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映画時評『ヒッチコックの映画術』

関東ではもう上映が終わってるころだろうと思いますが、地方では今ごろ『ヒッチコックの映画術』が上映しております。
本作は、そのものずばりヒッチコック映画についての映画ですが、少し特殊なのはヒッチコック自身にヒッチコックを語らせるところです。

当然ヒッチコックは死んでいるので、喋っているのはモノマネ芸人。喋る内容は、監督のマーク・カズンズがヒッチコック関連の資料を渉猟し、分析して作った脚本になります。監督によるヒッチコック批評のような側面も正直ある。
全部で6つのテーマに分けて、ヒッチコックを解体します。

キャストとスタッフ

監督のマーク・カズンズについては、初めて聞いた名前だったのですが、パンフレットのプロフを見るだに面白そうな人物です。
ドキュメンタリー作家で、映画に関する映画が多いです。本も出版していてそれが『The Story of Film』。ゴンブリッチの『美術の物語』ならぬ、『映画の物語』という、1000本の映画を分析して語るというものです。翻訳されたら読んでみたいなぁ。自ら映画化もしていて、そっちは日本語字幕で見ることができます。
そういうライブラリアン的気質を持った人です。オタク根性ともいう。

もう一人忘れてはならないのが、アルフレッド・ヒッチコックです。
言わずと知れたサスペンス映画の神様であり、ハリウッドのヒットメーカーの一人です。
映画史に残る名作を連発していますが、賞には恵まれず、『レベッカ』がアカデミー作品賞を取るものの、これはヒッチコックの功績ではなく、プロデューサーのセルズニックに与えられたもので、評価されたのも、ヒッチコック流のサスペンスが認められたからではなく、物語の中核をなす悲しいラブストーリーのおかげです。つまり彼は無冠の帝王です。かっこいいですね。

レビュー

僕はヒッチコック好きで、あの分厚いトリュフォーとの対談本も読んだことがあります。
サイレント時代の映画と、ヒッチコック劇場を見てないので、トリュフォーなみのファンとはいかないのですが……。

調べると過去にも3回ドキュメンタリーが組まれていて、トリュフォーの対談本を元に、ヒッチコックに魅入られた映画監督たちを取材する、『ヒッチコック/トリュフォー』が一番有名でしょうか。

話は若干それますが、トリュフォーとの対談でいちばん好きなくだりは、ヒッチコックが『泥棒成金』で好きな女優のタイプを語るときです。

わたしたちの求めている女のイメージというのは、上流階級の洗練された女、真の淑女でありながら、寝室に入ったとたんに娼婦に変貌してしまうような、そんな女だ。

とヒッチコックが言い、トリュフォーが

あなたの好み、考えかたはよくわかりましたが、しかし、それはかなり特殊な好みであり、個性的な発想なので、その点に関しては多数派の完全な賛同を得られないのではないでしょうか。

と、若干しどろもどろになってドン引きするのが本当に笑える。

『めまい』『フレンジー』といった作品は、そんなヒッチコックの変態性が漏れ出てしまった映画なので必見です。
『ヒッチコック/トリュフォー』でも、確かデビッド・フィンチャーだったような気がしますが、『めまい』を「あれは完全な変態映画さ!」と嬉々とした表情で語ってくれます。スコセッシも「『めまい』はストーリーが全然わからん…」とこぼします。

僕がヒッチコックを章わけして語るなら、「変態性」の項目は外せない。あと「音楽」の使い方。
パンフで菊地成孔さんもいっていたが、本ドキュメンタリーでは音楽についてほとんど触れない。
バーナード・ハーマンによる『サイコ』の音楽はもとより、『鳥』の無音演出など、格好の素材はいくらでもありそうだと思ったが……。
スコセッシは、『レイジングブル』でデ・ニーロが繰り出すパンチのリズムを、『サイコ』のノーマン・ベイツがナイフで切り付ける時のリズムと同じにしてみたら、カッコいい映像になった。みたいなことを言っていて、何か音に魔力があるのはわかるのですが。

本作では当然、ヒッチコック作品の本編映像が使われるのですが、それがレストアされた綺麗な映像になっていて、未だかつて『サイコ』をこんなにも鮮明に眺めたことがなかったので、ちょっと衝撃。というか作品を一本も映画館で見たことがなかったんだ。
ドキュメンタリーの冒頭で紹介されるテクニックの一つ、主人公がドアを開けて入るシーンを解説するところでは、本当に(月並みな形容ですが)映画の世界に入り込むような感覚、身体的とも言える迫力を備えた映像だったことに初めて気がつくのです。

ちっちゃいテレビの画面で見ていたヒッチコックの映画は、彼の実力ではない。
スクリーンにかかったとき初めて、観客を絶叫させ、手に汗握らせる本物のヒッチコックになるのだ。
別にこれはヒッチコックだけの話ではないな。ストリーミングで往年の名作映画をみたときに、ちょっと退屈だな。と思ってしまうもったいなさは、その映画が古臭いからでは決してない。黒澤映画とかは完全にスクリーン専用の映画だろう。
家で見て退屈だった映画でも、劇場にかかったときにはスルーせずに観に行かなきゃなと、ぼんやり思いました。

現役の映画監督で、これほどまでに自らの手の内を明かし、それを自信満々に語れるような才能というものが存在するだろうか?
「たかが映画じゃないか」というヒッチコックのセリフが僕は大好きでして、彼が根っからのエンターテイナーであることがよくわかる。
トリュフォーというヌーヴェルバーグの難解そうなことを考えている男と話をするときも、話題はいかに観客を面白がらせるかということのみだ。ヒッチコック映画の魅力は、難解なことはわきに置いといて、純粋にスリルを楽しむという、映画の原体験を思い出させてくれるところだ。

これは飛浩隆先生がTwitterで触れていたことですが、現代でヒッチコックに近い存在はクリストファー・ノーランだ。
映画のテーマがどうこうというより、撮影技法が注目される点で。それにノーランはイギリス人だしね。アンダーステートメントな感情を表に出さない美学も、確かに持っている。
早く『オッペンハイマー』を見せろ!!!!!!!

総評としては、語られる内容自体に斬新な新事実があるというわけではありません。
ですが、あらゆるヒッチコック作品のショットをバラバラにして一本の映像に繋ぎ合わせてしまうので、メタな視点でヒッチコック作品を見ることができる面白さがある。ヒッチコックという一本の映画をみる経験というか。(自伝という意味じゃないよ)
亡くなった監督をイタコのように呼び出してしゃべらせるというのも、試みとしては面白いし、批評の内容よりドキュメンタリーの手法の方が、斬新で面白い映画ですね。

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