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大企業が嫌い。その感情を分析してみた。"綺麗事で生きていく"経営者のリアル

はじめましてこんにちは!このnoteは、普段ソーシャルグッドな企業に特化したデザイン伴走支援事業をおこなうONE SWORD(ワンソード)株式会社を経営している僕、安部謙太郎の個人noteです。

道徳と経済の狭間で、日々現実と向き合いながら、愉快なメンバーと楽しくもがきながら活動しています!最初は本当に実在しているのかすら怪しいようなレベルの会社でしたが笑、おかげさまで起業して5年が経ち、ソーシャルグッドな企業を支援することで一緒に新しい時代を切り拓く!という絵空事が少しずつ現実のものになってきたような手応えを勝手に感じています。もちろん全然まだまだまだまだこれからなんですが、こういう綺麗事を謳って経済もちゃんと成り立たせようぜ、というスタンスの会社の代表のリアルな葛藤や本音ってなかなか見れないし、案外こういう類の話が特定の奇特なかたによっては面白がってもらえるので自分の思考の整理も兼ねてnoteを始めました!まだ始めたばかりでブルブルです。ぜひスキやコメント、シェアしてくれたら泣いて喜びますm(^_^)m
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では本題に入ります!



僕は「大企業」が嫌いだ。

いきなりなんてことを言うんだ、と思われるかもしれません。
大企業勤めや経営者のかたに失礼じゃないか、と。
でも、たしかにこの感情が自分の中にあるんです。

あなたはどうですか?
ぶっちゃけ、そういう感情を持っている人はいませんか?

僕には物心がついてから、なんとなくそういう自覚がずっとありました。でも最近ふと思ったのが、そもそもそれはなぜなのか?また、嫌いな対象は「大企業」というのが正確なのか?ということ。

(※ちなみにこの記事でいう「大企業」というのは上場企業でも、有名企業でも、中小企業基本法で定義された大企業でもない、ぼんやりとしたイメージにおける「大企業」として話しますね。)

大企業って権利も責任もとてつもなくでかい、間違いなく社会を牽引するリーダー的存在ですからね。普段ソーシャルグッドな企業を増やす活動をしている中で、社会と企業活動の良好な関係をデザインすることを標榜する自分にとって、この「大企業が嫌い」という感情を分析することでなにかヒントが得られるんじゃないかと思い、この記事を書くことにしました。

もしあなたが大企業が嫌いと感じているのならその感情の源泉はどこにあるのか、一緒に考えてみませんか。もしくは大企業のかた、経営者とはいえただの一般人である僕のこの感情は決して僕だけのものではないんじゃないかと思っています。ってことは、この分析から見えてくる大企業の弱点を潰すことには一定の価値があると思うんです。


…おまえ何様だよ。。。


すみません、それは僕自身も強く感じています笑汗
ただ、嘘はつけないから、正直にその感情と向き合ってみることにしたのです。どうか寛大な心でお付き合いください。


大企業が嫌いな理由①幼少期のトラウマ経験

僕が幼少期のころ、親父は自営業でまちのお肉屋さんをやっていました。立ち上げた当初は調子が良かったみたいですが、あるとき、近くに大型ショッピングモールができて、お客さんのほとんどがそっちに根こそぎもっていかれたようで、僕が中学生くらいの頃にお店をたたむことになりました。

これは多感な時期の僕にはなかなかにショッキングな出来事で、というのも、親父は子どもの僕から見ても、まあまあ毎日一生懸命働いていました。いわゆる昭和の親父というか、口数も少なく、愛想もいいほうではなかったと思いますが、お店の一つ一つの仕事も決して手を抜かず、家に帰ってきてからも会計処理や店頭で使うポップの作成や次の日の仕込みの準備などなど朝早くから夜遅くまで、毎日真面目に地道に仕事をがんばっていました。

それが大手の出店により、大打撃を受け、閉店…と。余談ですが、ああ、「毎日一生懸命働く」だけではこの社会は生きていけないんだな、とこのとき子どもながらに学んだのかもしれません。もちろん、今となっては、顧客目線からみて、食品や生活用品などあらゆるものが短時間で一箇所で揃う(&スケールメリットで安いことが多い)、というあまりにもでかい優位性とベネフィットがあったら、そりゃ個人商店は(それに対抗できるくらいの独自の強みや魅力がないと)なかなか難しいよねとか、抜本的で積極的な改善や変化を「毎日一生懸命考えて実行」しないといけなかったんだろうなという視点で見れたりはするのですが。

当時は完全に売り手視点だし、まして家族がやっているお店に対する愛着や感情移入が激しい視点で見ていたので、大手(=のちに「大企業」のイメージに繋がる)はお金の力を振りかざし、毎日一生懸命働いていたお父さんたちをいじめるわるいやつらだというイメージが安部少年の脳裏に焼き付いたんだと思います。今考えたら、より価値があるものが評価されるという市場原理で考えたらきわめて健全なプロセスだと思うので、これは大手がわるいということにはならないと思います。たまたま資本力が優位に働く市場だった、というだけの話だと思います。これはとばっちりです。ゴメンなさい。

次いきます。


大企業が嫌いな理由②天の邪鬼(あまのじゃく)な性格

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天の邪鬼の図(怖い) 引用元:wikipedia

単純に天の邪鬼な性格が影響しているというのも考えられます。今では初対面の人から「お酒絶対強いですよね?」と言われるくらいにはザ・九州男児的な濃いめの顔に育ちましたが(※実際はお酒弱いです笑)、もともとは割と顔も薄く、僕ちゃんって感じで、友達からなにか言われたらまず断れない気弱な、よく言えば優しくて素直な性格でした。多分。それがなんでなんでしょうか、いつの間にか天の邪鬼な性格が強くなり、とにかく人に強制されるのが嫌だ、みんなと同じことをするのが嫌だ、ということが増えてきました。

ああ、理由①でお話した親父の影響はあるのかもしれませんね。みんなと同じことをしていたらいつかダメになるかもしれない。そんな脅迫概念に晒されていたからかもしれません。

もしくは、真面目一本筋でNOを言うことができなかったからこそ、道を外れてアウトローにアナーキーに生きる人への憧れが反動で強くなっていったのかもしれません。ロックバンドのアーティストに憧れたのはまさにそういうことなのかもしれません。その結果、大企業という存在はまさに天の邪鬼な自分としては迎合したくない存在の象徴みたいなところがあったんだと思います。特に就活のときそれが強くなったかもしれません。周りに無思考に有名な大企業を目指す人が少なくなかったのを見て、その流れには乗りたくないと思ったのもあるかもしれません。

ただ、これも大企業が嫌いと言われるにはあまりに失礼な話というか、僕が大企業だったら知らんがな、と一蹴する話かなと思いますmm ただ僕が天の邪鬼でそう思ってしまっていることは間違いないし、それが大人になったこの歳で再確認できたのは自分的には大きいなと思います(これはホントにみんな知らんがなですよね汗)。とはいえホントに今のところ大企業が嫌いなのはただのイメージととばっちりでしかないわけで、本質的に嫌われる要素はないですね。

次いきます笑 次からが本題かも。


大企業が嫌いな理由③理不尽なことをやるイメージ

環境破壊や海外の児童労働に目をつぶって利益の最大化を優先したり、既得権益を守るために価値ある新規事業やベンチャー企業を業界団体に働きかけて締め出したり、優れた特許をいいがかりや裁判で潰しにきたり、コンペして提出させた企画書を丸パクリしてそのまま無断で転用したり…

実はこれらはよくあるドラマやマンガで見たイメージの話ではなくて、僕が経営者として普段の仕事の中で実際に見てきた理不尽事件なんです。それも上記はごくごく一部で、それが大人になり、企業の活動をいろんな側面から見ることができるようになって、よりあらわになり、ますますよくないイメージがついて嫌いになったというのはあると思います。

ただ、これもよくよく考えてみると、大きいから理不尽なことをする、というのは全然違う気がして、中小企業でも「ちょっとそれはさすがによろしくないんじゃないですかぇぇ…」と思うようなことはありますからね。つまり、単純にそういう事象が起きやすいというよりは、体も影響力も大きいし責任も大きいから監視の目が向けられやすいことで、発見されやすくなっているだけなのかなと。僕ら中小企業だって、生きてるだけで環境破壊はしてるわけだし、実際はめぐりめぐって海外の児童労働に加担しながら豊かな生活水準を保っていたり、と、小さな矛盾をたくさん抱えながら生きているわけです。つまり「大企業」自体を非難したり嫌いになったりするのはおかしいよなと、むしろより責任ある立場として、誰よりも多くの制約のもと活動をされていると思うと、彼らは彼らで大変だよなぁと。理不尽なこと、もっと減らしていきたいですね。ええ。

最後まで本当にありがとうございます笑 次、最後ですmm


大企業が嫌いな理由④本質に向き合わず、存続が目的になっている

本来企業活動としての本丸であるはずの社会に提供する価値には目もくれず、既得権益にしがみつくための足場としての側面にしか目がいっていないように取れてしまう大企業は少なくありません。

例えばマスメディアや大手広告代理店、電波まわりを事実上寡占している携帯キャリアの大手通信事業者などはわかりやすく既得権益が存在してますよね。最近のコロナ持続化給付金の(天下りや出来レース入札が疑われる)再委託問題などを見ていても、その受益層によるいびつな力学が一定量働いてることは誰が見ても明らかです。それでいくと、大手ITベンダー企業やそれに類する人材系企業もなかなかな印象です。最近また感染者追跡アプリの問題で予算なんと数十億で受託していたことが発覚して、クオリティが相応にあればまだよかったのですが、正常に機能していないことがニュースになってからは孫請けひ孫請けでは済まない多重下請け構造が露見して責任のなすりつけ合いが起きて泥沼化してましたね。平井デジタル改革担当大臣の「脅し」問題が最近話題になっていましたが、個人的には支持しています。今まで国は散々こういった大手ITベンダーなどから言われるがままにやってきたんだろうなぁと思って見ているところがあったので、いいプレッシャーはしっかり与えてもらって(別に「干す」必要はないと思いますが)プロジェクト毎に公正な入札を行い、企画提案の価値そのものを見て選んでほしいなと思っているからです。みんなどう思ってるんですかねこれ?

また、ちょっと違う視点でいくと、大手電機メーカー系の大企業もなんていうか、たくさんの優れた技術を持っているにも関わらず(おそらく腹を括ってリスクをテイクできるトップがいなかったと考えざるを得ませんが)、抜本的な産業構造改革を起こしきれずに死に体(ゾンビ)となって、次々不採算事業をたくさん出してしまい、外資系企業の傘下に入る企業が続出しましたね。

つまりまとめると、自分だけはとアガリを決め込むためにことなかれ主義で沈みゆく船の上で最後の美味しい蜜を吸うことが目的化してしまって、重役ポストへの最後の滑り込みを狙う人達の地獄の競争が起きているのであり、顧客に提供するべき価値についての本質的な議論なんて、もはやどこへやらという世界観になってしまっているんじゃないかと想像せざるを得ないわけです。

そして容易に想像つくのが、理不尽なことが嫌いな人であればあるほど、また優秀で勘のいい人ほど、この構図に早々に気付き、若い優秀な人材からフェードアウトしていくわけで、まさにこういった企業は現在進行系で生態系が閉じていく方向にまっしぐらだと思うんです。時間の問題かなと。でも、とはいえなかなか潰れない。なぜかゾンビとなって、生き永らえている。

あ、ここが一番気に入らないのかもしれない。

自然の生態系で考えると、本来アリに一瞬で食い尽くされるはずのカブトムシの死骸が4,5年も蜜が出るいい位置を塞いでしまっているだけでなく、なぜかずっと微妙に動いてるような、そんな不気味さ・不自然さを覚えるのです。

早いこと別の虫さんに譲って、もっとガンガン働いてもらいましょうよ。。。

個人的に企業は存続することが至高だ、という考えにはあまり同意できず、時代の役割を果たしたら責任ある行動をもって、いさぎよく後続に道を開ける・もしくはちゃんと覚悟を持って変革するべきだと思うんです、

ああ、でも多分もはや規模が大きすぎて、自分ごと化するのが難しくなったんだろうなと。企業という法人格からどれだけ個人として利益を享受できるか(おいしい思いできるか)という視点しか持てない人達の集まりが、どうして自ら痛みを伴う構造改革ができるだろうかと。最後は自分が責任を取る、という覚悟なんて持てるはずがないよなぁと。(大きくできるかは置いておいて)やっぱり会社は大きくしすぎるといいことはないなぁと強く感じています。早く解体したい。どんどん分裂したい。

つまり彼らは大きくなりすぎた。もっと手触り感を感じれる組織に留めるか、少なくとも大企業でもちゃんと退場いただく新陳代謝が起こるような流れをつくっていかないと、席が埋まってたら次世代のリーダーは本領発揮できない。そういう大企業のジレンマを抱えているにも関わらず本気で問題解決に取り組まず、土俵に居座っている多くの大企業のことはやはり応援したいと思えないし、好きにはなれないなと。


結論

後半、思った以上に熱くなってしまい、長くなってしまいました。
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございます。

ただおかげさまで自分の中でかなり整理がつきました。
各理由をあらためてまとめると、こういうことです。

大企業が嫌いな理由①幼少期のトラウマ経験
→大企業あんまり関係ない。まあまあなとばっちり

大企業が嫌いな理由②天の邪鬼(あまのじゃく)な性格
→個人的な性格上、対象にされていただけ。かなりの知らんがな案件

大企業が嫌いな理由③理不尽なことをやるイメージ
→企業の大小に関わらず理不尽なことをする企業はする。大企業は影響力も責任も大きいため監視の目が向きやすく目立ちやすいから標的にされることは多い(影響力が大きいのだから健全だとも思う)。当然ながらどこよりも義務を果たしている大企業もあり、むしろそういう事実を知ったときはもっと声を大にして称賛・礼賛するべきだと反省。

大企業が嫌いな理由④本質に向き合わず、存続が目的になっている
→価値を追求するプロセスから外れ、既得権益とそれにしがみつけてしまう構造はもっとも嫌いなものと再認識。役割を終えた事業はちゃんと潰すことが大事。

つまり、これが結論です。

大企業という括り方はほぼ意味なかった。が、嫌いな大企業はやっぱり嫌い。特に価値に目もくれず既得権益にしがみついたり、もう役割を果たしてるっぽいのに解体されずにゾンビ化してる大企業が嫌い。ごくごく一部の人のためにしかなってないのにベタリと張り付いたまま残っているのが生態系として考えたときにきわめて不健全で不自然。

散々話いろんな話をした挙げ句、結論は割とよく言われている話に落ち着きました笑 あなたはどう感じましたか?ぜひ心の中でつぶやくか、コメントで教えてくださいねmm

大企業のことが嫌い、という表現は全然的を射ておらず、イメージが先行してしまった誤解を生む良くない表現でしたね。これからはそういうこと言わないようにします。大企業で日本や世界に貢献してくださっている皆さん、いつもありがとうございます!急に失礼な話をしてすみませんでした!


最後までお付き合いくださりありがとうございました。
また次回お会いしましょう!


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