佃煮発祥の地・佃島にちなむ名作落語【多田修の落語寺・佃祭】
佃祭は、佃島(中央区)の住吉神社の例祭です(今は毎年8月)。
そこへ出かけた次郎兵衛がしまい船(最終便)に乗ろうとした時、ある女性に呼び止められ、乗り損ねてしまいます。実は、女性は3年前に次郎兵衛に命を助けてもらったのですが、どこの誰ともわからずお礼もできなかったので、船乗り場で見かけた機会に声をかけたのでした。
しばらくすると、島が騒がしくなってきました。聞くと、しまい船が転覆して誰も助からなかったとのこと。次郎兵衛は女性のお陰で命拾いしました。そのころ次郎兵衛の住む長屋では、次郎兵衛が亡くなったと皆が思い込み、お葬式の準備を始めます。そこへ次郎兵衛が帰ってきて……。
佃島は、徳川家康が江戸に入った時、摂津国佃村(大阪市西淀川区)の漁師を呼び寄せ、埋め立てて島を築いたことに始まります。佃煮は佃島発祥です。築地本願寺建立の際、佃島の本願寺門徒が海を埋め立てて築地の地を造りました。現在、築地本願寺佃島分院があります。佃島の渡し船は、1964(昭和39)年に佃大橋が開通するまで存続しました。
落語は、お葬式の後の話が続きます。そのオチは、虫歯を治すために戸隠の神に梨を供える習慣がもとになっています。
落語で、お葬式が中止になった時に住職が「人助けの徳が報われた」と語っています。良いことや悪いことをすれば、その報いがあると仏教は教えます。ただしこの教えは、他人の過去を裁くのではなく、自分の未来への戒めとして受け止めるべきでしょう。
多田修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺副住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。