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元祖サ道!! 心が「ととのう」茶道の魅力と寿司の関係性

いつもお世話になっております。私「寿司リーマン」と申します。寿司の魔力に取り憑かれてしまい、今では毎日寿司を食べています。


▼茶道に興味を持ったきっかけ

寿司にハマり、全国の名店を食べ歩くようになってから4年半。私はこれまで、ネタの産地やシャリへのこだわりなど、「寿司という食べ物」に対する興味関心を中心に楽しんでいました。常に「なぜこの寿司はこんなに美味しいのだろう?」という好奇心を持ち、大将にこだわりを聞いて、少しずつ寿司の知識を増やしています。もちろん今でもそこへの好奇心は持ち続けていますが、次第に、「食べ物としての寿司」だけでなく、「空間としての寿司屋」にも好奇心の範囲が広がってきました。

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高級店といわれる寿司屋は、空間そのものがシンプルで、どこか「わびさび」を感じるようなオーラが漂っているところが多い。目の前に置かれた寿司にとどまらず、もう少し視野を広げてみると「壁にかかっている画や生花、器も以前来た時と違うぞ」と気づきます。非常にシンプルで無駄のないカウンター。でもどこか奥深さも感じる。そんな不思議で非日常な空間そのものに目を向けてみることも、自分なりの楽しみ方のひとつとなっていきました。

「“わびさび”という言葉は確か千利休の時代。寿司屋のこのシンプルな空間は、どこか“茶室”に関係があるのではないか?」

そんな疑問が自分の頭の中に浮かびました。
寿司屋と茶室の関係性…。茶道が確立されたのは1500年代の安土桃山時代、寿司(握り寿司)が確立されたのは1800年代の江戸時代。つまり、茶道は寿司の300年先輩。ということは、

寿司(寿司屋の空間)は、茶道という日本文化の先輩から影響を受けているのではないか?

この問いについての自分なりの考えを磨くために、茶道への興味が強くなりました。


▼教養としての茶道

私は茶道のことを知りたくなり、書店に向かい、日本文化関連の書籍が並ぶ本棚を眺めました。その中で一冊の本を手に取り、読み込みました。

本を読み、一度、茶道がどんなものなのか体験してみたい。でも、毎月のお稽古に通うほどの気持ちはまだない。と思い、著者の竹田理絵さんが主催している茶道体験に申し込みました。また、著者の竹田さんご自身が元IBMでサラリーマンとして働かれていたところから、茶道の道に進まれたというキャリアにも興味を持ちました。私「寿司リーマン」もサラリーマンとして働きながら、寿司を追求しているということもあり、僭越ながら少し自分自身との共通項がありそうだなと思い、お会いしてみたいなという気持ちがあったことも、茶道体験を申し込んだ理由でした。

茶道体験は、私にとってとても勉強になり、面白かったので、以下で振り返ってみます。


▼茶道体験記

①石臼で茶葉を挽く

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茶道は、抹茶を石臼で引くところから始まります。摘まれた後に乾燥させた茶葉を少量手に取り、石臼で挽く。すると、かなり粒度が細かい粉末状になって出てきます。鼻を近づけてみると、ほんのり香ばしくてどこか落ち着くような香りをふんわりと感じました。


②蹲で身を清める

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茶室前には「蹲(つくばい)」と呼ばれる手水鉢が置かれています。茶室に入る前には、手と心を清めるという意味も込めて、この蹲で手を洗います。神社でお参りの前に「手水舎(てみずや)」で手を清めるのと似たような行為です。

③茶室に入る

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いよいよ茶室へ。茶室の入り口は、「躙口(にじりぐち)」という特有の狭い戸になっています。約60cm四方という狭さで、身を屈めないと入れません。この躙口を茶室に取り入れたのが、千利休。

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千利休が生きた戦国時代は、主従関係が強い時代でした。しかし茶室の中ではすべての人が平等ということを示すため、どんなに身分が高い人でも、刀を外し頭を下げなくては茶室に入ることができないのです。千利休の哲学、面白い。


中に入ってみると、4畳半の空間が広がっています。「意外と広い」という感覚でした。

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ほんのりと薄暗い空間で、躙口を入った正面には立派な掛け軸と生花が飾られ、お香が焚かれていました。だいたい月に一回、季節やお客さんに合わせて、ホスト(先生)がもてなしの想いをもって、変えているそうです。現実世界とはかけ離れた4畳半のシンプルな「設え(しつらえ)」。緊張感もありながら、リラックス感もある。この空間は、寿司屋のカウンターとどこか似ているなと思いながら先生の解説を聞きました。ちなみに、千利休が完成させた茶室「待庵」はなんと2畳という狭さだったとのことでびっくりです。


③お茶菓子をいただく

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目の前に、そっと和菓子が提供されました。お茶をより一層味わうために、季節の和菓子を先にいただく流れとのこと。この日は「桜」をイメージした和菓子でした。中にはあんこが入っていて、結構甘めの味わい。なるほど、たしかにお茶を飲みたくなる口内に自然となっていました。


④お茶をいただく

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竹田先生がお茶を点ててくださいます。ひとつひとつの美しい所作から目が離せません。所作は違えど、寿司屋の大将がネタを切ったり、握ったりする所作を彷彿とさせる美しい所作。一挙手一投足、目が離せません。

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そして、目の前に運ばれたお茶。まろやかな緑色の茶が、京都の桜を表したデザインの茶器に映えます。まずは右手で器を持ち、左手の手のひらに乗せます。そして、正面のデザインが自分の反対側にくるように右手で茶器を時計回りに2回回してから、ゆっくりといただきます。

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ふわっとした丸みのある香りと程よい苦味が心地よく、心が温まるような味わい。和菓子の甘みがほんのり残った状態でいただくお茶は、絶妙なおいしさ。寿司に例えるならば、大トロのあとにコハダを食べるような感覚で、ストーリー性を感じました。お茶の味わいと、茶室全体の空間のオーラが組み合わさり、肩の力がすっと抜けて落ち着く感覚。まさに「ととのった」感覚でした。

現代では、心とカラダを整えられるからという理由でサウナが流行っていて、巷では「サ道(さどう)」などと呼ばれていますが、茶道こそ、元祖「サ道」といえるでしょう。


▼茶道の魅力まとめ

一通り茶道を体験したあとは、竹田先生と談笑。会話をしていて印象に残ったことは以下です。

【茶道は日本文化のプラットホーム】

茶道は、いたるところに日本人らしさ、日本文化らしさが詰まっています。お茶を点てて楽しむだけでなく、床の間の設えには、書道や華道の要素も含まれます。器もかなり奥が深いですし、禅的な要素もある。そうしたあらゆる「道」が、「わびさび」というシンプルな世界観の中に盛り込まれています。いわば、日本人精神の結晶ともいえる文化です。

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「寿司への興味から派生して茶道に触れるような寿司リーマンさんもいれば、茶道への興味から華道や書道や器についてもっと深く知りたいという人もいる。茶道は日本文化、日本人らしさが詰まった究極の総合芸術です。」という竹田先生のお言葉。私はそれを聞いて、茶道は「日本文化のプラットホーム的コンテンツ」だと感じました。


【社交場としての茶道】

茶道は、禅のようなマインドフルネスな空間で自分の心を整えることができます。と同時に、人と人がコミュニケーションを取り合う「社交場」としての要素もあるなと感じました。

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定期的に行われる「茶会」では、お茶を提供する「つくり手」と、お茶をいただく「受け手」がいないと成立しません。4畳半の狭くもどこか広く感じる「無」「空」な空間の中で、もてなす側ともてなされる側が、茶という媒介を通して心を通わす。心と心が通う、暗黙のコミュニケーションが展開される特有の空間「茶室」は、いわば社交場。大将(もてなす側)とお客さんたち(もてなされる側)がフラットなカウンター空間で寿司という媒介を通してコミュニケーションを繰り広げる寿司屋も、まさに社交場。私の持論との共通点に、感銘を受けました。

当時の千利休も、織田信長をはじめ各界のVIPたちを茶室でもてなし、フィクサーとして当時の政治に大きく関わっていたというのも納得です。


...寿司への好奇心が転じ、ほんの少しだけですが茶道を体験してみて、日本文化の面白さ、奥深さを改めて感じました。
茶道は日本文化のプラットホーム。寿司との共通項も多く、これから寿司屋での視点が寄り一層深くなる気がしました。



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