tomtom

自分のために書いてます/下位2割のアリです

tomtom

自分のために書いてます/下位2割のアリです

最近の記事

去年の今頃はお別れのカウントダウン期

3月は、卒業や異動での別れの季節。 現職は年単位での定期異動がないので、別れの季節とは無縁になってしまった。 ただ、去年の今頃、前職にいたときは定期異動のシステムがあった。 そして自分も異動対象で、2月末日に社外出向から戻るよう辞令が出ていた。 あらかじめ出向の任期は言われていたので心の準備はできていたとはいえ、寂しい気持ちは拭えなかった。最低あと1年、帰らないでいたかったな。 引継ぎ資料を作成し、後任の挨拶に同席し、周りから「もうすぐ異動だね」と声を掛けられ、ゆっくり

    • わたしと「ごみ物語」(テレ朝)

      つい先日、次年度のバラバラ大作戦(テレ朝)のラインナップが発表され、「ごみ物語」が終わることを知った。 2023年4月から約1年放送された同番組は、マシンガンズ滝沢さんをはじめ、さらば青春の光の森田さん、ピン芸人の岡野陽一さんという、事務所も芸歴も芸風も違う(漫才師、コント師、ピン芸人だし)3人が、街中に落ちているゴミを拾いながら妄想する新感覚バラエティ番組だ。 バラバラ大作戦は1番組が大体1~2年で終わるので、いつ終わってもおかしくないのだが、少し残念だった。 The

      • やっとまともな思考回路に戻った

        あの時はどうかしていた。やはり追い詰められたときに大事な決断をしない方がいい。 ゆっくりこの先の人生を考えたとは言わないけど、最悪な選択はしないで済んだのではないかと思う。 無能な人間にとっての「向いている」とは、事務遂行を円滑にできることではない。その分野で勉強し続けられるかどうかだと気付かせてくれたドラマがある。休職中にたまたま見ていたドラマの再放送。 昔からずっと、大事なことはすべて、テレビが教えてくれた。

        • 趣味がないことに苦しんだ日々

          1.先日「趣味、あったかも!」と気づいた 先日、用事があり電車数駅分を徒歩で移動した。歩いていると色々なことを考える。その99.99%は何の生産性もないことだが。 その日考えたことは「ここまで来たら、1人カラオケを趣味に入れても誰かに咎められないかもしれない」ということ。 「ここまで来たら」というのは「毎月1~2回は必ずカラオケに行く日々を数年続けているから、それはもう趣味認定してもいいよね」という意味。 実は私、音楽に全く興味がない。未だに有名な曲も暫く経ってから

        去年の今頃はお別れのカウントダウン期

          あいみょんさん、私に遅い青春をくれた方。

          1.音楽というものを知らない幼少期から10代のころ クラシック、J-POP、洋楽・・・ 10代半ばまで、音楽に全く興味がなかった。 学校でも流行りの音楽やアーティストにも全く興味を示さず、音楽番組を見たことさえなかったので、クラスメイトとの会話が弾まなかった。 小学生のころ、修学旅行のバスで流したい曲のアンケートが配られたとき、この世の終わりかと思うくらい回答に困った記憶もある。 2.或るドラマが目に入った~1度目の衝撃~ 大学生のころ、何となくネットサーフィンを

          あいみょんさん、私に遅い青春をくれた方。

          【博物館】国立西洋美術館のドキュメンタリー映画

          先日、渋谷のイメージフォーラムに映画「わたしたちの国立西洋美術館」を観に行った。映画を見るのは2年ぶり、その前は6年前。そんなわけで滅多に映画を観ないのだが、思い立って観に行くことにした。 以下、ネタバレ含みます。 1.前回・初回記事 前回記事(おやすみ中💤) 初回記事 2.この映画を観に行くきっかけ 観に行くことにしたきっかけは、日経新聞で国立西洋美術館に関するドキュメンタリー映画があるという文化面の記事を目にしたからだ。映画の概要は、以下新聞記事に端的にまとめ

          【博物館】国立西洋美術館のドキュメンタリー映画

          はじめてのおつかい('23夏)

          7月17日(月)に放送されていたはじめてのおつかいを見た。 今回放送の感想 20年ちょっと前に放送されたものの再放送、千葉の男の子(4歳)とそのお友達の女の子(5歳)のおつかいも放送されていた。 小さい子どもながら甘酸っぱい青春も感じさせられ、最後はそれぞれのお母さんのもとへ泣きながら駆け寄っていて、さすがに感動してしまった。 2人の現在の様子も紹介されていた。2人とも夢を叶えていた。 ちょうど人生がうまくいってない同世代の私は、少し背中を押してもらえたような気がした

          はじめてのおつかい('23夏)

          【博物館】行くようになったきっかけ

          1.はじめに 私は、大学時代に博物館学芸員課程を履修していた。全課程を履修したので、学芸員資格を持っている。ただ、学芸員になるためには一般的に大学の学部だけではだめで、大学院に進学しなければならない。法律で決まってるわけではないけど。 しかも、大学院を修了したからと言って、すぐに博物館での学芸員の仕事にありつけるわけでもない。博物館がいつでも人員募集をかけているわけではないから。学芸員は、すごく優秀で運も持ち合わせている一部の選ばれし方々しかなることができない。 2.

          【博物館】行くようになったきっかけ

          父方の祖父の追想記(#おじいちゃんおばあちゃんへ)

          先月、両親と母方の祖父母と5人で食事をした。 そうやって、今でも母方の祖父母にはとても良くしてもらっている。 一方、父方の祖父母はもう亡くなっている。 祖母は私の生まれるずっと前に、祖父は10年ほど前、私が高校生の頃。 #おじいちゃんおばあちゃんへ noteのこのハッシュタグを見て、父方の祖父のことを思い出した。 祖父は声が出なかったので、私は祖父の声を聞いたことがない。 生まれつきなのか、何か経緯があってなのかもわからない。 両親に経緯を聞くことがないまま今日まで来て

          父方の祖父の追想記(#おじいちゃんおばあちゃんへ)

          語りつくされた左利きあるあるを語る春

          私は左利きだ。 幼少期はクラスメイトからよく「左利きなんだね!」と言われていた。 子どもは珍しいものに対して反応する生き物だから。 大人になった今ではほとんど言われなくなったけど、先日何年ぶりかに「左利きなんだ!」と言われた。 懐かしいと同時に、珍しがられることへの優越感以外、左利きにメリットなんて全くないんだ、という気持ちが久しぶりに蘇った。 ①書道はへたくそ 書道の筆は右手で書けるような仕組みになっているから不便だ。というか文字自体が右利き仕様にできているから、左利

          語りつくされた左利きあるあるを語る春

          私はいつだってサヨナラを考えた、その前の日に戻ってきてしまう。

          私はヘタレである。少しのことで嫌気がさし、嫌気がさしたことに嫌気がさす。自分が弱い、使い物にならない人間であることに嫌気がさす。 生きる気力を失い、多くのことが手につかなくなったことが4度ある。 そのうち、本気で命を絶とうと準備したことは、1度。 その1度は、至極しょうもない理由。 業務の引継ぎがうまくいかない、苦手な業務が立て込んでいた、優秀な同期と同じ部署に配属されてしまった。 そのうえ人とのコミュニケーションが苦手、相談できる同期なんていない(仲いい子は皆気が強

          私はいつだってサヨナラを考えた、その前の日に戻ってきてしまう。

          吉祥寺と、ドラマと、シンガーソングライター。

          ネットニュースでは著名人の自死の報道をする際、一緒に「相談ダイヤル」を掲載する。動画サイトで運営にセンシティブな内容とみなされた場合は、該当の動画に注意喚起が出る。 なぜなら、大衆が触発されることを防止するために。そして、メディアの報道の在り方に対して人々が厳しい視線を向けるようになったから。 大衆が「不謹慎」に敏感になった。私はそれ自体は悪いことではないと思うし、これして生きる道を選ぶ人が増えるなら、良いことであるとさえ思う。 しかし、「常識的にダメだからダメ」と条件

          吉祥寺と、ドラマと、シンガーソングライター。

          ひとまわり前の私へ。

          アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓 十五の君へ~」 おすすめ動画に上がってきたので、久々に聴いてみた。合唱コンクールでも歌い、銀賞を獲った、ある意味思い入れのある曲。まあ、このときは14歳だったけど(笑) この曲は、30歳だったアンジェラさんが、15歳の自分に宛てて送ったメッセージらしい。確か。 自分はまだ30歳になってないけど、15歳の自分に手紙を書くとすれば…↓↓↓↓ 拝啓 15歳のあなた お元気ですか。あなたは多分、そこそこ元気に尖り散らしてると思います。

          ひとまわり前の私へ。

          自分を助けられるのは自分だけ

          自分の心理的変化や窮地に追い込まれた時、他人が発見してくれると思うな。 確かに、気にかけてくれる人がいる環境にずっと居られる人もいるだろう。 ただ、大半はそうではないと思う。 私は、気にかけてくれる人がいる環境と、そうでない環境のどちらも経験したことがある。 今回は、仕事に特化して述べようと思う。 後者の場合、周りの人の性格が悪いわけではなかった。むしろフレンドリーな方ばかりだった。 ただ、フレンドリーと気にかけてくれるは全くの別物。 特に外回りの部署にいる場合、

          自分を助けられるのは自分だけ

          「月曜日なんか来なきゃいいのに」全員卒業したアイドルの歌を、今でもずっと聴いている

          表題の曲は、私が社会人1年目の秋、行きつけの油そば屋でついていたラジオから流れてきたものだ。 「月曜日なんか来なきゃいいのに」 当たり前だけどなかなかない歌詞が頭から離れず、その場ですぐに検索をした。 こういう人たちが歌っていて、YouTubeでPVも公開されていて、作詞とダンスのどちらもメンバーがやってるんだということが分かった。 そこから日曜日の夜は毎回聴いていた。 明日へ希望を見出すために、明日が希望に満ち溢れた日になるように、努力するのが人間なんだけど、それ

          「月曜日なんか来なきゃいいのに」全員卒業したアイドルの歌を、今でもずっと聴いている

          生きることへの執着

          「ネットで故人の声を聴け」といつ東洋経済オンラインの連載を読んでいる。きっかけは、Twitterでこの中の1記事が話題になっていたから。 その記事は、2000年代前半に亡くなった「41才の肺がん医師」のブログが今も残っているという内容だった。 その医師には、奥さんと2人の子どもがいる。 ブログの中身は医師としての「理知性」と、他人の夫・父としての「情」が混在しており、それでも医師としての要素の方が強い印象を受けた。 故人の声を残すことに関する話は、東洋経済の筆者に任せる

          生きることへの執着