相応しい食事相手を見つけたのだと思います」と、私は返答した。

「貴方のことだから、どうせそんなことを考えていると思ったわよ」と、葉子さんはため息を付いた。

「そんな調子のいい人達だったら、最初から関わらなくて正解だったんじゃない?正直言って、どんな人たちかもわからないし、もしかしたらテレビ局、というのも嘘かもしれないし」

 私は若い方の男性の特徴を記憶していた。育ちの良さの滲み出るはにかみの表情。抑揚の少ない、どちらかというと低くボソボソと話す人であった。連れの年配の人も、分別をわきまえているような方であった。

「ところで貴方のことだから、ってどういうことですか?私の考えていることって何ですか?」

 私の反問は予想していなかったのであろう。葉子さんは一瞬躊躇ったようであった。

「貴方は少し卑屈っぽい傾向があるかな、って時々感じるのよ。ほんの少しだけね」

 卑屈?卑屈とはせこいという意味だろうか?そのような性質は家族にも友人も指摘されたことは無かった。

 葉子さんは足を止めた。Fritzel’s European Jazz Bar(フリッゼルズ・ヨーロピアン・ジャズ・バー)の看板の真下に着いたからであった。

 この辺の通りは、通行人が雨に濡れないように、ギャラリーという名のベランダの下を歩くのだが、そのギャラリーから大きな白い看板がぶら下がっていた。その看板の下には1969年からニューオーリンズにて創業、と記されていた。


musicians-5926935_1280_Ivan_Z (Not Fritzel’s European Jazz Bar)


 葉子さんは中に入って行こうとしたが、私は入り口で突っ立ったままであった。

「入りたくないの?」、葉子さんは怪訝そうな表情で私の顔色を窺う。

「葉子さん、私が卑屈ってどういうことですか?」、私は『卑屈』という語彙に対する拘りを捨てられないでいた。

「大体せこいのは一体誰ですか?この旅行中、レストランでずっとずっとチップを払っていたのは私じゃないですか」

 私は、ジーパンのポケットに手を突っ込んだ、オシアナ・グリルでは現金で払ったので、そのお釣りが何セントがポケットに入っていたのだ。私はそのお釣りを手に握って、通りでロックを歌っていたストリート・ミュージシャンへ突進した。白髪交じりの長髪の白人であった。エレキギターを肩から掛けながら熱唱していた。

 男は私の顔を一瞥したが、そのまま歌い続けていた。足元にはギターケースが開かれたまま置いてある。お金を投げ入れるためのものである。

 私は、手に握っていた小銭をそのケースの中に投げ込んで、葉子さんのところへ走り戻った。

「ほらね、今だって、チップを上げて来ましたよ」

 葉子さんは呆気に取られた表情で私を見つめていた。

 私自身、何故、『卑屈』という語彙にそれほど反応したのか不明であったが、怒りが治まらなかった。

 その時、背後から肩をグッと掴まれた。

 葉子さんは、短い悲鳴を上げていた。

 背後には、私がお金をあげた先程のミュージシャンが立っていた。その視線は友好的なものではなかった。彼のカサカサの掌には、私が投げ入れた小銭が乗っていた。

「I ain't a beggar, honey (俺は乞食じゃないんだよ、お嬢さん)」、と言うと、彼は私の手にその小銭を乱暴にねじり込み、通りへ戻って行った。

 葉子さんと私はしばらく言葉を失い茫然としていた。

「何故?あの人、お金が欲しいからあそこに立っているんでしょう?上げたお金が少なすぎたってこと?」、私は独り言のように呟いた。

 男のギターケースの中には、いずれによ小銭しか入っていなかった。

「さあ、でもあの人、キチンと歌を聴いてもらったうえでお金を払ってもらいたかったんじゃないの?それとあのね、貴方おそらく『卑屈』の意味を誤解していると思うわよ」

 葉子さんは、そう言うと私の手を握った。

「あの人の歌、きちんと聴きに行ってあげましょうよ。そのあとにお金を上げればいい。私も小銭ぐらいなら出せるわよ」

 葉子さんに手を引かれて、私は、再びストリート・ミュージシャンのところへ戻った。
 
 彼の周りには、多少人が集まって来ていた。彼はレッド・ツェッペリンの『Stairway to Heaven』を熱唱しているところであった。彼は私達を一瞥したが、そのまま熱唱を続けていた。周りの人達もそのリズムに合わせ身体を揺らし始めていた。

 私はその時までその歌の名前も知らなかったが、聴き覚えはあったため、おそらくオリジナルにかなり近い歌い方をしていたのであろう。彼はそのまま続けて、二曲ほど熱唱していた。いずれも漠然と覚えのある曲であった。

 私は、時々葉子さんを振り返ったが、彼女も他の観客同様、曲に合わせて身体を動かしていた。その彼女の楽しそうな表情を眺めて居たら、何故、『卑屈』という語彙に、それほど神経質になっていたのだろうと、自問せざるを得なくなった。

 三曲目の演奏が終わった時、そろそろジャズ・クラブに入ろうと促すために葉子さんを振り返った。

 しかし、

 葉子さんの姿はそこには無かった。

 葉子さんの他にも、私の背後に立っていた聴衆の半分ぐらいがいつの間にか居なくなっていた。

「葉子さん、どこ?」

 私は、周辺を歩き廻ってみたが、葉子さんの姿は見当たらなかった。葉子さんに限らずアジア人の姿はまったく見掛けなかった。

 再びミュージシャンのもとに戻り、彼の顔を凝視したら、彼も私を見返し、肩を竦めた。事情は察したのであろうが、経緯はわからない、というような表情であった。

 自身の心臓の音がバクバクと響いて来そうであった。映画『エンゼルハート』のニューオーリンズの数々のシーンが回想されてくる。いずれもあまり明るいシーンではない。

 警察に連絡するべきなのか。

 取り合えずは落ち着いて、取り乱していては警察だってまともに取り合ってはくれない、と自身に暗示を掛けてみるが、成功したとは思えない。

 そうだ、葉子さんの始めた推察ゲーム。

 葉子さんが突如消えてしまった理由とは、急に失踪しなければいけない理由とは、最悪のシナリオは、やはり誘拐。しかし、彼女を誘拐する理由は何であろうか、そのような理由など無いはず、裕福にも見えない。それでは常識的な範囲で起こり得ることとは何であろう?

「そうだ、生牡蠣!葉子さんは生牡蠣に当たったのかもしれない」

 この推察は、テレビ局の二人が現れなかった理由としての第二候補であった。夏季の生牡蠣、まったくあり得ない事ではない。だとしたら、葉子さんはどこかのトイレに駆け込んだのかしら?だとしたら、この近くのはず。そうだ!

 私はFritzel’s European Jazz Bar(フリッゼルズ・ヨーロピアン・ジャズ・バー)の中に駆け込んだ。

 中に入った途端、人、人、人の熱気に圧倒された。狭い空間に、密着して並べられた一枚木のベンチ、木のテーブル、そこに所狭しと座るバー客。そこは人種の坩堝でもあり、ジャズを愛する人たちのハブであった。奥のライブステージに集中する人々、連れと楽しそうに会話をする人々。

 私は店内をさっと見廻したが、葉子さんらしい人の姿は見あたらなかった。パステルオレンジは、暗い中でも案外目立つのだ。

 トイレはどこかと、給仕の人に訊ねるために奥の方へ進んでみた。

 バーの奥に設けられたステージでは5、6人のミュージシャンがジャズを演奏していた。曲目に聞き覚えは無かったが、私にジャズの蘊蓄は無い。こちらではほとんどが白人であった。

 サックス奏者は中折れ帽のようなものを被っており、トランペット奏者、とクラリネット奏者の間に挟まれながら、調和良く演奏をしていた。その後ろでは、コントラバス奏者が、いわゆるウィスキーボイスと呼ばれる声で、熱唱していた。そして、その横ではドラマーが気だるそうに、時々、チーンチーン、とドラムを叩いていた。

 私は、一瞬葉子さんのことを忘れ、演奏に気を取られてしまった。

「Hi there、 貴方一人?バーのカウンターなら空いてるわよ。ところで貴方何歳?」、狭い通路で私の隣をすり抜けようとした若い白人女性が話し掛けて来た。このバーで働いている人であろう。

 ルイジアナ州の飲酒年齢は21歳である。

「21歳です。でも今は人を探しているんです。15分前ぐらいに東洋人の女性が入って来ませんでしたか?パステルオレンジ色のワンピースを着ています」

 その女性は即座に首を振った。

「Sorry、今晩はアジアンのお客さんは来ていないわ」

 葉子さんはここには来ていない?

 私は、お礼を言って出口に歩き始めた。この推察は絶対に当たっていると確信していただけに、足取りは重かった。背後からはようやく聴いたことのある曲目が流れて来た。

 ルイ・アームストロング氏の『この素晴らしき世界』であった。

 次第に目頭が熱くなって来た。

 何故、こう何から何までハチャメチャになってしまうのだろう。何処で何を間違ったか。このまま葉子さんが見つかなかったら一体どうすれば良いのだろう?ここがそれほど素晴らしい世界だというのなら、誰か助けてよ。

 私はステージに向かってそう叫びたかった。




国道の二人【第7話】に続く、11月中旬予定

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