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61歳の食卓

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築地で鮭を売りつつ30年、還暦を過ぎ、歳を重ねるにつれ変化していく嗜好と60代のためのレシピを綴ります。
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記事一覧

61際の食卓(16)おにぎり屋さん起業に向けて:米の選定

店内改装は順調に進んだが、おにぎり作りについてはなかなか具体的なイメージが湧かなくて困り果てた。第一の難関は米の選定で、10種以上の米を試したが、なかなか決まらなかった。 なぜ決まらないかというと、店はオール電化といえば聞こえが良いが、要はガスを設備していないため、米を電気釜で炊くより他ない。電気釜は1升炊き・2升炊きの2種を購入したが、目一杯炊けば、米自体の重量で、下半量の米粒が潰れてしまうことに気づき、8分目で炊くようにした。 それでも米は粒立ちしないので、堅く炊きあ

61際の食卓(15)おにぎり屋さん起業に向けて:資金調達と施工

鮭屋である私が鮭おにぎり屋さんを起業するためには、その前提として既存店を改装し、飲食の営業許可を取得する必要があった。 店鋪の改築資金は、事業再構築補助金を申請して部分的な補助を得たことで実現し、本年(2022年)初冬に着工した。店鋪が築地場外市場内に位置し、近所が隣接していて営業中に施工できないため、夕方チョコチョコと工事を進めていき、結果、1月中旬から3月中旬の丸2ヶ月を要した。その間近所に仮店舗を借りたため、賃料と移動の諸経費は想定外の出費となった。 奥まった仮店舗

61際の食卓(14) こども食堂のあさり&イカのカレー

月に1〜2回、地元中央区勝どき・佃の「にこにこ食堂(こども食堂)」で、魚料理を作っています。 3月後半は、市場仲間の「築地魚政」さんと“アサリとイカのカレー”を考えました。春といえばアサリ!と、ここまでの思いつきは凡庸ですが、いざ作り方を考えるとなると、殻付きアサリを使って60食のカレーをつくるのは難しい。そこで剥き身のボイル・ボイルの冷凍・アサリ水煮缶と、いろいろ試してみましたが、どうもダシがとれない。そこで、ようやく探した生アサリ剥き身(冷凍)を使うことで一件落着しま

61際の食卓(13)こども食堂のくじらの立田揚げ

立田揚げは、小学校給食を思い出す一品である。 哺乳類であるくじらを食べることに、誰も抵抗感を覚えない時代の話だ。当時の人気給食メニューは、1)くじらの立田揚げ 2)ハンバーグ 3)揚げパン。紛れもないベスト・オブ・ベストがくじらで、家の食卓には絶対に登場しないあの味に幼な心がときめいた。サクッとした歯ざわり、肉々しい赤褐色、血の味わい…。くじらという海の生き物を、私たちは味わうことにより記憶に留め、数十年経ても尚、鮮明に蘇らすことができる。以来、築地でくじら屋の扉を叩くま

61歳の食卓(12) 現在の仕事から転じておにぎり屋さんを起業すること

鮭屋である自分が、鮭おにぎりの本を書いたら、鮭おにぎり屋さんを開業したくなったというのは、まるで早口言葉のようだ。 それは淡い夢のようなもので、内心は(できるわけない)という単なる願望だった。それが現実になったのは、コロナで当店が立地する築地の市場から来街者が消えてしまったからだ。かつては国内外の観光客で賑わっていた多くの海鮮系飲食店やお土産屋さんが半年も経たないうちに閉店し、路上にはただ風が吹き荒んでいる。どこかで見たような光景だと感じていたが、ある日ふと思い出した。黒澤

61歳の食卓(11) おにぎり屋さんを起業するきっかけは…

30年間、築地場外市場の鮭屋で働き、働いた店を引き継いで5年間は休日返上で働いた。タイミング的には市場の観光地化という追い風が吹き、正月を除いてすべて店を開け続けたので、そこそこ売上も上がった。一種のワーカーホリックとなっていたので、働き続けることが快感であった。はじめて経営者となり戸惑いやしくじりは尽きなかったが、雇われていた時とは異なり成果が実感できるので嬉しかったのだ。税理士さんには「体を壊したら終わりですよ」と念を押され、いつか体力も尽きて頭打ちになることは、うすうす

61歳の食卓(10)こども食堂のイワシフライ

市場仕事で魚に触れ始めた二十代の頃、週に一度はイワシをひと山買って、包丁に慣れるため三枚におろした。腹骨も削いだ身を軽く酢に浸し、皮を剥き、削ぎ切りにして、生姜醤油をかけて昼のまかないにしたものだ。この一品だけでご飯がいくらでも食べられた。 今は一尾分の刺し身を食べれば十分だ。一口目は当時と変わらず旨いと感動するものの、食べ進むうちに、身にうっすら白くのった脂に飽きてしまう。結局、ひと山を二回に分けて調理する。買った日は刺し身、次の日はフライだ。 幸い今冬、イワシは安い。

61歳の食卓(9)フィッシュアンドチップスを旬のタラで

タラの味わいは、唯一無二。他の白身魚にはない独特のクセがあり、それゆえ旬の冬になると必ず恋しくなる。 土曜早朝の料理番組で土井先生がタラのビールフライを紹介しているのを観て、昔、山菜を天ぷらにする際に、ビールで小麦粉を溶いた事を思い出した。 タラの芽の伸びすぎた穂は、とかく衣が付きすぎて、揚げると油まみれになり重く食べ疲れる。その解消法として、誰に聞いたか忘れたが、前の晩に呑み残した気の抜けたビールで揚げると、バリッとなる。その堅さが、下手すれば口の中に刺さるほどだったので

61歳の食卓(8)仮住まいと銭湯絵 

昨日、築地六丁目のとんかつ屋・カツ平さんが久々に顔を見せ、店内をぐるりと見回すと、 「あ、ナカジマさんの絵だ!」と叫んだ。 私は今、既存の店鋪を改修しているため、隣のビルの奥まった一角に仮住まいをしている。この仮店舗は不思議な空間で、壁面に堂々たる銭湯絵が描かれている。 片側は雪を頂いた富士山で手前が海、浮かぶ小島に松、という景観である。もう片側は赤富士で、富士と富士が向き合い天井は金色だ。絵の右隅には<ナカジマ 2015.11.15>とのサインがある。 先月の入居以来、ナ

61歳の食卓(7)春香るそらまめと鮭のおにぎり

2月上旬、気づけば、そらまめが八百屋さんの店先に姿を見せている。 「あら、昨年末から入荷しているわよ」と、築地・藤本商店の女将さん。「今はもう、新じゃが、新玉ねぎも!」 寒さが底をついた感の2月中旬、青果店のラインナップは春への助走を始めている。 大きな鞘の内側の、真綿のようにふわふわとしたクッションに包まれて、そらまめ一粒一粒はすやすやと眠っているかのようだ。布団を剥ぐように無理やり鞘から取り出して、さらにパジャマまで剥ぎ取るように薄皮まで剥くことはできず、鞘ごと七厘の網

61歳の食卓(6)鏡餅で餅あられを作る

子供の頃、正月の床の間に飾ってあった鏡餅は、三ヶ日も過ぎると青カビだらけで、1月11日の鏡開きのときに、「キモチワル〜イ」などと大げさに騒いだものだ。母がカビを包丁でこそげ、水に浸すのを飽きもせず眺めていたのが昨日のことのように思い起こされる。 1月半ばを過ぎて、市場の旧家を訪ねる。商家だけに帳場の神棚に飾っていたむき出しの鏡餅は、すでに取り込まれ、道路っ端の日向に置かれた台車などの上に無造作に干されている。青カビや黄カビに覆われた餅肌が日を追うごとにひび割れて、見事な幾何

61歳の食卓(5)寒い朝、鮭おにぎりを焼く

最近、七輪で暖をとっている。 長年使い続けた店舗を改装するため、市場の奥まった場所に仮店舗を設けたところ、一日中陽が当たらず体が芯から冷えて、凍りつきそうになった。まるで冬の山小屋で遭難しかけているみたいで、見かねて近所の魚政の政が、七輪を貸してくれたのだ。 60歳を越えて、生まれてはじめて七輪を使うことになった。炭は普通の木炭と備長炭の2種類売っていて、備長炭は硬くて重く高価だ。普通の木炭は軽く安価ではあるが、すぐに燃え尽きそうに思えた。七輪に3〜4片を空気の通りが良い

61歳の食卓(4)こども食堂のために考えるレシピ♪百合根と海老のかき揚げ♪

こども食堂のお手伝いに参加するようになってから、築地で見慣れた食材が、輝いて見え始めたから不思議だ。 季節に合わせてレシピを考える。考えながら市場を歩くと、食材の方から「わたしはいかが?」とメッセージを投げかけてくれる。海老屋さんの前を通ったときもそうだった。そうだ、1月は海老を使ってお正月を祝う主菜にしよう…。むきえびは生の状態では灰色だが、加熱すると鮮やかな紅白の模様が浮き出る。まず、紅い食材が決まった。 この紅色に、真っ白な百合根を合えたら、ハレの日らしい一品になる

61歳の食卓(3)普通の日のねぎとろ巻

特別な日の食卓にはマグロを用意する。 20代の終わり頃に、築地で初めて買ったのはマグロ。その後、働くようになって、マグロが身近な存在になった。以来、30年以上、マグロを食べ続けている。 それもそのはず、ここ築地はかつての東京都中央卸売市場築地本場、今もマグロ屋さんが軒を連ねる魚河岸なので、春夏秋冬マグロが入荷しない日はない。市場で働く人間にとって、盆も正月も誕生日も父母の日も、結局手近なマグロが食卓の主役となる。 「マグロは、なんだかんだ言っても飽きないからね」 コロナで