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さいきん

メンタルについての記事を綴るあいだに、『人に寄りかかられる』『依存される』という昔の悩みについてなんとなく考えて過ごしていたのですが、最近はあまりそういったことに振り回されず済んでいる気がします。

まだすこし、しんどくなるような人間関係も残っているんだけど、それは、、生きてたら、そういうこともあるのかなと思う。考えたことを羅列していくので、誰かの心のどこかに残ればいいなぁ。

わたしが、依存されること にあまり悩みを持たなくなったのは、自分が人との距離のはかりかたを身につけられてきたからだと思う。依存されることを優しさで許してしまうような、悪い意味で、わたしはお人好しな人間だった。

基本的に、優しく、あまり咎めずに人の話を聞ける。だから、この人になら話してもいいかな とか、この人になら内側に入ってこられても不快じゃないな とか、私に対して安心感を抱いてくれる人がいるのだと思う。それは決して悪いことではなくて、誰かにとっての安心できる居場所になれることは、素直に嬉しいと思う部分もある。

ただ、重いことを重いな〜〜〜〜!って言えるようになるまでには、私はすごく長い時間をかけた。わたしが背負わなくていいことまで、背負ってくれないかな、一緒に持ってほしいな、と試しに背中に載っけてくる人が、わたしの周りにはよく現れるのだけれど、それを『いや、重い重い。そこまでは無理!ごめん!』って、正直に言えるようになってきた。

得てして、安心できる居場所を求めている人は、わたしと同じくらい繊細な人や、傷つきやすい人や優しい人だ。だから、周りに気を許せる対象や、依存先が少ないのだと思う。そこにわたしみたいなのが現れたら、あ、この人になら一緒に持ってもらえるかもしれない って思うのは、別に何らおかしいことではない。

だけど、わたしは、誰かのものを一緒に持つことができる余裕はない。話を聞く とか、相談に乗る ってことは、誰かの重荷をなんとかしてあげられるような行為ではないと思う。言ってしまえば気休めだと思う。だけど、休憩っていうのは必要で、気休めは無意味ではなく『休みをつくる』意味のある行為と思う。

そういう、気休めをくれる人をたくさんつくっておく っていうことが、『依存先を増やす』なのかなと思う。わたしは悩み相談 という行動にあまり意味を見出していなくて、問題解決を他人に委ねても、だいたい自分の状況や感情まで加味した答えは自分が出すしかないので、提示してもらった解決方法自体がちゃんと解決に役だった経験は、、、ない。1回もないと言い切って良いと思う。

わたしが悩み相談をするときに、相手に対して求めていることは、一緒に考えてくれるということや、時間や気持ちを共有してくれる ということだ。それで気が楽になるから相談する。よく、女性は共感を求め、男性は問題の具体的な解決方法を求める というけれど、わたしはあまり先の意見に肯定的ではない。具体的な解決方法を求めて、提示されて、その通りにしたらうまく行きました、なんて、人生があまりにイージーモードすぎると思うから。

うまく行きました、ということがあっても、たぶん気休めの域を出てないと思う。一度うまく行っても、そのあとで後退したり、予想もしなかった不具合が起きたりして、結局はトライアンドエラーだと思う。そこに男女の性差はないと思う。ただ、わたしは心身ともに女性なので、脳科学的な検証や実験を通して得られた結果を提示されたら、普通にごめん って謝るしかないけど。そのくらい浅い個人的な話の範疇と思って聞いてください。

解決方法を提示すること自体が無意味とは思っていないんですよ。いくつか有用な手段の欠片を拾わせてもらうことはできるし、自分が解決方法を導き出すときに、それがヒントになることはたくさんあるから。でも答え自体になることは多分なくて、相手に答えそのものを求めることも、自分が出した答えで相手の全てが解決すると思っちゃうことも、よろしくないなあって思うわけです。

以前は、誰かの載っけてくる重さに対して『重い』って思うこと自体ができなくて、自分を信頼して とか、この人になら とか、そういう気持ちで持ってこられるものを、無碍にするのは失礼かな と思っていたので断れずにいました。今はどれだけ好きな相手にでも、重すぎる荷物をよいしょ って持ってこられたら、ある程度断れるようになってきました。

だからこそなのか、人に対して、人間関係に対して、怯えることも以前より少ないです。必要以上に寄りかかられたらどうしよう、ではなく、嫌なときは嫌って言えばいいから、自分の裁量でちゃんと人との距離をコントロールできると思うからです。

この数日?すこしだけ難しくなってきちゃって、重たい関係性を持ったままごはん誘われてたりすることも ままあるのですが、そのへんは言語化できるようになったらまた改めて書こうと思っています。

でも1回ご飯行ったらその人の人生ぜんぶ貰わなきゃいけない わけじゃないからね。長い目でみながら、何度か試行錯誤(といったら言い方が悪いのかなあ)しながら、自分や相手にとって心地いい距離感を掴んでいきたいと思う。

そんな感じー。
読んでくださってありがとうございました!

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