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コーヒーを美味しく感じた時

 高校生の時からコーヒーを美味しいと思ったことは一度もなかった。お金のない学生時代は高級なエナジードリンクを継続的に買う気にはなれず、消去法で手に取る"カフェインを摂取するための手段"としてコーヒーを選んでいた。私にとっては勉強中に覚醒するための薬だったので、その不味さが逆に良かった。良薬は口に苦しとはよく言ったもので、不味ければ不味いほど覚醒していた気がする。

 はたまたス〇バのような"オシャレカフェ"にアレルギーを持っている私はなんとかフラペチーノなんて到底頼む気にはなれず、安牌にアメリカーノとかアイスコーヒーと言って心の蕁麻疹をごまかしていた。ここでもコーヒーは飲むが、積極的に選ばれたものではなく、仕方なく選ぶ選択肢の1つだった。

 そんなコーヒーの可哀そうな(自分のせいだが)立ち位置がある時変わった。考えてみれば缶コーヒーしか飲んでいなかったし、銘柄も考えたこともなかった。

 それはベトナム、ハノイの昼過ぎ。どうやら「ベトナムコーヒー」という現地独特の飲み方があると知り、勇気を出して運河沿いの小洒落たカフェに入る。どうやらコーヒーに練乳を入れて飲むのがここの流儀らしい。なんだ、マックスコーヒーじゃないかと思ったら大違いで、練乳の染み込むような重い甘さの反対側で確かに存在感を表すコーヒーの香ばしさが美味しい。ただブラックコーヒーを飲むよりもコーヒーを感じられた瞬間だった。

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ミス・サイゴン(渋谷)で飲めるベトナムコーヒー

 お土産にはコピ・ルアクを買ってみた。これまたコーヒーなのだが、100グラムで5,000円以上する高級な代物。栽培できるものではなく、ジャコウネコの糞の中の消化しきれなかったコーヒー豆から作るため希少性が高い。香りはひたすら甘いにも関わらず、味は全く甘くない不思議な感覚だった。

 そういえばエスプレッソを始めて飲んだのもベトナム、あれはたしかホイアンの朝だった。思い返してみれば私にとってのベトナムはパクチーとコーヒーの香りで充満していた

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 こうして私のコーヒーライフがゆっくりとスタートし始めた。最近では喫茶店に入ってコーヒー、いや珈琲を飲むようになった。時に珈琲そのものを嗜み、時に作業のお供に添えられたり、未だに薬としての意味を持ったりと「コーヒー」の概念が自分の中で拡大してきた。

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おくたま文庫(奥多摩)で飲めるアイリッシュコーヒー

 コーヒーを飲む場所も重要だ。そこはカフェなのか、喫茶店なのか、それとも茶房なのか。どれも似たような概念だが、言葉が違うならそれぞれに合った場所を探したい。それもコーヒーの楽しみ方の1つだなと感じ始めた。

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