教科書には載らないディオクレティアヌス ~recycle articles 3~

帝政ローマの後期、凡庸な皇帝がころころと変わる中で、世界史の教科書にもちょっとだけ登場するディオクレティアヌス帝に興味を持ちました。塩野七生先生の『ローマ人の物語』の「ⅩⅢ 最後の努力」のディオクレティアヌス帝の治績の章を読んでつらつら考えたことを、ちょっと書いてみる次第。

ディオクレティアヌス帝<位 284~305>について、『もういちど読む山川世界史』(今は新版が出ているようです)では、次のように書かれています。

3世紀末のディオクレティアヌス帝<位 284~305>は、国土を四分し、みずからの神性を主張しながら、巨大な軍隊と官僚機構をもつオリエント的な専制支配によって帝国を再建しようとした。

シンプルですね。暗記の努力をするしかない無味乾燥な記述でしょうか。いえいえ、無味乾燥になってしまうのは、紙幅の限られた中で、最低限の記述をしようとすればこうならざるを得ないのであります。むしろ、世界のすべての歴史を凝縮した中に、90字も言葉が費やされたという事実自体に驚く方がいいでしょう。たいていの人間は、1行も出てきません。

ただ、いわゆる世界史受験必須の山川出版社『詳説世界史B』をみると、「もういちど読む」よりも、記述が細かいです。

284年に即位したディオクレティアヌス帝は帝国を東と西にわけ、それぞれを正帝と副帝の2人が統治する四帝分治制(テトラルキア)をしいて政治的秩序を回復した。また軍の兵員をふやし、徴税のしくみを新しくするなどの諸改革を断行して、分裂の危機をとりあえず回避した。さらに皇帝を神として礼拝させ、専制君主として支配したので、政治体制はこれ以降、元首制から専制君主制(ドミナトゥス)へと変化した。

私が高校生だったころ、「テトラルキア」という言葉があったかどうか忘れてしまいましたが、『ローマ人の物語 ⅩⅢ』のディオクレティアヌス帝の章も、実は、この教科書記述の順番に深められていきます。教科書に(字数の都合で)書けないのは、ディオクレティアヌス帝がどんな性格だったのかという、解釈に委ねざるを得ない部分です。

塩野先生の特徴は、歴史上の人物の批評にあります。根拠とかどうでもよく、歯切れのいいキレのある人格批評を展開してくれます。

(ローマ帝国を統治のために)二分割にしたのは、一人では解決不可能と見たがゆえの決断であった。自分には、五年という短期間で三分されていた帝国を再統合したアウレリアヌスのような、卓越した軍才はないと認識したディオクレティアヌスの、この時期の判断の的確さは賞賛に値する。ちなみに、皇帝アウレリアヌスが縦横無尽の活躍をしていた時期は、ディオクレティアヌスの二十五歳から三十歳までの時期と一致していた。この年代を学ばないで過ごしてしまった人は、一生学ばないで終わる。当時のディオクレティアヌスは無名だったが、優れた観察力の持ち主であったのだろう。

ディオクレティアヌス帝は、名前が長く覚えづらいものです。しかも、ちょっと音がいかめしいので、強そうに見えてしまいます。そんな皇帝は、自分に軍才がないことを自覚していたといいます。おお、これでもう、記憶の壁にディオクレティアヌス帝の姿がぼんやりと刻まれたではないでしょうか。そして、極めつけは、この塩野節。

皇帝アウレリアヌスが縦横無尽の活躍をしていた時期は、ディオクレティアヌスの二十五歳から三十歳までの時期と一致していた。この年代を学ばないで過ごしてしまった人は、一生学ばないで終わる。

怖い怖い。俺、学ばなかったも知れません。でも、案外こういう指摘が楽しいものです。

ディオクレティアヌス帝のパーソナリティの説明の中に、スッと挿入される歯切れのいい断定。これに共感できるかどうかは、もちろん、読み手の意識のありように左右されるので、手放しで勧められるものではないのですが、この書物全体の一つの見どころになっていることは確かです。とにかく、ディオクレティアヌス帝を暗記できない、という向きには、こうしたエピソディックな記述が役に立つし、印象も強いのではないでしょうか。

ディオクレティアヌス帝が、イマイチ評価されない点としては、ローマ的秩序から離れ、オリエント的専制へと、国家体制を移行させてしまったことにあります。そして、それに付随して起こる、キリスト教徒の弾圧ゆえです。この弾圧がなぜ起こったのかは、いかな塩野先生でも、わからないみたいです。巻末に付せられた様々な参考文献でも、そこのところは推測の域を越えないのでしょう。

ディオクレティアヌスという人物は、誰に対しても胸中の想いを明かす男ではなかった。またそれが、行動に表われるタイプでもなかったのである。だが、強靭な性格の持主でもあったから自己制御には長じており、一時的な怒りの爆発で重大な政策を断行してしまうとか、下位の者の忠言に簡単に乗ってしまうというようなことからは、最も縁遠い人物だった。それでいながら、結局は断行したのだ。

しかしながら、この大弾圧なるものも、どうも死者の数は多くはないらしいです。ただ、強制労働は多くあり、また棄教者も多くあった、ということでもあります。けれども、この棄教に関しては、柔軟に対応し、ステップを踏むことで復帰を認めるシステムがあった、ということですね。

人間世界はやはり柔軟で、かつ、いかがわしく、そして雑であってほしいと思います。首尾一貫したり、論理的に無矛盾であったり、言行一致が厳密であったりするのは、私としてはほどほどでいい。

ちなみに、人格描写よりも、統治制度の改革の詳細や、軍制・税制改革の詳細、の方が、現代社会を考える上で、比較対象になるので役に立つはずであありますが、制度変革の詳細は、それこそ関心の強い向きではないと読み切れないものです。この本でも、その部分は、史料が穴ぼこだらけなので、他の時代の記述を織り交ぜて、ふくらませています。それは仕方のないことでしょう。

なので、この『ローマ人の物語』も、英雄たちの権力闘争の叙述、人格描写、教訓のようなものからはじまり、皇帝の治績のうち、成功したもの、失敗したもの(という区別はつけにくいということを、「物語」の中では注記している)を描き、制度面に関する施策、文化面に関する施策、そして晩年の英雄描写に戻ると言う形で、飽きないように記述されています。

英雄に関する話だけが欲しいなら、最初と最後を読めば理解できるようになっているし、深く考えたい人には、行政・財政・軍政といった部分についても、記述されているので、次のステップに進む足掛かりになります。もちろん、あくまでこの物語は、「物語」であるということを前提にしてではありますが。

ディオクレティアヌスの晩年

教科書に描かれないのがディオクレティアヌスの晩年です。実は、ディオクレティアヌスは、生きて、権力を次期の4人の皇帝に委譲する形で引退しています。

後見人として権勢をふるうわけでもなく、隠居して(といってもかなりの要塞的な豪邸をつくってますが)、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した313年のミラノ勅令まで生きています。

305年のディオクレティアヌス帝の引退後、何があったかといえば、2人の正帝と2人の副帝、そして、2人の帝位希望者、合わせて6人による帝位争奪戦が行われました。この争奪戦の模様は、教科書では描かれないし、描きようがありません。なので、教科書では、ディオクレティアヌス帝→コンスタンティヌス帝と、あたかもスムーズに帝位が変更したように列記してあるのですが、実際は、帝位を分割したことによる争闘と収斂の過程があったのです。

ここの闘争の過程は面白いと思います。マンガにしたら絶対にキャラが立って面白いと思います。『キングダム』で、あれだけ想像力の翼を広げられるし、『ヒストリエ』でもあれだけ特殊な視点を用意できる日本の出版界なのですから、ディオクレティアヌス帝とコンスタンティヌス帝の間の物語を全20巻くらいで用意できないものでしょうか。それくらい、戦国時代的です。

歴史マンガは、まだまだ、掘り起こすべきポイントがたくさん眠っているように思います。

もちろん、この叙述は塩野先生らしい両論併記を敢えて省いた歯切れの良いものですので、好き嫌いは別れるとおもいますが、コンスタンティヌス帝が帝位を獲得していく模様は、血沸き肉躍るというものとなっています。

ちなみに、このディオクレティアヌス帝の晩年のエピソードは、『ローマ人の物語』ではもう、コンスタンティヌス帝の章に突入して描かれています。

あと、付記しておきたいのは、この『ローマ人の物語』、皇帝の彫像の顔が掲載されているので、なんとなく想像の幅が広がるのもよいです。

例えば、ディオクレティアヌスは、意外に小ぶりでいい男の感じがします。それに対して、コンスタンティヌス帝の父親のコンスタンティウス・クロルス帝の顔は、ちょっと髭もなくて、つるっとしています。三白眼で、頭もエリンギみたいです。でも、コンスタンティヌス帝と顔のつくりが似ていて、笑ってしまう。親子なんだなあと。この本に載っているコンスタンティウス・クロルスの顔は、ネット上では簡単には検索できないので、一見の価値ありです。

『ローマ人の物語』を読んだ上で、文庫クセジュにはいっているベルナール・レミイ『ディオクレティアヌスと四帝政治』に移行すると、理解しやすいと思います。

記述はドラマティックではなく、スタティックなので、注意深く読まないと分からなくなってしまう危険はありますが、それを読んでヤーコプ・ブルクハルトの『コンスタンティヌス大帝の時代』へ進むと、現在細かい部分は研究の進展によって更新されてはいますが、それでもドラマティックな3世紀から4世紀への権力構造の転換について、全体的な世界像として定着できるように思われます。

実際、ブルクハルトの本の前半はディオクレティアヌス帝の時代について描かれており、真のテーマは古代から中世への移行は、いかにして行われるのかという問題についての解答だといえるからです。

もちろん古代や中世という用語は人間が開発したものなので従わなくてもいいのですが、社会がAという状態からBという状態へと明らかに変容するのはいかにしてなのか、という人間的世界の「変容」について、処処のエピソードを綜合してヒストリエ=探究するという、極めて真っ当な手続きで出来上がっているので、興味深いです(たぶん学術的には古いものでしょうが)。

いわゆる「新-中世化」の議論が現実味を帯び始めているなかで、混沌へ向かい、かつ、その時代の文化状況があまり残らないような時期に生きるということは何なのか、ということを考えるために、ディオクレティアヌス帝の時代を再認識するのは悪くないのではないでしょうか。

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