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『男のロック的精神が騒いだ話』~浅田彰「構造と力」を読んで~

初めまして、都内の某書店で働いているゆめたです。
今回から本格的にnoteでの投稿をはじめたいとおもいます。
まだ、noteの使い方も全然把握していないので、これから学んでいきます👨‍🎓。
僕は現在大学生で、本屋でアルバイトをしている、将来は哲学者になることが夢の22歳です。
よろしくお願いします。
憧れているかつ大好きな哲学者は西田幾多郎です。
本当に彼が大好きです。
生きていたら会いたかったです。
と、それは置いておいて、
今回の投稿は僕が一昨日書き始めて今日書き終えた、浅田彰さんの『構造と力』の感想文的なものです。
あくまでこれは感想文で、批評文ではないです。

なんか忙しないですが、ここで別の僕にバトンタッチします。(上の文章を1番最後に加えてしまったので、こんな変な感じになってしまいました、すいません)

この文章は僕が働いている本屋で配布できないかと思って作成したものです。
ですが、店長から『熱すぎる(気持ちがこもりすぎている』『あと、お店に置くには硬すぎる』と言われてしまいました。
ごもっともな感想をいただき、確かにそうだなーと思い、素直に諦めました。
なので、行き場を失ったアツアツの🔥文章を堪能していただきたいと思います。
といっても、一昨日の書店業務時にパッと書いてそれを昨日今日で加筆修正したものなので、堪能してほしいと言いましたが、そこまで期待しないでほしいです。
ちなみに、内容に関しては一切触れてないので、そういうのを期待している方はここで読むのをやめた方が良いかもしれません。
さらに、僕のこれまでの読書生活の中で発見した、読書術のようなものを紹介しています。どちらかというとこちらがメインになってしまうかもしれません。
本文でも触れていますが、その自ら発見したという読書術を本とまではいかなくても、このnote上にいつか公開したいと思っています。
神読書論的なタイトルで投稿できたらいいですねー。
本文ではその一部分というか、1番核となる部分を書きました。
僕のこの文章が皆さんの読書生活に少しでも貢献できていれば嬉しいです☺️。

それでは、本文をどうぞ。



40年の時を経て待望の文庫化。

僕は今まで彼の存在を知りませんでしたし、この作品も知りませんでした。
この作品は哲学書の域を超えて、芸術作品だと思いました。
本編もさることながら、特に本書の冒頭から度肝を抜かれます。
圧倒されてください。
彼の文章に。
そして彼の文体が持つ疾走感そして最高のグルーヴを頭の中だけではなく、肌で感じ取ってください。
タイトルにもある「構造と力」や副題の「記号論」という言葉は一見難しそうに感じますが、実はおそらくそんなこと無くて、私たちの日常生活の中に潜んでいるのだと思います。
そしてそれは、普段私たちが日常生活で使っているようなわかりやすい言葉では表すことのできないものです。
なので、浅田さんはそういった難しい言葉に置き換えた(パラフレーズ)したまでです。ただそれだけのことなのです。
どこかでドイツの哲学者マルクス・ガブリエルが哲学界のロックスターだと言われているのを聞きましたが、もしそうだとしても日本の哲学界においては浅田彰がロックスターであると言いたいです。
また、もし仮に音楽業界で彼らの立ち位置を考えたとしたら、ガブリエルはThe1975のボーカル、マシュー・ヒーリーで、浅田さんはというとSpitzのボーカル、草野マサムネさんであると例えたいところです。(個人的かつ主観に過ぎないです)
千葉雅也さんの解説が凄いと話題になっていましたが、確かに素晴らしい解説でしたし、(そもそも僕がどうこう言えるものではない)話題になるのもわかります。
ただ、忘れてはいけないのは真に素晴らしいのは浅田さんの作品であって、千葉さんの解説ではないです。
もちろんどうするかは個人の自由ですが、本文を堪能してから解説を読まれることをお勧めします。
その方が、千葉雅也さんのすばらしい解説が際立つはずです。
最後に付録?と言っては何ですが、神読書論のようなものいつかどこかで本にしたい(本ではなくともnoteなどで公開したい)と思っていま書いている最中ですが、その中で書きたいと考えていることをこの場を借りて、一番重要な部分だけですが、書き記したいと思います。
もしこれを読まれている方の中で、哲学書なんて僕には私には読めっこないよと思われているようでしたら、ここで1つ哲学書のようないわゆる難解と世間一般で言われている本の読み方のコツを簡単に教えます。
大きく分けて2つの読み方が存在します。

①羅列された文字を何も考えずにただ追うという読み方
②本の内容を理解するという目的の元で文字を追うという読み方


①の読み方が一番重要でおそらくほとんどの人ができてない(と言うより実践してないかつそのような読み方があることすら知らない)読み方で、これはつまりただただそこに並んでいる文字を何も考えず単純に追っかけるというものです。その単語(フレーズ・センテンス)の意味や文脈を理解するということはしてはいけません。
ただここで注意していただきたいのが、単語や文脈を理解「してはいけない」と書きましたが、それは半分正解で半分間違っています。
どう言うことか。
理解できないのであれば、①の読み方でひたすら文字を追う、そして理解できそうな箇所があったら②の読み方、つまり皆さんが普段使っている読み方に切り替えて読む。
最初は①と②の切り替え作業を行うのが大変だと思いますが、慣れると無意識下でできるようになり、その状態がベストです。
この①と②の切り替え作業に慣れる前にまずは①の読み方をマスターする必要があります。
ただ、マスターと難易度の高く感じるような言葉を使いましたが、そんなマスターと言えるほど特別なことはしておらず、誰にでもできます。
ただ、一番厄介なのは、本を読む際に心の中で、声に出して本を読むタイプの人です。
僕がこのタイプでした。
そんなタイプの方にすごくお勧めなのは、何かに意識もしくは注意を逸らせた状態で、①の読み方をすることで、それをやることで上手く行くかもしれません。
今は①の読み方ができていますが、今思うと僕自身一番①の読み方を身につけるには程遠い読み方をしている人間でした。絶対に文の意味や単語の意味を理解できていないと満足しないタイプで、かつ頭の中で声に出さないと本が読めませんでした。
なので、普通の人よりも、何倍も本を読むのに時間がかかっていただろうし、とても体力を消耗するような疲れる読書をしていました。
ですが、①の読み方を自分で見つけてから(まだ僕も完全に①ができる訳でもないです)とても本を読む生活が豊かになり、生活の質が向上した気がします。
そして、②の読み方ですが、これは説明不要だと思います。
皆さんが普段実践されている読み方です。
例えば、村上春樹を読んでいて長ったらしい込み入った文がでてくるとか、なんかやたらとカッコが多くてイライラするとかそういった局面に直面するとおそらく②の読み方だと、そのすばらしい本をベットに放り投げてしまったり、古本屋に売ったり、その作家(もしくは作品)が嫌いになってしまうといった事態になりがちですよね。もちろん、人それぞれ好みはあると思いますが、もしかしたら好きになる可能性を秘めているかもしれないのにそれではもったいないのではないでしょうか。
これが、読書における2つの読み方というものです。
おそらくほとんどの人は小説を読むときもその他の本を読むときも②の読み方で読み進めていることかと思われます。ただ、それは小説や文学作品においては全然問題ないですが、それが哲学書となると②の読み方だと厳しいかもしれません。哲学関連の用語や専門知識のある方なら②でもよいでしょう。ですが、まだ哲学書というものに触れたことのない方は①を強くお勧めしたいです。
ただし、①の読み方をする際に必要な能力(と言ってしまうと大げさですが)があります、それは、ネガティヴ・ケイパビリティと言われるものです。正直名前はどうだっていいと思っていますが、つまりどいう能力かというと「答えを急がず立ち止まる力」のことです。
今回の読書論に照らし合わせて言うのであれば、「構造と力」のような哲学書の内容(答え)をからなくても良いと開き直れる力と言ったらいいでしょうか。つまり、一般的に面白くないとか退屈だと言われているものに面と向かい合う力とも言えます。
ただし、いまだに僕もネガティヴ・ケイパビリティに欠けていると自負していますが、すぐには身につくものではないと思っています。
だからといって特別難しいことでもないです。
そこで、構造と力はもちろんそうですが、哲学書に初めて触れる人向けに一緒に読んでいただきたいネガティ
ヴ・ケイパビリティ関連の本をご紹介します。
ぜひ参考にしていただければと思います。

・「ネガティヴ・ケイパビリティで生きる-答えを急がず立ち止まる力-」谷川嘉浩/朱喜哲/杉谷和哉(さくら舎)
・「答えを急がない勇気-ネガティブ・ケイパビリティのススメ-」枝廣淳子(イ-スト・プレス)
・「ネガティブ・ケイパビリティ-答えの出ない事態に耐える力-」帚木蓬生(朝日新聞出版)⇒これが一番お勧めで売れてます!


最後に、この配布冊子タイトルの副題に「〜を読んで」とつけましたが、僕自身読んだのですが、100%理解しているわけではないです。本書の内容に触れるつもりはありませんが、触れないのではなく、ちゃんと理解していないために触れることができないと言った方が正確かもしれません。
なので、内容に触れているような批評文をお読みになりたい方は本書の千葉雅也さんの解説を読むことを強くお勧めします。
ちなみに、僕の本書への理解度はと言えば、全体の約20%しか理解していません。(20%も理解していないかもしれないです。)
でも、それでいいのです。理解できなくてもいいと思います。
理解することが全てではありません。
今の世の中(と言ったら良いのでしょうか)は理解することを美としすぎですよね。
別に、理解できないようなものが何個かあっても良いのではないでしょうか。
例えば、ゴッホのひまわりの絵だってダヴィンチのモナリザだって、「理解している」というのを全てとするのであれば、一体どれほどの人が「理解している」のでしょうか。
「理解している」のかどうかであれば、僕は理解なんかしていませんし、少し屁理屈を言うと「理解」なんかしたくないです。そんな肩に力の入った状態で芸術作品に触れるのは嫌です。
少し話は逸れましたが、皆さんも理解できないものに対して、それをそのままでよしとする力、そして理解できないものをいくつか持っていても良いのではないでしょうか。
本当の本当に最後になりますが、少し文章が長ったらしくなってしまい、大変恐縮ですが、最後まで読んでいただいた方がいらっしゃいましたら、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
あ、最後に一つ。僕の文章なんかに①の読み方は使わないでくださいね。もちろん、ネガティヴ・ケイパビリティも使わないでくださいね。使うほどに良い文章を書いたわけではないですから。(笑)そんなの使われたんじゃ恥ずかしくてたまりません。



最後まで、お読みいただきありがとございました。
また批評文のようなものを書いたらnoteに投稿したいとおもいます。
他にも色々と投稿していく予定なのでよろしくお願いします🙇‍♂️。

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