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豆の上で眠る話。

こんにちはmarです。

この前までの寒さが嘘のように
ポカポカで気持ちいいですね。
週の始まりということを忘れちゃうくらい
穏やかな午後です。

今日は最近読んだ小説のお話をしようと思います。
湊かなえさんの「豆の上で眠る」。
簡単にこの話を説明すると、
別れてすごした別々の少女たちが
実は生まれたときに取り違えられており
本当の親のもとに戻って生活していく。
という話。
それをその少女たちの妹目線で語っている。
設定自体理解はできるし子どもの入れ替えだって
なんかの話ででてきたりもする。
それでもやはり湊かなえの技巧使いは
圧巻である。
(日本語教育専攻修辞法ゼミ所属のわたし。)
彼女はさまざまな技法を駆使して、
私たちに思考をさせる。
特に最後のシーン。
妹が警察官に向かって言う言葉。

「ほんものってなんですか。」

スピーチや作文は出だしが命とよくいう。
そこで相手をどれだけ引き込めるかによって
出来が決まるといっても過言ではない。
そこでよく使われるのが相手への問いかけ。
一方的に話すのではなく
分かりやすく、聞く人を参加させる。
問答法といって問いかけによって
相手の注意を引く効果がある技法だ。
これは警察官に答えを求めているのではない。
私たち読者を本に引き込むための問いである。
その証拠にわたしは本を読み終わっても
ずっと「ほんもの」について考えてしまった。

科学的に証明されればほんものなのか。
一緒に過ごした日々の記憶がほんものなのか。
身分証で確認がとれたらほんものなのか。
ほんものって難しい。
わたしはわたしをほんもののわたしだと
断言できるだろうか。
何をもってわたしはわたしで
あの子はあの子なのだろうか。
そんなことを考えた。
まんまと湊さんの思惑通りに。
いろんな人のほんものの基準を知りたくなった。
私たちは何をもって、自分や周りの人たちを
ほんものだと認識しているのだろう。
結局は、自分がほんものと信じたい方や
ほんものであって欲しいと願う方を
信じてしまうのではないだろうか。
ああ、また考えてしまう。
ほんもの探しは易しくはなさそうだ。

だけどひとつだけ思うのは
わたしはほんものでありたいということ。
誰かの代わりやニセモノの人生を
過ごしたくはないなあ。
人生は自分で切り拓いていきたい。
おばあちゃんになって
あ〜いい人生だったって言えるように。
来世では猫に生まれ変われますように。

あなたにとっての「ほんもの」はなんでしょうか。

それではまた。

mar.

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