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いじめの時間(1)

武蔵山中学を休み、半年の月日が経とうとしていた。鈴木正義の一日は正午から始まる。カーテンを開け朝日にしては高すぎる日光を浴びると、すぐにデスクトップパソコンの電源を入れた。

パソコンが立ちあがるまでに、着替えと歯磨きを同時に済ませ、彼は早々とパソコンが設置されたデスクに腰掛けた。インターネット中毒。正義の生活は世間的に見れば社会不適合者のそれに違いないが、彼は世論のように自らの生活を卑下してはいなかった。

自分には自分の居場所があり、自分の考えを持って行動出来ている。そのことが正義の現在の境遇を、普通の人間たらしめている節があった。

自分の居場所とはインターネット掲示板である。インターネット掲示板といっても、有名な3ちゃんねるやしたばら掲示板のような誰も利用できるものではない。彼の利用する掲示板は、特別な審査と面談を行わなければ入手できない、IDとパスワードを入力する特殊な掲示板、「no imezi(ノーイメージ)」である。

いじめ防止推進法が可決されてから、世間のいじめに対する関心は高まった。いじめ被害者の心の傷を癒やすための対策は、より手軽に、よりグローバルに発展していた。その過程で生まれたのがこの「no imezi」である。カウンセラーはいじめ被害者に対し、カウンセリングを行い、必要とあらばこの掲示板の利用を許可していた。今ではいじめの被害者がいじめ被害者のカウンセリングを行うようになり、傷のなめ合いが日常的に行われている。

正義がこの掲示板に初めて書き込みを行ったのは、高校を休学して1ヵ月が経ったころだろうか。当時、正義は深刻ないじめ被害にあった。

正義はクラスの中心グループの一人だった。グループのメンバーは全員帰宅部で、学校帰りにカラオケやゲームセンターに通いつめた。その時間はまさしく青春だとも思っていた。

しかしながら、些細なことをきっかけに歯車は狂いはじめた。いつものようにグループのメンバー数名とゲームセンターで遊んでいたときのこと。格闘ゲームの筐体で遊んでいたメンバーの一人である清水が、高校生達からいわゆるカツアゲを受けたのだ。他のメンバーは麻雀のゲームに夢中でそれに気づいていない。気づいたのは正義一人だった。助けなければと思った、だが同時に関わると自分もやられるという恐怖が襲いかかった。清水が無理やりゲームセンターから連れ出される最中、彼と正義は目と目があった。それでも正義は恐怖にがっしり足を掴まれ、その場から動くことはできなかった。

それ以降、正義はグループから無視されるようになった。カツアゲされていた清水が中心となり、正義へのいじめが始まったのである。上履きを隠されるのはあたり前、体育のときには体育着が水でびっしょりと濡れていたり、殴る蹴るの暴行、給食に大量の消しカスを入れられたこともあったし、消しゴムを丸々食べさせられたこともあった。担任はいじめがあったことを認めなかったが、そんなはずはなかった。
悔しさと怒りと憎しみと悲しさと、様々な感情が正義を支配した。自殺を考えたこともあった。だが無残な姿で帰宅した正義のことを、心配そうに見つめる母の顔を見る度、それだけはできなかった。やっとの思いでいじめのことを母に打ち明けたとき、母は心底安心した顔をしたのを良く憶えている。そして正義は3ヵ月間のいじめを受けた末、学校に行かなくなった。

自己紹介スレッドに新しい書き込みが数件あるのを見つけ、スレッドを開いた。

はじめまして。カウンセラーの方にこちらの掲示板を紹介されました。不登校になって2ヵ月がたちました。学校には行きたくありません。(hanachan)

新しいユーザーの加入である。
それに続いて、他のユーザーからの返信があった。

>>hanachan はじめまして〜!^-^)
よろしくね!hanaさんは歳いくつ?
学校とか行かなくていーよね笑(ひなの)

>>hanachan こんちわ。ここは変わり者ばっかだけど、よろしくな(ゆうじ)

更新ボタンを押す度に次々に書き込みが増えていく、最終的に40件ほどの書き込みがあった。これでも少ない方である。この掲示板には10万人ほどのアクティブユーザーがおり、それぞれが思い思いのスレッドを立てているのだ。しかしこの「自己紹介掲示板」のみが「no imezi」運営が用意した唯一の掲示板となっている。10万人、これがすべていじめ被害者というのだから、なんだか笑えてくる。

>>hanachan よろしくお願いします。
俺は「憂さ晴らしの時間」というスレッドのスレ主です。よかったらhanachanさんも書き込んでみてくださいね http://〜〇〇xxxx.com(セイギ)

正義もいつものように挨拶を書き込んでおいた。勧誘のURLを貼ると、周りからはいつもそれを弄られた。

>>セイギ
まーたセイギの勧誘だよwww
あのスレッドの何が楽しいんだかw(tights)

>>tights
って言ってるお前も
俺のスレッドに常駐してるじゃんwww(セイギ)

>>セイギ
俺はいいの!笑
楽しくてやってるんじゃないし!皆俺の書き込みめっちゃ楽しみにしてるだろ?(tights)

>>tights
自意識過剰〜www(万里)

いつも目にするメンバーとの他愛もない会話が終わると、正義は自分のスレッドに戻っていった。「憂さ晴らしの時間」である。このスレッドではいじめの被害者が加害者への憂さ晴らしをするという趣旨のスレッドだ。スレッド内では加害者名前を使った残虐なショートショートや、加害者顔写真をどれだけ面白く加工できるか競うなど、いじめ被害者のはけ口になっていた。

スレッドの書き込みは1000の書き込みがあると、次の新しいスレッドを作る必要がある。「憂さ晴らしの時間」はスレッドができてから5ヵ月でpart 121に及んでいた。ものすごいペースで人気になったスレッドは「no imezi」の目玉になっていた。

はい。画像提供してあげる!
ウチの〇〇高校の野崎くんで〜す!
【添付画像】(ハリー)

添付画像にはいかにも体育会系っぽい、野球帽を被った青年が映っていた。

>>ハリー
お!これはイジリがいがありそう!(ひよこ)

>>ハリー
とりあえず、ハゲにしてみた
【添付画像】(山田太郎)

どうやったのかは知らないが野球帽の青年はトレードマークの帽子を脱ぎ捨て、頭はツルっぱげになっていた。

>>山田太郎
とりあえずって何だよ 笑
てか、クオリティ高すぎ!爆笑!(セイギ)

こんなやりとりが毎日行われている。正義もスレッド内で一緒になって、いじめ加害者に些細な復讐をしていた。それが皆の心の傷を癒し、笑いにかえることでそれぞれの鬱憤を晴らすことができる。そしてそんな場所を提供してあげることが正義の役割だと信じていた。

正義の管理するスレッドは「no imezi」の中では人気は高かったが、それに比例してアンチも多かった。それもそのはず、「憂さ晴らしの時間」のようないじめ加害者に対して実質的なやり返しを推奨するようなスレッドは他になかったためである。掲示板のスレッドは雑談や相談、心のケアを目的したもの、ニース速報、テレビの実況、大学入学のため高卒認定試験の対策スレッドなどほとんどであった。

「憂さ晴らしの時間」ができた当初、スレッドの書き込みは1日5件あれば良い方だった。その半数は「こんな陰湿なスレッド誰が書き込むかバーカ」などといった、批判ばかりだったが。
しかし日を重ねるごとにスレッドの書き込みは増え、職人と呼ばれる画像の加工を得意としたユーザー達や、ショートショートの執筆者達が現れてから、スレッドは随分と賑やかになった。最初は批判していたユーザーの多くも、当初の書き込みとは裏腹に憂さ晴らしを楽しんでいるようだった。
「no imezi」は完全な登録制、しかもその全てはいじめ被害者なのだ、情報が外部に漏れる心配も少ない。part100以上続くのに削除もされないのは、管理会社がこういったスレッドを黙認している証拠だ。ここは俺たちの居場所だ、いじめ被害者がお互いに痛みを分かち合い、笑いあえる、それでいいじゃないか。俺たちはここから出たりしないさ。正義はインターネットの隅っこで、自分達にとっての薄っぺらい理想郷を築き上げたつもりでいた。

ある日のこと、いつものように「憂さ晴らしの時間」のスレッドを開くと、ある書き込みの話題で持ちきりだった。

新しいスレッドみた?やばくない?(ななみ)
みたみた。マジでいい気味ってかんじ(tights)
いや、やりすぎでしょいくらなんでも(ベンツ)
やられたらやり返す!倍返しだ!キリッ(万里)
どうせ釣りでしょ。くだらない。(ヒマワリ)

みんな、何騒いでるんだ?
スレッド一覧を表示するとそこに最近新しく作られたであろう「いじめの時間part1」というスレッドが建てられていた。

みんなでいじめ返そう。
教えてくれれば僕が、他の誰かが裁いてくれます。いじめのない世界をみんなでつくろう。世間に知らしめよう。僕たちをなめるなって。
【添付画像】(K)

そこには見覚えのある野球帽を被った青年映っていた。ボコボコに殴られたのだろうか、目の周りには青たんがにじみ、腫れ上がり、切れた唇からは血が滴っていた。
「何だよこれ…」
正義が理想郷だと思っていた世界はグシャグシャと音を立てて握り潰され、軽々とゴミ箱の方へと飛んでいった。

(つづく)

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