見出し画像

殺し放題の社会 安楽死合法化

「【解説】安楽死・自殺ほう助 欧州各国の状況」
(AFP通信)


 引用した記事は、単に「この国ではこうですよ」と言っているだけで、「安楽死を合法化していない日本は遅れている」とまで言ってはいない。
 その点は、LGBT疾患の件ほどに酷くは無いという事である。
 だが、日本にも「安楽死制度を考える会」などといった、死の集団が跋扈している。決して油断は出来ない。

 安楽死と自殺幇助は違うと言う者がいるが、違わない。安楽死とは正しく自殺幇助である。「それほど積極的では無い」というだけに過ぎない。
 積極的であろうが無かろうが、一度でも自殺幇助を合法化してしまうとタガが外れる。結果、この様なことも起こる。

 バウドワイン・シャボット殺人医師は、本人としては真摯にA女史の事を考えて行動したのかもしれない。
 実際このマッドドクターは、A女史の経歴や診察記録等を入念に「精査」し、一時的な喪失感による状態ではなく、完全に生きる意義と意欲を失っていると「判断」し、もし医師が幇助しなければ、A女史に出来るのは苦しみを伴い尊厳を傷つける自殺行為しかないと「結論」し、それでは周囲の人たちにも必要以上の苦しみと悲しみを与えることになるであろうと「自殺幇助する」ことにした。
 シャボット殺人医師的には、情報収集やらの努力をし、本人の話も色々と聞いて考えたつもりでいるのだろうが、実に醜悪な言い訳である。

 シャボット殺人医師は、自身が納得出来る理由が無ければ自殺幇助は出来ないと述べたそうである。
 これは言い換えると、「自殺幇助して良いかどうか、自分には決める権利がある」「頼まれれば、その人に生きている価値が有るか無いか、自分なら判断出来る」という事に他ならない。
 傲慢の極致である。ホロコーストをやらかしたナチスドイツと何の違いもありはしない。
 寧ろタチが悪いのは、シャボット殺人医師の方ではないかとすら思える。ナチスのホロコーストは、首脳陣は悪行だと分かってやっていた筈だが、シャボット殺人医師の場合、本当に善行だと思ってやらかした可能性があるのだから。

 この様な事例を持ち出して、「シャボット氏は罪に問われるリスクを厭わず、A女史の為に力を尽くした」などと言う奴がいたら、即座に殴って良い。
 如何なる理由があろうとも、生命の価値を決定出来るのは本人だけである。他者が踏み込んで良い理由は、地球の核まで掘り返したところで絶対に出てこない。
 その人に生きる価値が無いと勝手に決めつけて自殺幇助する。殺人である。直接殺害するか、死に追いやるかの違いでしか無い。
 「殺害」を「自殺幇助」と呼び、更には「安楽死」と呼ぶ。この世で最も忌避すべき言葉遊びである。


 A女史の様な人に対して、或いは不治の病で苦しむ人に対して、「楽になって欲しい」「楽にしてあげられる方法はないか?」と思わないなら、そいつは人間では無い。
 生きていれば「いっそ、死んだ方がマシ」などと考えてしまう場合もあろう。当人からその行為を助けて欲しいと頼まれれば、感情が揺らいでしまうのが人情というものである。
 だが、だからこそ、この様な問題に対峙する上で重要なのは、如何に感情を抑え込み、理性を総動員出来るかである。
 人は揺らぐ。それは致し方無い事。
 その上で、揺らぎを乗り越えなければならない。その為の武器こそ「道徳」である。

 「不治の病で苦しむ人はどうすれば良いのか!」
 大前提として、どの様な治療を受けるかは個人の自由である。(自由でなければならない。)
 末期癌患者が全員、抗癌剤をガンガン投与して苦しみ続けねばならないなどという決まりは無い。ここで延命を諦めるか否かは医学の領域である。本人が自殺幇助を望むとか、マッドドクターが勝手に「この人は生きている価値が無い」などと判断するとか、その様に「安楽死的な」考え方とは完全に次元が違うという事である。
 例えば、緩和ケアというのがある。

1.緩和ケアとは
 緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面する患者と其の家族に対して、痛みや其の他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメント対処(治療・処置)を行うことによって、苦しみを予防し、和らげることで、クオリティ・オブ・ライフを改善するアプローチである。

2.緩和ケアは・・・
・ 痛みやその他の苦痛な症状から解放する
・ 生命を尊重し、死を自然なことと認める
・ 死を早めたり、引き延ばしたりしない
・ 患者のためにケアの心理的、霊的側面を統合する
・ 死を迎えるまで患者が人生を積極的に生きてゆけるように支える
・ 家族が患者の病気や死別後の生活に適応できるように支える
・ 患者と家族―死別後のカウンセリングを含む―のニーズを満たすためにチームアプローチを適用する
・ QOLを高めて、病気のかていに良い影響を与える
・延命を目指す其のほかの治療―化学療法、放射線療法―とも結びつく
・それによる苦痛な合併症をより良く理解し、管理する必要性を含んでいる

出典:「https://www.hospat.org/public_what.html」

 率先して殺す(※「安楽死」とは書かず、敢えてこの様に書いた)以外にも、終末期の医療に関して言うなら、選択肢は存在する訳である。
 治る見込みの無い病に対し、緩和ケアの様な医療サービスを購入するのは本人の自由。治る見込みの無い病をそうと認めず、抗癌剤大量投与的な医療サービスを購入するのも本人の自由である。

 「どちらの医療サービスも購入出来ない、経済的に困窮している人はどうすれば良いのか?」
 ここで純粋に選択肢の一つとして、「安楽死という医療サービスが存在するべき」と考えてしまうのは、前述した通り、ある程度致し方無い部分はある。
 安楽死を合法化すべしと言う者は、以下の2つに大別される。
1.純粋に選択肢は存在するべきと考える人
2.自殺幇助が合法化される事が益になる輩
 危険視すべきは後者である。

 日本は国民(強制)健康保険制度に侵されている。自殺幇助の合法化というのは、この様な制度に侵された社会が必ず通る道だと言えよう。
 端的に言って、公的社会保障というのは詐欺行為である。市場経済の原理を阻害し、健康保険で言えば医療サービスの質的向上をも阻害する。その一方で一部の人間だけが利益を得る。不利益を被るのは大多数の国民である。
 国民(強制)健康保険制度は、実質的に破綻している。毎月強制徴収する専用税金(=健康保険料)の他に、税金で補填されているからである。

 破綻しているのは詐欺をしている側が一番よく分かっている。従って、お金を持っていない人には高額医療の補助を受けて欲しくない。だから自殺させてしまえという事である。
 安楽死合法化に対する声の大小は各国で差があるが、その様な声が発生する仕組みはどの国でも変わらない。
 詰まりは、左翼、全体主義者といった詐欺師が、国民(強制)健康保険制度を死守する為に、純粋な人達を騙し、煽るという事である。


 安楽死の合法化について、この様な記事がある。

 全部が全部正しいとは言わないが、とても良い意見ではなかろうか。
 リンクの中でこの様な一文がある。「安楽死を合法化した場合、本来なら生きていたほうがよかった人を、医療者の“共感”の結果、死なせてしまうケースが出てくるかもしれない。」
 医学はより多くの人を助ける為という命題を背負ったが故に発展した。安楽死などという「安楽な」方法に逃げず、戦い続けた人々がいたからこそ今がある。安楽死の合法化は、今後の更なる医療発展にも大きな影を落とす筈である。

 これも紹介しておきたい。

 こちらもリンクの中から一文を抜粋してみる。
 「私たちの信仰の伝統は、自殺ほう助それ自体が人間の尊厳を必然的に損なうという原則で一致しており、自殺ほう助を認めることは、私たちの社会全体が共通の人間性を失うことを意味します」

 昨今、宗教という存在そのものを貶めるプロパガンダも盛んに展開されており、「宗教家が言っている事など・・・」という風にしか思えない者もあろうが、愚かな事である。
 思うのだが、共働きで我が子と接する時間が限られる場合、宗教系の学校を選択肢に入れてみてはどうだろうか。神道系列には小学校が無いが(私が知らないだけであるかもしれない)、キリスト教系なら数も多い。
 聖書には十戒について記載があるが、これこそが正に道徳である。
 道徳を知る事で、安楽死が合法化される事の意味を理解出来るであろう。

 合法化された安楽死・自殺幇助の行き着く先は、「死ぬ権利が認められた社会」では無く、「死ぬ義務が重圧となって圧し掛かる社会」である。


※補足①

 本投稿ではナチスのホロコーストを引き合いに出したが、ポル・ポトの大虐殺を引き合いに出しても良い。

※補足②

 ポル・ポトの大虐殺以外だと、毛沢東の自国破壊政策でも良い。

※補足③

 日本の南京大虐殺を引き合いに出すのは正しくない。何故ならば、これはフィクションだからである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?