SATC 1-2 モデルにハマる男たち

【かわいいは正義か】

第2話は「なんで男はモデル(みたいな女)が好きなの?」っていうテーマ。若けりゃいいの?細けりゃいいの?美人ならいいの?って。日本でも話題になりえるテーマだけど、そこに登場人物として本物のモデルが出てくるから、やっぱニューヨークってすげーな、と思ってしまう。

そしてオチは「男は結局、一緒にいて笑える女性を選ぶんじゃないかな」っていう、ビッグのセリフ。ありきたりなオチだけど、ふとあらわれてそれを言うビッグって…かっこよすぎる。

まあでも、そうだよね、実際。かわいい子から結婚していっているわけじゃないしね。でも性格良い子から結婚していっているわけでもないし。フィーリングってもんなのかしら。

ある程度の年齢(たぶん25歳とか)を超えてくると、彼氏がいる子より、いない子の方が「結婚したい」とアツく語っていたりする。そこから数年経って、望み通り結婚した子は、やっぱりその分努力、というとなんか違う気がするけど、とりあえず行動起こしまくっていた子だなあと感じる。

かわいいだけじゃ待ってても結婚のお誘いなんてこない(芸能人・モデル級のの中で、ほんの一握りの人は除く)、ましては抜きんでてかわいいわけじゃなければ待ってても何も変わらないに決まっている、のに。なのに、なんで夢と希望をそこに持てるのだろう。

キャリーは「30の大台に乗ったとき、ありのままの自分を好きになろうと思った」と、日本語吹替えで言っていた。しかし日本語字幕では「容姿については30歳で悟った」と書かれていた。「あきらめ」と言えばなんだか悲しいけれど、そういうことなのだ。

「理想が高いから結婚できない(彼氏ができない)」んじゃなくて、「自分をお高くおいているから結婚できない(彼氏ができない)」んじゃないかなと思ったりする。「お高くとまる」というのとはちょっと違うくて、「わたしは誰かからアプローチされる、わたしからなんかしなくてもいい」みたいな、お高い感じ。よくわからない、余裕。キャリーのように30歳で「あきらめ」がでてくるのならば、そこに早く気が付いて、自分からアプローチかけた子が、「結婚する(彼氏ができる)」タイプなのかも。

キャリーが自分とモデルを比較して、シャネルの5番の香水とチープな香水、と表現していた。なんともよくできた表現。こんな思い、わたしも何回もしてきたよ。それでも、前を向いて生きていかなくちゃいけない。そりゃあかわいい方が良いし、「カワイイは作れる」のなら、全力で作りたい。でもそこにばかり気をとらわれるのではだめだ、って話。


(こぼれ話)

シーズン1で特にいらないな、というか、気になったのは、キャリーが視聴者に語りかけるようなシーン。「これも取材のためだしねっ(舌をぺろり)」みたいな、誰に言うとんねん、視聴者かいな?的なシーンがちょこちょこあって、それがいらねーって思っちゃった。不評だったのか、シーズン2からはなくなっています。

モデライザーのバークリー。実は盗撮の趣味あり。キャリーがそのことをサマンサに伝える際、日本語吹替えでは「獲物を征服しているところ」となっていたけど日本語字幕では「あの最中」ってなっていた。こういうちょっとした「吹替え」と「字幕」の違いが面白かったります。

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