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小4が水中メガネで登校す

水中メガネをしてランドセルを背負い、登校する小学生を見かけた。
ああ、プール授業再開したんだなあ。

昭和の埼玉にも、同じことをしている男子がいた。
かっちゃんだ。
かっちゃんは、合唱隊の練習にも、水中メガネをつけて登場していた。


私がまだ埼玉の小4だった頃、熱心な音楽の先生があたらしく赴任してきて、学校として合唱コンクールに出ることになった。同じクラスからは、私と、ゆかちゃんと、かっちゃんが合唱隊に選ばれた。

アルト・メゾ・ソプラノの三部に分かれるというのも初めての体験で、私はメゾ、ゆかちゃんはソプラノ。声変わり前のかっちゃんはソプラノで、美声の持ち主だったが、五分刈り頭で、校庭で遊び倒してから合唱の練習にいつも遅れてきた。そして練習にくるなり高い良い声でひょうきんなことを言って、みんなをなごませていた。ちょうどテレビで「オレたちひょうきん族」が始まったころだ。

ある時、指揮をしていた先生が、良い調子で進んでいた歌を、とつぜん止めた。そして、かっちゃんに向かって、真顔で
「膝がきたない」
と言った。
確かに、短パンから伸びたかっちゃんの足は、膝小僧だけがめっちゃ茶色かった。私の脳には、その時のかっちゃんの膝小僧が、アップの静止画像でいつまでも残っている。

それから二十年以上が経ち、大人になってから、神職の階位を取るために京都へ通っていた時のこと。
さまざまな年齢や職歴を持つ生徒たちの中に、大学を出たばかりの男子がいた。
彼のやんごとなき育ちにちなんで、あだ名はヘイアンになった。
ヘイアンは髪や装束の着方がなんとなくいつもだらしなかった。背中から袴の結び紐がびろんと出ていて、後ろから何度直してやったか知れない。でも素直ないい奴なので皆から好かれていた。

祭式(神事の作法)の授業で、本殿の扉を開ける、御扉開閉(みとびらかいへい)という、斎主しかすることの許されない作法を学んでいた時、ヘイアンの順番が回ってきた。
すると、祭式の先生が一言、
「顔がきたない」
と言って、別の生徒にさせた。
たしかにその日、ヘイアンは二日酔いのようなむさくるしい顔をしていた。

そのとき私は、はげしいデジャ・ヴに襲われたが、すぐに脳が、奥の奥の奥の階層にしまわれていた「かっちゃんの膝小僧の静止画像」を取り出してきたので、ああ、これはあの時のかっちゃんと同じだと思った。

そしてあの時、音楽の先生が、音楽にまったく関係ないことで歌を止めた理由が、二十年以上経って、あっさりわかったような気がした。         

私の通っていた小学校は百年以上の歴史を誇る古い公立小学校で、三つある校舎のうち、音楽室のある校舎は木でできていた。二階の廊下の木材には小さな穴が空いていて、そこから覗くと一階を歩く人が見える。そんな歴史ある小学校だったが、合唱コンクールに出場するのは初めてで、他のコンクール常連校に比べたら圧倒的に素人なのだった。甲子園に初出場したはいいけれど、手にはめているのが自分のグローブじゃないように感じたまま試合が終わるみたいに、音響の良い広いホールを実感する間も無く、挑戦は終わった。

コンクールの数ヶ月後、NHKラジオで地方大会の優勝校の歌唱が流れた。
私と、ソプラノのゆかちゃんは、私の家でその放送を聞いた。
電波の入りが良い窓の枠にラジオを乗せて、その横に二人ともあごを乗せて聞き始めたが、たちまち姿勢を正したのを鮮明に覚えている。

リズム、ピッチ、強弱、緩急、全てが完璧。

強豪校の歌唱には,日々のたゆまぬ鍛錬が感じられた。
小学生の、その時期だけに出せる声を磨きあげて、集中力を結して差し出された合唱は,ラジオ電波を通しても、私たちの心身を強烈に貫いた。この人たちは、身を練って練って、歌っていると思った。

歌の終わり方がすさまじかった。
「今ごろ、どこでどうしているーだあろー あー あー あー あー」
というロングトーン四つに、森羅万象すべてが詰まっている。
その当時は森羅万象という言葉は知らなかったので、もっと混沌とした感動だったが、私とゆかちゃんは、おまじないにかかったかのように、その曲の虜になった。

再放送の時、ラジオのスピーカーの近くに録音マイクを置いて、カセット・テープに録音した。
それをゆかちゃんと一緒に聞いた。カセット・テープを何度も巻きもどして歌詞を拾い、メゾとソプラノの音を拾って、二人で歌う。少なくとも百回は聞いたし、三百回は歌った。もはや中毒になっていたのかもしれない。自分たちがコンクールで歌った曲はすっかり忘れてしまって、その曲ばかり歌っていた。

不思議なことに、今でもその曲はまるまる歌える。
それどころか、当時のNHKラジオアナウンサーの、
「埼玉県桶川市立桶川小学校の皆さんの合唱で、組曲地球の歌から、ワレモコウ」
と言う曲紹介まで、完全に真似できる。オケガワ小学校の「ガ」をNHKっぽい鼻濁音で発するところも完コピ。
「五つ六つ五つ六つ五つ六つ散らばって」
と歌うところの、桶川小学校合唱隊のリズムの軽快さも、すべて再現できる。

ただ、歌詞の内容から、ワレモコウが植物だということは、うすうす気づいているものの、どんな草なのか花なのかと言った具体的なことは知る機会もなく、ただ想像上の植物の概念として、桶川(オケガワ)小学校の名とともに、永遠に私の脳に刻まれているのだった。

先日、京都の花屋「みたて」さんからワレモコウが届くまでは。

 *

みたてさんには季節のおまかせ便というのをお願いしていて、月二回、季節の山野草が届く。毎回、手書きのお手紙が添えられていて、すてきな文章の最後に今回の草花の名前が列挙されている。

その中に「ワレモコウ」の五文字をみつけた。
「トリカブト、風船かずら、オミナエシ、ノイバラ、金水引、ワレモコウ、クサボタン、桔梗、オトコエシ、嫁菜、ヤマハハコグサ、釣船草、水引草、ハナイカリ になります」

みたてさんから花とお手紙が届くと、どの名前がどの草花なのかを検索し、ノートにスケッチして、特徴をメモしていく。この時初めて、ワレモコウを検索した。どきどきしたが、40年間、概念としてだけ私の脳内に存在してきた想像上の植物は、iPadの画面にあっさり出て来た。こんどは、それと同じものを、みたてさんから届いた山野草の束の中から探し出す。

ああ、これがワレモコウなのか。

きみは、こんなささやかな植物だったのか。

植物は、いくら愛しくても犬のようにわしゃわしゃ抱きしめることはできないが、私は心の中でワレモコウをわしゃわしゃ抱きしめた。

それにしても、実体化したワレモコウは、本当に地味で小さい。
小学生のころに刷り込まれた、優勝校の歌唱という圧倒的なイメージが、ワレモコウを、宇宙そのものみたいな、大きな概念にしていたのだろうか。

すこし恐ろしかったが、「組曲地球の歌 ワレモコウ」でも検索した。

検索したら、この歌は、まど・みちおさんの作詞なのだった。
「ぞうさん」の作者で、25歳から100歳超えるまで詩を作り続け、膨大な数の詩を残しているまど・みちおさん。

え。まど・みちおさんなら、うちの本棚にずっと前からあるじゃないか。

私は急いで「まど・みちお全詩集」の索引の、「わ」のところを引く。全詩集は、詩と散文が718ページあり、それとは別に、索引だけで65ページもある。読み落としている詞は山ほどあって、その中にワレモコウがあった。索引が示してくれた412ページを開く。どきどきする。小4の時にラジオから聴き取った詞は、実際の詞とどのくらい違うだろうか。

結果、ゆかちゃんと私が小4の時に聞き取りした詞は、「草原」だと思っていたのが「高原」だった以外は、すべて正解だった。我々の耳がよかったのもあるが、桶川小学校の合唱隊の発音が、極めて明瞭だったということだ。彼らも今は、いい中年になっているだろう、会社員なら部長とか、それなりの地位になっている人もいるだろう。ときどき、ワレモコウの歌について思い出したりするんだろうか。





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