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ゼツェッション

多民族国家の帝都、皇帝居住の都市=ウィーン。かの地にあって、混在する不均一な要素すべてを覆い隠すヴェールのごとき機能を担わされた芸術。それゆえ、美術・工芸・建築の分野にはさまざまな因習や伝統が幅を利かせ、支配的でもありました。

キュンストラーノウス(ウィーン美術家連盟、1861年設立)内の状況とて同様で、因襲的で歴史主義的な傾向が強かった。旧態依然たるその体制に反旗が翻されたのは1897年の4月のことです。同組織を脱退した19名が、新組織「オーストリア造形芸術家連盟ゼツェッション(分離派)」を結成したのです。初代会長は画家のグスタフ・クリムトでした。コロマン・モーザー、ヨーゼフマリア・オルブリッヒらの創設メンバーに、オットー・ヴァーグナー、ヨーゼフ・ホフマンらがのちに加わりました。

ゼツェッションは、大衆と積極的に交わりました。そしてウィーンの芸術活動の国際化を目標に掲げ、古き慣例の囲いに風穴をあけ、さらにそれを取り払うべく、芸術界の活性化を図りました。その拠点こそ、「ゼツェッション館」です。クリムトの構想により、オルブリッヒが設計し、1898年の11月に開館しています。正面玄関の上部には、劇作家ヘルマン・バールの銘句が刻まれました。「時代には時代の芸術を。芸術には芸術の自由を」と。

ゼツェッション館 

ゼツェッション館は、それ以前には皆無だった同時代の諸外国の新しい芸術を紹介する場として機能しました。また、一般大衆の芸術への関心を高める場として重要な役割を担いました。展示は、新時代の展覧会にふさわしく、建築、美術、工芸を統一したいわゆる「総合芸術」の精神で行われました。展覧会ごとに会場構成をひとりの芸術家に任せ、またその内容も単独の作家の作品に絞ったことは新しい試みでした。

また、メディアも有効に活用されました。機関誌「ヴェル・サクルム」(「聖なる春」)は、それ自体が美術的価値の高い書籍芸術ですが、ゼツェッションの芸術を知らしめる、強力な広報媒体となりました。わが国との関連でいえば、ゼツェッションのこうした動向は、日本近代建築運動の嘘矢「分離派建築会」創設に大いなる知的刺激を与えたとされています。

(ヴェル・サクルム)
古代イタリアで、共同体が危機にあったときに行われた宗教 儀式です 。
(分離派建築会)
1920年(大正9年)に東京帝国大学(現東京大学)工学部建築学科を卒業した6人が結成したグループです。その活動は日本で初めての近代建築運動とされています。

ウィーンにおける建築の分野での歴史主義からの脱却は、ヴァーグナーにはじまります。ヴァーグナーは、1880年代半ばから平滑な面の表現で、近代建築への可能性を模索しつつ、当初は「ある程度自由なルネサンス様式」のみを「正しいもの」としていました。しかし、1890年を境に「未来主義」としての「ヌッツ・シュティル(実用様式)」を唱えはじめます。ルネサンス建築の形式に倣うのではなく、全知全能の万能人たるその精神を継承し、近代という時代性を注入した、近代の社会と人間性に適した建築芸術の創造をめざしました。そして主著 「近代建築」において、「近代芸術は近代を、われわれの力を、行動を、われわれがつくり出した形式によって表現しなければならない」と述べ、過去の形式からの分離を宣言します。目的の正確な把握、材料の適切な選択、単純で経済的な構造、以上により自動的に生ずる形式、というその主張には、新時代の新建築の確立を図る「時代精神」が刻印されています。

(ルネサンス)
「再生・復活」の意。イタリアで始まったルネサンス運動における文化・芸術の表現形式です。前代のゴシック様式とは異なる人間性回帰や優美さ・調和等を志向し、ギリシャ・ローマの古典美術に倣いつつ高い芸術性や機能性を備えた精巧華麗な建築・彫刻・絵画等を生みだし、欧州各地に広がりました。

サン・ピエトロ大聖堂 

ルーブル美術館

シャンボール城

アール・ヌーヴォー的な造形のカールスプラッツ駅舎、グラフィカルな表情のマジョリカハウスを経て、ウィーンの郵便貯金局に至る道がここに開かれました。郵便貯金局の外装板を固定する必要から生まれたアルミ釘は、近代の技術を象徴/表現する新しい装飾ともなり、ここでは実用形式が芸術形式へと高められています。構造とは無関係に表面を飾り立てる歴史主義の衣装は、ついに脱ぎ捨てられました。表層の単なる視覚効果といった脚色から脱し、構造的にも動機づけられた、装飾という「時代精神」の表現を建築家は獲得したのであります。

カールスプラッツ駅舎

マジョリカハウス

ウィーン郵便貯金局

そうしてみると、ヴァーグナーの弟子でウィーン・ゼツェッションの作家だったオルブリッヒやホフマン以上に、実際、ヴァーグナーの考えを十分に理解し、よき後継者となったのは誰でしょうか。「ヴァーグナーの天才にはかなわない」といってはばからず、のちにラウムプランを構想したアドルフ・ロースであったということになるのではないでしょうか。

アム・シュタインホーフ教会

ゼツェッションは、近代建築の幕開けともいわれています。この歴史を詳しく知ることで、求められる建築がどのような背景で、様式建築から抜け出していったのかが見えてくると思います。興味があれば、是非、詳しく調べてみて下さい!

~ゼツェッションを説明しているサイト~

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