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梅崎春生『幻化』

先日、私の投稿を知っている知人から、

「いやに、辛気臭い小説ばかりを取り上げるね」

と、率直な意見をいただいた。

核心を突かれたな、としばし口ごもっていると、

「まあ、それがアンタの個性というヤツだから、それも致し方あるまいが」

と、投げやりにまとめられて、その話は終了した。



「辛気臭い」という言葉の根源をたどっていくと、私の「戦後文学」趣味に突き当たる。

しかも、私小説的なおもむきのある小さな作品ばかり好む。

例えば、すぐに思いつくのは、梅崎春生の『幻化』だ。

『幻化』について書いてみたい。

文学者が「辛気臭い」自分の鬱々とした気分を書いて、売り物になった時代がある。

「戦後」だ。

どうしてそれが売れたのか。

売れないまでも評価に値する言論だとして認知されていたのか。

謎である。

ところで、「辛気臭い」というのは、彼特有の含羞を込めた表現だ。

好意的に解釈して、噛み砕いて理解すれば、《現在であれば「幻化」を含む戦後文学の内容は、商品として成り立ちにくいのではないか》ということなのかもしれない。

なぜ成り立ちにくいかと言えば、「戦争」や「戦争」に大きな傷を負った自分の内面について作家が省察するという姿勢自体が、もはやリアリティを失っているからだろう。

私の中ではリアリティを失っているわけではないが、私の周囲の人に「梅崎知ってる?」って聞いても、なんのことかわからないという事実に基づいて、社会的なリアリティを失った、としてみる。

私も含めて「戦争」を知らないし、記録を記憶に変換して、その近似的記憶で共感、不共感を問うということになっちゃうからだ。

『幻化』もまた、梅崎春生の戦時体験に裏打ちされた《私》が、そこかしこに顔を出す中編だ。

精神病院から散歩にいくような風情で鹿児島行きの飛行機に乗った五郎と、機内に5人しかいないのになぜか隣に座ってきたセールスマンの丹尾と、の中年二人連れは、戦時の記憶や、戦後の体験を振り返りながら、ゆくあてもなく桜島の火口に引き寄せられていく。

そんな話。

今だったら、おじさん二人が世紀末体験を振り返ることになるわけだけど、そんなの面白がるの俺しかいないかも。

火口に引き寄せられると言えば、池澤夏樹の『真昼のプリニウス』もそうだ。




今度は『幻化』を取り上げたいと思っている、と知人にメールをしたら、

「また、そんな、誰が読むんですか。もっと今の小説を取り上げましょうよ」

と帰ってきた。

「幻化」の登場人物の五郎は、古い言い方をすればノイローゼ気味の精神衰弱に陥っており、大学時代に読んだときにそのあたりは全く引っかかって来なかったのだが、読み返してみて、ハタと膝を打った。

最近、タイプミスも多く、横断歩道の横縞を見ていると、目がチカチカしてきて、よろめくのだ。これは、ブルーライト?老眼?何か、目の脇に虫のようなものも飛んでいる?

まるで、「幻化」の五郎そのままじゃないか。

「幻化は確かに、今の読書家が百人いたら九十九人には、面白いと映る作品じゃないかもしれない。でも、その残り一人にこそ紹介できたらいいんじゃないか」

と、おそるおそる反論したら、

「またまた。福田恒存ですか。そういうところが、なんかカッコつけてるところなんですよ。批評家気取りですか。」

と、すかさず返信が来た。



記憶を訪ねる以外に空っぽの五郎は、自分がかつて勤務していた基地があった土地に来る。

五郎の風体を気にして、土地の人は話しかけてくるのだが、そこで噛み合わない会話が続く。

先日、近所のガストに一番安いハンバーグステーキを食べにいくと、隣に5人くらいの大学生の男女が腰を下ろした。

つまらないので彼等の話に聞き耳を立てていると、その会話も思った以上に噛み合わない。

どんな意味が共有されているのかすら伺い知れず、結果、5人が5人とも独り言を述べており、それを各人が勝手に理解して、何か意味を共有している振りをしているだけのような感じがして、気味が悪かった。

五郎の会話は、それに近い。

 「こんばんは」
 五郎は道を見上げた。道には女が立っていた。軽装で、手に団扇を持っている。ちょっと涼みに出たという恰好であった。
 「こんばんは」
 五郎もあいさつを返した。女はスカートの裾を押えるようにして、斜面を降りて来た。
 「何をしているの?」
 女は人慣れた口調で言った。香料のにおいがただよった。
 「さっきから見てたんですよ。あなたはこの土地の人じゃないね」
 五郎はうなずいた。
 「遠くからやって来たんだよ。時にこの花、何という名前だったかな」
 「ダチュラ」
 女はすぐに答えた。唇には濃めに口紅を塗ってある。商売女かな、と彼は一瞬考えた。
 「原名は、エンゼルストランペット」
 「エンセルストランペット」
 五郎は花に視線を据えて、考え込む顔付きになった。入院前に読んだ旅行記、たしか北杜夫という作家の種子島紀行の一節に、
 『ダスラ(この土地ではゼンソクタバコと呼ぶ)の白い花などが目につく』
 と書いてあったと思う。
 「ダスラじゃないのかね?」
 「いいえ、ダスラ」
 五郎はまた考えていた。口の中で言ってみた。
 「エンセルズトランペット」
 「ゼンソクタバコ」
 音が似ているじゃないか。彼はもう一度、二つの音を発音してみた。たしかに舌の廻り具合が似ている。ゼンソクタバコの方が、原音から訛ったのだろう。
 「何をぶつぶつ言ってるの?」
 「いや、何でもない」
 「遠くからあんたは、何のためにやって来たのよ?」

こういうクダリが、「幻化」の中にはいくつかある。

その女との会話で、戦時中、酒に酔った深夜に、遠くにある岩まで泳ごうと企て、戦友の一人が流されて溺れて死んでしまったという出来事を思い出す。

まてよ、俺にも、そういう経験あったのではないか。

高校生の時、ブイを離れて海水浴をしていたら、沖に向かう水流に押されて、どんどん沖へ流されていったことが。

あれ、と思う時には、岸は相当遠くにあるような感じがして、慌てて、岸に向けて泳ごうとするも、なかなか近づかない。

足がふわっと震えて、死ぬかもと思った時に、岸へ向かう水流にたまたま遭遇して、難を逃れたあの一瞬を。

梅崎春生の小説には、そのような、ヴィヴィッドな描写がいくつもある。それが梅崎春生という小説家を手放せない理由なのかもしれない。

どうしてもこの土地を見たい。ずっと前から、考えていたんだ。今は失ったもの、二十年前には確かにあったもの、それを確かめたかったんだ。入院するよりも、直接ここに来ればよかった。その方が先だったかもしれない。

五郎の述懐である。

「正直なところ、あなたの個人的な記憶を読書感想文に載せるのはどうかと思うんですが」

また、そんなメールが来た。

「でも、あらすじを紹介するだけでは、何か、物足りない気がするんだ。かといって、梅崎春生について、詳しい知識があるわけではない。だとすれば、自分の体験をフックにして、この作品を紹介するしかないだろう。」

いやに早くメールを打てた。

「だから、あなたの体験の表現とやらは自己満足に過ぎる、のですよ。」

おいおい、そこまで来ると、喧嘩を売っているとしか思わんぞ。

梅崎春生が、戦時、坊の津というところに通信兵として赴いたことくらいは知っている。

その記憶を辿って、鹿児島を訪れ、『幻化』などの作品に結実したことも。

坊の津にいた震洋隊という、ある種の特攻隊について、梅崎が何も記述していないということも。

それらは、全て、講談社文芸文庫の年譜に書いてある。

同じような立場の作家に島尾敏雄がいることも知っている。

どちらも、関心から消せない。

いずれにしても、自分のいた場所に、確かに自分がいたことを確認しようとする行為は、いささか常軌を逸しているのかもしれない。

それもまた自己満足な表現だろう。

しかしなぜ、「幻化」は毎日出版文化賞なのか。



砂浜を、死のうか病院に戻ろうかと考えながら、チンドン屋の真似をして独りで踊っていて、少年に怪訝な目を向けられ、「小父さんは気違いじゃないんだ。安心しなさい」と述べる内容に、何の賞が与えられたというのだろう。

その少年に色々と案内され、挙句の果てには少年の父親に案内された温泉宿で、その少年の父親の知り合いの按摩さんに、やれお客さんは独りで踊っていたそうだね、と言われ、

「なあ。子供よ。」
 茶碗の焼酎をぐっとあおり、彼は少年の顔を思い浮かべながら呼びかけた。
 「おれたちはあの時、判り合っていたんじゃないのか。お前は独りでズクラを獲り、おれは独りで踊っていた。それだけの話じゃなかったのか」

と、焼酎をあおりながら、独り言を言う小説。

紆余曲折あり、友人の三田村に送金を頼んだ五郎は、三田村が到着する前に阿蘇に登らなければならないと思い込むようになる。

バスで火口付近まで行くと、飛行機の機内であったセールスマンの丹尾に出会う。

丹尾も、妻と子供を交通事故で失った。

それを忘れるために南九州のセールスマンになっている。

そんな丹尾と火口付近まで来る。



そういえば、阿蘇登山なら、漱石の『二百十日』だ。

それはともかく。

丹尾は山頂で、賭けを提案する。

五郎に二万円を出せという。

火口を一周して、帰って来たら五万円を差し出すという。

しかし、自殺したら、五郎が払った二万円はパアになる。

五郎は賭けに乗る。

そして、丹尾が火口を歩いている姿を展望台の望遠鏡の中で見る。

果たして、賭けはどうなったのかー



何だろうな、この小説。

面白さが上手く伝えられないのに、何度も再読してしまう。

それは個人的な感慨に過ぎず、自己満足に過ぎないのだろうか。

「いや、それがアナタの、いつまでも引きずっているこだわりなんですよね。梅崎と同じ病気なんですよ、きっと」

「うるせー莫迦」

それだけ送って、黙って、ガラケーの電源を閉じた。

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