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スマホ越しに、私の知らない夏がある

「がたん、ごとん、がたん、ごとん」

電車の揺れに合わせて息子が口遊んでいる。
車窓を流れる景色は私にとっては懐かしく、息子にとっては新鮮だ。
座席の上に裸足で乗り上げ、小さな手を窓に張り付かせ田園風景にかぶりつく。おまけに、振動に合わせてお尻も振っている。

そんな様子を微笑ましく眺めながら、スマホの画面を見れば到着時間まで後少し。

そこには『改札口で待ってる』と、母からの短い一言が表示されていた。


家を出てから毎年のように夏に帰省していたのは、単純に冠婚葬祭に重なっていたからだ。
そして行事を済ましたらハイサヨウナラで、『田舎に遊びに行ってきます』とは言い難い。

しかし今回、冠婚葬祭に関連するイベントは無い。
それでも帰るのは、寒冷地に位置する実家で少しでも都会の暑さから逃れたい、という完全に避暑が目的だった。


さて、何をしようか。
実は、夏休みにこれと言った思い出が無い。
幼いころからずっと両親は仕事で忙殺されていたし、私に友達はいなかった。
ただひたすら図書館に行って本を読みふけて過ごすのが私の中の夏休みだ。

3歳の息子にそれは無い。
彼には私が過ごせなかった、素晴らしい夏休みを過ごしてほしい。

完全に夏休み渇望症に陥っている私は、衝動に任せるまま息子を母に借りた車に乗せる。

山に行こう。
山に行って何をするかは考えていないが、都会育ちの息子には想像もつかない景色が広がっているはず。

いざ近場の山へ。
道はくねくねと曲り、進めば吹き込む風は爽やかさを増す。
しかし普段車に乗らず、且つ山道が未経験の息子は早々に胃の内容物を戻した。

私は息子に謝り倒した。


「むすこさん。散歩に行こう」

車は酔うから可哀想。
無理な遠出はやめ、家の周りを散歩することにした。

幸い家は森の中だ。
都会育ちの息子には珍しい物が沢山あるはず。

まだ「素晴らしい夏休み」に未練がある私は、何とか夏の思い出を作ろうと躍起になった。
息子はパズルをやっていた手を止め、「うん!」とニコニコ笑い、二階へ続く階段を指さす。

「じーじとばーばも一緒に行く」
「え」

今年の春に両親は仕事を辞め、今日も家にいる。
確かに今2階の自室にいるけれど。
けれど、両親と夏休みを過ごして来なかった私は戸惑う。

母はまだいい。
問題は父だ。

私は父が苦手だ。

仕事人間で常に何かに怒っている父とは、今までまともに話したことが無い。
たまに帰省する今でもそれは変わらず、挨拶する程度。
そんな父に、今更何て声をかければいい。

「やめとこうよ」「きっと迷惑だよ」とか、そんな言葉が出かかるも、息子は待ってくれない。
勢い良く父の部屋に走って行き、扉を開け放って叫ぶ。


「じーじ、お外一緒に行こう!!」


果たして、息子は父を散歩に連れ出すのに成功した。
それどころか母も連れ出し、私は予想外に両親と夏の思い出作りをする羽目になった。


***

それから毎日、息子は両親を散歩に誘い、その辺で拾った木の枝を武器に、苦手な虫を倒すと勇ましく歩いた。


しかし、マンホールはジャンプするというルールを設定し、その都度両親と手を繋いだ。


小川に行っては葉を流し


行方を追いかけ、


途中でブルーベリーの森を見つけると、


その森で隠れんぼして、


小川に流れる葉をようやく思い出しては追いかけ、やがて湖にたどり着く。


汗だくになって、疲れたら私と母が交代でおんぶして、


そうやって、ひぐらしを子守唄に家路に着く。

滞在中、そんな毎日の繰り返しだった。
しかし、息子はその都度何か新しいことを見つけてはキラキラ目を輝かした。


***

息子はよく父に懐いた。
そして父も、息子とよく遊んだ。

それは私の知らない父の姿だった。


子供の手を引いてゆっくり歩くのも。




小さな子供の安全に気をかけるのも。




父はいつだって何かに怒り、居丈高で、子供の事は母に丸投げして関心を示さない人だった。
母がどんな目にあっても、まるで意に介さなかった。

結婚する時も母には手紙を書いたが、父には書かなかった。

書けなかった。
何も知らないから。


けれど今、湖に波紋を作る2人にスマホを向ければ、画面には素晴らしい夏休みを過ごす祖父と孫が映りこむ。



スマホ越しに、私の知らない夏がある。

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