父方の祖父の追想記(#おじいちゃんおばあちゃんへ)

先月、両親と母方の祖父母と5人で食事をした。
そうやって、今でも母方の祖父母にはとても良くしてもらっている。

一方、父方の祖父母はもう亡くなっている。
祖母は私の生まれるずっと前に、祖父は10年ほど前、私が高校生の頃。

#おじいちゃんおばあちゃんへ
noteのこのハッシュタグを見て、父方の祖父のことを思い出した。

祖父は声が出なかったので、私は祖父の声を聞いたことがない。
生まれつきなのか、何か経緯があってなのかもわからない。
両親に経緯を聞くことがないまま今日まで来てしまった。

私が小さいころ、声が出なかった祖父とのコミュニケーションはいつもFAXだった。私から報告せずとも、入学式や卒業式、学年が変わった時、それだけでなく頻繁に私の成長を喜ぶ内容のFAXをくれた。

そして身体が弱く、頻繁に熱を出して幼稚園や学校を休んでいた私に野菜ジュースをくれたこともあった。

申し訳ないことに野菜も嫌いでほとんど飲めなかったけど、紫の野菜ジュースだけは飲めて今でも私のお気に入りだ。これも祖父のおかげである。

祖母に先立たれた後、祖父はずっと一人暮らしで家事もこなしていた。
両親は、「よく妻に先立たれた人はすぐに後を追うように亡くなるっていうけど、おじいちゃんは家事をこなしてるのが長生きの秘訣なのかもね」と言っていた。

実際、祖母が亡くなって20年くらい健在だったからあながち間違っていないのかもしれない。

1年に2度、夏休みと冬休みは祖父の家に遊びに行っていた。
その時にはよく、いとこ(父のきょうだいの子ども)やその両親(父のきょうだいと配偶者)も来ており、かなりの大所帯で過ごしたのを覚えている。

でも、人見知りの私は祖父にもいとこにも自分から話しかけず、置物のように動かず時が過ぎるのを待っていた。もし今だったら、仕事のことや昔の思い出を気軽に話せていたのだろうか。

親戚皆での集合写真も嫌だったっけ。結局母に捕まって撮ったんだけど。

祖父は長男だった。親戚が大所帯で集まる時は大抵祖父が手配をし、皆を集めていた。頑固な一面もあったけど、孫の私には優しい「太陽」のような存在だった。そんな小学生のころの記憶。

私が高校に上がった頃から、親戚での集まりも少なくなった。
祖父も80歳を超え、親戚皆を集めるには負担な年齢になったからだと思う。

それから間もなく、祖父が体調を崩してしまった。その頃から両親がよく家事の手伝いに行っていた。

私も高校1年のお正月に挨拶がてら祖父の家に行ったが、その時、昔の祖父の記憶が根底から覆された。ふくよかだった身体はやせ細り、目に力がないように感じ、私は言葉が出なかった。

祖父は徐に小さなメモ用紙とペンを取り、「学校生活を頑張っているようで何よりです」と書いて渡してくれた。今でもそのメモ用紙は実家で大切に取っている。

その他にどんなやりとりがあったかは覚えていない。でも、部屋にラジオがかかっていたこと、相変わらず私は入り口側に置物のように静かに座っていたことは覚えている。

その年の秋、祖父が危篤だという電話が自宅に入り、翌日息を引き取った。結局高校卒業の報告も、大学進学の報告も、成人の報告も、就職の報告もできなかった。

私は、ライフステージの中で大切な報告を何1つ自分でできなかったんだ。

お葬式に参列したとき、母に「棺を見てみて」と促された。
見に行ってみると、あの時親戚皆で撮った集合写真があった。
お空で寂しくないようにということか、参列者の誰かが入れたらしい。
そこにはまだ小さかった置物の私も写っていた。

そこで過去の色々な出来事を回顧した。


それから年数が経ち今から2年前くらい、社会人になり実家を出て数年が経った頃。両親から実家の私物の整理をしてほしいと連絡があり、年末早めに帰省をした。

自室だった部屋にある引き出しを開けたら私物がたくさん入っていた(入れたままにしてあった)。その中に、高校1年のお正月、祖父の家に行った際にメッセージを書いてくれたメモ用紙も混じっていた。

「懐かしいなあ」と思っていたら、もう1枚祖父から届いたはがきが出てきた。秋に亡くなった祖父が自身の死を見越し、数か月後に控える正月に届くよう準備していた年賀状だった。

そのような抜かりない祖父(自身の葬儀の段取りまで生前に自分で決めていたし)に、年賀状が届いた高校生当時と同様脱帽しながら、中身を再度読むことにした。そこには一言、

「受験勉強頑張ってください。風邪ひかぬように」

と書かれていた。そういえば、そう書かれていたなあ。

自身の命が直ぐに絶えることを見越していた祖父が、ここに来てもなお身体の弱い私の体調を心配してくれている事実に、高校生当時以上に心を打たれ、無意識に涙が溢れていた。

そして社会人になっても体力はつかず、苦労することばかりの情けない自分に目を向け、祖父不孝で申し訳ないなあとも思った。

祖父不孝ついでに今、こう付け足す。
「おじいちゃんへ、しばらくは何とか生きてみます。」






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