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服とわたしの事件簿

インスタのおすすめでたまに流れてくる飼い主のおじいちゃんとめちゃくちゃ規格外のデカい犬(ゴールデンとかラブラドールとかの比じゃないやつ)のやり取りの動画を見ると、「かわいい〜!」とか、「癒される〜!」とかゆう感情以前に、とことん「犬、でっか!!いやいや、これはでかすぎる、じいちゃんほんで小さすぎ」と思ってしまう。ボケしろならぬ、ツッコミしろ?みたいなものをナチュラルに探してる。たぶんモテへん。

この間、今季購入したKUROのダメージスウェットを初めて着た日。会社の先輩と社内のみんなが行きつけの定食屋に行ったらホールのおばちゃんに「それはボロボロの状態で売ってる服なん??ボロボロやから、ちょっと安くはなってるんか?それにしても、ほんまにえらいボロボロやんかあ」と話しかけられた。「これ普通に売ってるんです、定価で買いました」そう答えても、おばちゃんは全く納得出来ていないようだった。確かにめちゃくちゃボロボロ(あくまでもデザイン!)やから、世の中の大半のひとがそう思ってるかもしれんなと思った。知らぬ間におばちゃんの魔力にかかってしまい、帰りの電車の中では「この子なんでこんなボロボロの服着てるんや」の視線を意識せずにはいられなかった。魔力は封じねば!

2日後、社長がお昼から帰ってて、「社長のところの女の子がえらいボロボロの服着てたで、わたしびっくりしたんよ〜」と定食屋のおばちゃんに言われたらしい。おばちゃん、よっぽど衝撃的やったんやろな。

全体的にこんな感じで破れてるスウェット&古着屋でゲトったジャンスポのビックキャンパス


自分がアパレルにいて思うことは、自分の感覚と普通のひとの感覚が違うことだ。世の中のひとでめっちゃ服が好きなひとは少ない(ように思う!)大抵のひとが、衣食住で衣の優先順位が1番低い。わたしは服飾専門学校に通っていて、そのあとアパレルの販売を長い間していた。友達も仕事の同僚も先輩も後輩も、みーんな服が好きで、服にお金を惜しまないひとたちばかりに囲まれていたし、そんな中で生きているのでそれが普通だと思っていた。世の中ってどうやらそんなことはないみたい。わたしは服が好きなひとの集まりの中で生きていたのだなと実感せざるを得ない。


思えばわたしは小さい頃からお母さんに服の英才教育を受けていたのかもしれない。小さい時から近所のスーパーで売ってるような服とか、その時代に流行っている旬のキャラクターものの服なんて(わたしの時代でいうとセーラームーンとか!)一切着ていなかったし、着さしてもらえなかった。どうやら、母の美学に反したみたい。でも私自身、もはや着たいとも思ってなかった。キャラクターものは物心ついた3歳頃から自分でコーディネートを組んでいたし(写真に残ってる)、これを着たい、これは着たくないの意思表示は早かったように思う。小3の時、白シャツにグレーのスウェットを重ねて、ボトムはチャコールグレーのショートパンツで、全身グレーコーデがお気に入りだった。中学1年の時は、せがんでお母さんにコンバースのレザーのワンスターを買ってもらった。お気に入りの靴をはくと、こんなにも気分が弾むことを知った。中学2年の時に白のオーバーオールで全身白コーデで隣町のショッピングセンターへ出掛ける予定だった。友達と自転車で駅まで行く途中に、神社のドブに自転車ごと落ちて、真っ白のオーバーオールが真っ黒になってことがある。大変なことになったと思った友達は坂の上のわたしの家に行き、「あーやんが!あーやんが!!」と言いながら、家族に訴えかけたらしい。稲刈りの真っ最中だった父は軽トラでわたしの元に飛んで駆けつけてきてくれた。神社のわりと深めのドブで自転車とともにダイブしたのに、どこもケガをしてなくて大人たちと友達は安堵していたけれど、わたしそんなことより、とりあえずおろしたばかりのオーバーオールが真っ黒になったことが悲しくて仕方なかったのを覚えている。

服とわたし。時代、時代で、それぞれの思い出があるから面白い。たぶん思い出せばまだまだあるんだけど、思い出したらまたここに残そう。

またこの雨が上がれば、グッと寒くなるだろうな。冬、本格到来だね〜。


雨の音はわりと好きだ。
空気は少し重ためだからお香を焚くと落ち着く。

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