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辰野金吾(1854~1919)

(概要)
1854年肥前国唐津に生まれました。ときに「明治建築の法王」と称せられるほど、日本近代建築の黎明期において、広汎かつ甚大な影響力を一手に担いました。イギリスからの「お雇い外国人」建築家ジョサイア・コンドルに学んだ工部大学校第一期生であり、同期には東宮御所設計の片山東熊など。卒業後、海外留学を経て1883年に同学校教授に就任、1886年に造家学会(後の日本建築学会)を創設する一方で、独立自律した建築家を理想として1902年末には官職を投げ打ち、野に下ります。日本人としてはじめて本格的な建築設計事務所を軌道に乗せました。代表作に日本銀行本店や東京駅が存在します。

日本銀行本店

東京駅 

(本文)
ロンドン大学への留学を終え、建築家としてデビューした辰野金吾の作風は、はじめ古典主義系・ゴシック系など様々な様式を採り入れた折衷主義でした。かなり忙しなく色々なデザインを試みた後、日本銀行系の建物を中心とする時期になると古典主義系に落ち着き、「国家」や「銀行」といったイメージに相応しい重厚で堅牢な作品を多く設計しました。その建築から「辰野堅固」という賞賛とも揶揄ともつかない異名を受けました。彼の設計した、「日本銀行本店」は、国家的建築がお雇い外国人から日本人建築家の手に移るターニングポイントとなりました。

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