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時代に流されないために|イヴ・サンローラン展

六本木・国立新美術館では『イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル』が開催されています。1960年代から今に至るオートクチュールの数々を眺めてみれば、ブランドによって男性から女性へと広げられたスタイルと、ファッションとの違いを目の当たりにします。結局は自己表現。誰かに作られた流行なんて、つまらないと思うのです。

 「ファッションは廃れるけれど、スタイルは永遠だ(Fashion fades, style is eternal)」。イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)氏の有名なこの言葉は、今の時代にこそ重宝される。毎年のトレンドを追いかけて、鮮やかな青色やシースルーの服を買ってみても、果たして何回着ることができるのか。本来「流行」を意味するファッションは、当然に時代遅れをも連れてくる。去年のものと一目でわかるデザインは定番よりもずっと気恥ずかしくて、メルカリやラクマなどのフリマアプリでも値段が付きにくいことだろう。来年にはもう捨てるしかない。環境負荷の高さから批判を集めるファストファッションはその最前線にある。

 一方のスタイルといえば、イヴ・サンローランに代表される狭義のモードや、いまやラグジュアリーブランドがこぞって取り込むストリートなど、歴史や文化の中で作り上げられてきた体系を意味する。それは一夜にしてならず、長い時間をかけて少しづつ変化をしながら構築されてきた。だから流行り廃りを意識させることなく、私たちが安心して自分を表現するためのプラットフォームとして機能する。

 先日、六本木・国立新美術館で開催されている『イヴ・サンローラン展』を訪れてみて、街中に溢れる女性のパンツスーツ・ルックをサンローラン氏が手掛けたものだと知って驚いた。1960年代、当時はまだ男性のものだったこのトラッドなスタイルを女性にまで広げたのは氏の功績なのだという。それだけではない。トレンチコートやジャンプスーツなど、私たちが当然のように女性服だと思っているものの多くが、サンローラン氏の手によって過去に男性から女性に渡されたものなのだ。だから氏は、ココ・シャネル(Coco Chanel)氏が女性を解放した後に、女性に力を与えたと言われている。永遠となるスタイルはそうやって作られていく。

 しかし、そんなイヴ・サンローラン氏にも、ゼロからスタイルを創り上げることは難しかったようだ。会場には、まさかのシースルー作品も氏のアイコンとして並べられている。それはレースやチュールなどを高度に仕立てた美しい逸品なのだけれど、過去からの連なりが見えてこない。すなわち、スタイルにはなり得ず、今も寄せては返すファッションの一部として扱われている。アフリカの宣教師に着想を得たサファリ・ジャケットや、海軍の制服に似せたネイビー・ルックが今もユニセックスな定番スタイルとして機能していることとは大きく異なるだろう。もちろん、シースルーが女性の自己表現に革新をもたらしたことは間違いないけれど。

 それは間接的に男性のファッションにも影響を与えるだろう。性別の違いが少なくなった今のスタイルにおいて、女性らしさを際立たせるデザインは必ずしも女性だけのものではない。例えばパンツスーツはスカートよりも目立つ下半身の体型を隠すためだけではなく、ヒールと合わせた際のラインの美しさもあって、ワイドパンツが普及した。従来より、男性のビジネススタイルは細身のパンツが基本だけれど、カジュアルではオーバーサイズが流行るのだから、スーツのパンツが幅広に変わっても何ら不思議ではない。実際、COMOLIやAURALEEなどのドメスティックブランドはワイドパンツのセットアップを作っている。スタイルの変化はゆっくりと、着実に訪れることだろう。

 では、スタイルを広める媒体は何なのだろうか。イヴ・サンローラン氏は1966年に始めたプレタポルテがそれを手伝ったことは想像に易い。それまでいわゆる一点ものだったメゾンの服は、この頃から既製服として大衆の手に渡るようになったのだ。これが新たなスタイルを広く伝えるとともに、ファッションという移り変わりを生み出したと思うと興味深い。地球環境を壊すほどの行き過ぎた資本主義はここから始まった。いや、始まってしまったからこそ、未来を憂いたサンローラン氏は「ファッションは廃れる、スタイルは永遠だ」と残したのかも知れない。普遍的な美の価値を誰よりも知っていたのが氏なのだから。

 『イヴ・サンローラン展』では、アーティストとのコラボ作品も多く取り上げられている。ピート・モンドリアン(Piet Mondrian)へのオマージュとして、コンポジションをあしらったカクテル・ドレスはもしかすると原作よりもよく知られている。唯一という芸術性が美術館のショーケースによく馴染む。ただ、サンローラン氏はこれを誰かのために作ったわけではなく、自分の表現として創り上げたのだ。なるほど、氏はプレタポルテを通じて、私たち一人ひとりに表現の場を提供したかったのかも知れない。スタイルというプラットフォームを幅広く展開することで、私たちに表現の手助けをしたかったのかも知れない。だとすると、ファッションなんて飾りに過ぎないと気付く。誰かに作られた流行になんて、乗ってみるだけつまらないと思うのだ。

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