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「田中泰延」という巨人の肩に乗る【#読みたいことを書けばいい】

 2019年9月現在で第5刷、累計15万部突破し、8月18日にTBSで放送された「林先生の初耳学」の『3分でわかる!林先生のベストセラー学』でも紹介された、田中泰延さんの著書「読みたいことを、書けばいい。人生が変わるシンプルな文章術」(2019/6/13発売、ダイヤモンド社)を読んで、書評を書いてみた。
 この本の中で、田中さんは「だれかがもう書いているなら読み手でいよう」(p.100)と説く。自分としても屋上屋を架す書評は書きたくない。そこで、この本の一節を拝借し「『田中泰延』という巨人の肩に乗る(p.172)と題し、既に誰かが述べていることを言及することは避け、自分がこの本をどうとらえたか書いていった。しかしながらその結果として、とても書評とは言い難い代物が出来上がってしまった。
 それでも「自分が読みたかったから」という衝動(p.240)で書いた「読みたいことを、書けばいい。」という事象に対して生まれた自分の心象を書いた文章であることに違いない。そこで「書評」を「随筆」に改めて、この本の中のわたしが愛した部分を、全力で伝える(p.183)ため、引用したフレーズを太字にして、該当頁を示すことにした。
 「結論の重さは過程に支えられる」(p.189)と田中さんは言う。自分が伝えたい結論をすぐには言わずに、自身の思考の過程である長い文章を書くことに意味があるのだと説く。一方で「大切なことは文字が少ないこと(p.15)とも書いてある。「どっちやねん!」というツッコミは無粋であり、それに田中さんは早稲田大学の先輩なので、失礼があってはならない。そこで長くなった文章の合間に、短い要約を挿入することにした。二律背反を克服することができて、我ながら褒めたいところだ。
 また田中さんは「起承転結」でいい(p.194)という項で、まとまった文章を書く際に意識すべき文章構造=文章のコード進行について述べている。私もこれまでの社会人経験で「伝えたいことは、3つのお題を設定し分割して述べなさい」というコード進行を習ったことがある。そこで、下記の目次の通り、3つのテーマを設定し「読みたいことを、書けばいい。」は一体どういう本なのかを述べることにしたい。

田中泰延と田中角栄の共通点

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 まず「読みたいことを、書けばいい。」の著者、田中泰延さんは、どのような人物であるかを考察したい。一般的な田中泰延さんのプロフィールは、ググればきっと誰かが書いたものが出てくると思うので、やはりここはまだ誰も書いていない方法を採りたい。それは、田中泰延さんと田中角栄の共通点を探ることである。

 田中角栄を知らない日本人はいないと思うが、1993年(平成5年)に亡くなっているので、平成生まれ以降の人たちにとっては、日本史の教科書的存在だと思う。そこで田中角栄とはどういう人物かをまず説明する。

 田中角栄は1918年(大正7年)生まれ、現在の新潟県柏崎市出身である。高等小学校を卒業後は進学せずに就職。その後、衆議院選挙に出馬し当選。1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)には内閣総理大臣を務めた。大都市と地方の格差解消を目指す、自身の政策綱領を著した自著「日本列島改造論」は80万部以上のベストセラーとなり、また高等教育を受けていない学歴を逆にウリにし「庶民派宰相」として人気を博した。しかし、1974年「文藝春秋」に掲載された、金脈問題に関する立花隆の記事をきっかけとして首相を退任。更に1976年(昭和51年)7月には、ロッキード事件で逮捕。しかし逮捕後も、自身が率いた田中派を通じて影響力をもち、自由民主党の「闇将軍」として長い間君臨した、昭和の代表的な政治家であった。

 以上が田中角栄のプロフィールだが、とにかく後援会や自身の派閥を中心に、絶大な影響力と人気を誇った政治家であった。故人のため、若い人にはイメージしにくいだろうが、その影響力と人気を現存する人物で例えれば、安倍晋三首相と頻繁に食事をする仲であり、また昭和63年から平成13年までの14年間、毎年誕生日パーティーを盛大に行い、またそれが毎年ニュースで報道されていた西田ひかるであろうか。  

 なにはともあれ「田中泰延」と「田中角栄」分野は異なれど、両者ともに巨人的な存在である。そんな両者の共通点は何か。それは、

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> 「田中」という苗字 <
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である。 「ふざけるな!」と怒られそうだが、ふざけているわけではない。もう少しだけ話を続けさせてほしい。
 「読みたいことを、書けばいい。」の中でも、特に話題となった田中泰延さんの新卒就職の時のエントリーシートを読むと、次の記述がある。
 尊敬する人とその理由 「父。結婚を6回したので」(p.126) 
 また帯の糸井重里さんの推薦文に、次のような田中さんの人物評がある。
 「大柄なジゴロにも、なれそうな男
 次に、田中角栄の家系図を見てもらいたい。

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出典:「田中角栄とは?田中家の家系図を紹介!歴史に名を残した政治家」
 有名な話ではあるが、田中角栄は、正妻とは別に秘書、芸者と愛人関係となり、子供をもうけている。
 以上の事実から導きだせるのは、田中一族の男性は、複数の女性と結婚、あるいは男女関係になる位、「人たらし」のスキルに長けているのではないか、という仮説である。

 田中一族の男性の特徴をもう少し考察していきたい。田中角栄の語録および演説について考察した本である「田中角栄 心をつかむ3分間スピーチ」(2016/6/29発売、小林吉弥著、ビジネス社)から、田中角栄のスピーチの特徴である「角栄節」の特徴に言及した一節を引用する。 

会場での一体感をつくり上げる手法は、じつに多彩であった。比喩、たとえ話をふんだんにまじえて笑いを誘う一方、突然、トーンが変って数字の速射砲を浴びせかける。数字による説得は、何より強い。聞き手は現実を厳しさを知って目を覚ます。また、夢を与えることも忘れず、ときに情のある話をさりげなくでシンミリさせ、最後は結びをピシャリと押さえるのである。聞き手が退屈しているヒマはなく、その緩急自在はけだし絶妙、見事という他はなかった。

 「読みたいことを、書けばいい。」を読み終えた人ならば、もうピンときたと思うが、これら角栄節の特徴は全て田中泰延さんの文章に当てはまる。個々について、具体例に提示することはしないが、ひとつだけ紹介すると、最後に結びをピシャリと押さえたのは関羽である。

・ユーモアで笑いを誘う
・事実を提示し現実の厳しさを示す
・夢を与えることも忘れず、時には情のある話でシンミリさせる
・退屈しているヒマはなく、緩急自在な話

 こうした特徴は、田中さんは明言していないが、この本の中で実践されている「文章術」である。この「人たらし」田中一族の話術・文章術は、天性のものであり、簡単に真似できるものではないが、少しでも参考にしたいものだろう。

 往年の田中角栄は、「角栄節」の演説に酔いしれた新潟の有権者を見て、ここぞとばかりに「田中角栄に清き一票を」と訴え、選挙に圧勝していたのだろう。なお「清き一票」の訴えに相当する、田中泰延さんの決め台詞は、もちろん、この言葉である。

「いずれにせよ購入することが大切だ。(p.1, p.6)」

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「田中泰延と田中角栄の共通点」の要約

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 「読みたいことを、書けばいい。」には、著者の田中泰延さんが、明言はしていないが、自ら体現している「角栄節」と共通する文章術がある。

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怒涛の国語と個人指導!

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 田中泰延さんは、コピーライターとして、日本で最大の広告代理店である電通に24年間勤務していた方である。したがって「読みたいことを、書けばいい。」を考察する際は、その広告も含めて考察の対象とすべきであろう。そこで、書店に置かれていたPOPを見てみることにした。

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「圧倒的な読みやすさで大反響!」「最小限の文章量で最大級の破壊力!」というコピーが力強いが、副題「人生が変わるシンプルな文章術」にあった「文章術」等、この本の内容に関連するキーワードは一切出てこないので、このPOPを見る人は「『圧倒的な読みやすさ』や『最大級の破壊力』の意味が分からない」「この本はどういう本なのだ?何の役に立つのだろう?」といった違和感をもつかもしれない。

 ところで、私の画像分析AIで解析したところ、この書店に置かれているPOPと類似している広告として、下記の電車内広告を提示してきた。

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 首都圏に展開している大学受験予備校「みすず学苑」の広告である。
 この電車内広告は、この予備校が校舎を展開する、中央線・京浜東北線・武蔵野線・常磐線・総武線等の車両の扉で見つけることができる。なぜ類似広告としてヒットしたかというと、次のような特徴が合致したからだろう。

・全体の背景色が青っぽい
・右側にある赤太字のコピー(「糸井重里」「怒涛の英語と個人指導!」)
・右半分の色が白っぽい(背景色が白・ヤマトタケルの白衣装)
・白抜き文字が目立つ

 一方、異なる点としては、みすず学苑の広告の方は、ヤマトタケルやサイ、ゾウ、宇宙人、縄文太郎が登場し、背後にプリンが飛び交っているが、「読みたいことを、書けばいい。」の広告の方は文字のみである。
 しかし、文字だけの広告は物足りないと感じたのか、大阪・心斎橋の本屋さんが、うさぎのキャラクターや、バナナや桶で股間を隠した全裸姿の田中泰延さんが飛び交う可愛いイラスト広告を作成している。

 みすず学苑の広告にも似たカオスっぷりが漂っているが、なぜ「読みたいことを、書けばいい。」は、このような子どもっぽい遊び心あふれたPOPを作りたくなる気にさせる本なのか。私は検証のため、実際にバナナを購入し、全裸になって股間をバナナで隠してみたが、隠し切れずにハミ出してしまい、検証は失敗に終わった。この考察は今後の課題としたい。

 しかし、なぜよりによって「読みたいことを、書けばいい。」のPOPが、みすず学苑の広告と似ているとされてしまったのか。正直に言うが、私は、みすず学苑の広告が嫌いだった。一応、これでも私は普段は真面目なサラリーマンなので、朝の通勤時からは、頭を仕事モードに切り替えようとする。しかし通勤電車で不意打ちのように、みすず学苑のクレイジーな広告が目に入ると、ちょっと眩暈がして、せっかく入れた気合いがリセットされてしまうのだ。きっと同じようなビジネスマンは多いと思われ、首都圏のビジネスマンの生産性に悪影響を及ぼしているに違いない。

 大体、大学受験の予備校のターゲットは高校生や浪人生とその親である。それなのにみすず学苑の広告には、訳の分からないキャラクターが多数登場する。「怒涛の英語」というキャッチフレーズも勢いだけは感じられるが、意味が分からない。よく言えば、子どもっぽい遊び心があるともいえ、小学生ならば喜ぶかもしれないが、ターゲットの受験生に対して訴求する広告としては意味不明で不気味であり、違和感を覚えざるをえない。

 みすず学苑のホームページを見てみたら、やはり広告に対する問い合わせは多数来ているようで、「みすず学苑CMの謎を解く」というページに、「 みすず学苑の広告やCMは、なぜ毎年、あんなに意味不明なのですか?」というストレートな質問があった。以下に、その質問に対する回答の一部を抜粋する。

 まず、「意味不明」というのは、本当は間違ってます。なぜなら、みすず学苑の広告には、一貫したポリシーがあるからです。それは、「受験に関する、言葉遊びで一貫してること」です。終始一貫、ダジャレを通し、最後は、「怒濤の合格みすず学苑」を連呼して終わりです。
 (中略)    
  15秒、30秒のテレビCMや、ポスター等では、「何か珍しいCMがあるな、みすずのCMだな」と、学校名やキャッチコピーを覚えてもらえばいいのです。短いCMでは、名前や存在を覚えて頂くことが、まず大切です。携帯電話会社のCMに、意味無くしゃべる白い犬が出てきても、「なぜ犬がしゃべるのか? 携帯電話と犬の一家に、どういう関係があるのか」と、聞くのは野暮でしょう。テレビCMは、関心をもって頂くことに意味があり、それ以上の説明は、新聞広告やWEBを見たり、みすず学苑に、直接お問い合わせ下さればいいのです。

 この回答を読んだ当初は「まあ理解できなくもないが、広告のプロが言っているわけではないし、ホントかなあ?」と半信半疑だった。

 しかし「読みたいことを、書けばいい。」を読み終えた今、ハタと気づいた。これは田中泰延さんが、文章術コラム①「広告の書き方」(p.68)で述べている考え方と全く同じである。以下に該当箇所を引用する。

子どもに効くメッセージは大人の脳の中の子どもの部分にも効くのだ。どこからみても中年男性の総務課長にも、心の奥底には小学生の頃の自分が入っている。(p.83)

CMソングもそうだし、商品名や商品特徴に引っ掛けた一見幼稚なダジャレもそうだ。商品名や企業名をとにかく覚えてほしいときなどは、理屈ではない、子どもの心で発想したアイデアが生きてくる。(p.83)

 私はこの箇所を読んで、すぐに前述のみすず学苑の回答を読み返した。そして、電通に勤務していた広告のプロフェショナルからみても、あの広告のやり方は理にかなっているのだと理解し、偏見をもっていた自分を恥じた。みすず学苑の様々なキャラクターやダジャレは、とにかく自分たちの名前や存在を覚えてもらうためことが目的の、子どもの心で、理屈抜きで発想したアイデアだったのだ。
 そういえば、この回答文を書いた、みすず学苑の校長について調べたところ、あの西田ひかるが観光大使を務める兵庫県西宮市の出身だった。やはりダジャレ好きで「すべるのがスキー」(p.114)なところが関西人らしい。

「商品とあまり関係ないが、制作者自身がおもしろいと感じること」を広告にしてしまう、これも1つのやり方だ。(p.84)

まず自分がおもしろくなければ、他人もおもしろくないだろう、という考え方である。(p.84)

 みすず学苑の広告には、ターゲットである受験生や、予備校の商品ともいえる教育メソッド等とは無関係のコスプレやダジャレが飛び交う。見る人に「何だこれは?」「意味が分からない!」と違和感を覚えさせるものであっても、自分たちが面白いと信じているものを広告にしてしまうことで、その違和感が強烈な「破壊力」(インパクト)に変容し、見る人たちの記憶に残る印象深い広告となるのだろう。奇しくも、この広告手法について、みすず学苑も田中さんも、携帯電話会社のCMを例に出して説明している。

 この手法は広告に限った話ではなく「読みたいことを、書けばいい。」の冒頭に出てくる、職業適性判断チャートの記事の例でも同じことが言える。「あなたはゴリラですか(p.1)」という問いは、常識的に考えれば、職業適性判断チャートにはふさわしくない、違和感を覚えさせる選択肢である。それでも、書いた人が自分が読みたいから書いてしまったこと、またゴリラという動物ネタを出すところに子どもの心で発想したことが感じ取れる。だから田中さんの記憶に残り続ける位、破壊力のある記事になりえたのだろう。

 そして前述した通り、「読みたいことを、書けばいい。」のPOP自体も、コピーの文章だけでは、文章術の本だと分からず、みずす学苑の電車内広告と同様に、「何だこれは?」と違和感を覚える広告である。

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 しかし、今ではこれも意図的なものだと理解できる。「何だこれは?」と見た人の興味を引くことを狙っているコピーなのである。加えて、田中さんは、何を言うかよりも誰が言うかで勝負が決まる場合もある(p.76)とも述べている。「糸井重里」とでっかく赤字で書かれているのを見て、「何かよく分からないけど、糸井重里が薦めているから役立つ本なのだろう」と思い、もしくは「糸井重里の本だから面白いのだろう」と誤解して、本を手に取る。そして最初の1ページで「あなたはゴリラですか?」の破壊力最大級のエピソードをぶつけて、立ち読みする読者をノックアウトする作戦なのだろう。この作戦については、前述の大阪・心斎橋の本屋さんが、うさぎのイラストで分かりやすく図解してくれている。

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1.ちょいと立ち読み(POP←何これ?でも糸井さんが薦めるなら読むか)2.フルフル震え笑う(「あなたはゴリラですか」←ヾ(≧▽≦)ノ笑笑笑)
3.   買っちゃう(「いずれにせよ購入することが大切だ」←ハイ!)

  最初でノックアウトされなくても、数ページに一回は、田中さんのギャグやユーモアがはさみこまれる。このジャブのように撃ち込まれる「怒涛の」ギャグの連続がじわじわ効いてきて、最終的に叩きのめされるのである。
 この項の冒頭で「読みたいことを、書けばいい。」のPOPが、みすず学苑の電車内広告に類似していることを述べた。「読みたいことを、書けばいい。」に、みすず学苑風のキャッチコピーをつけるならば、日本語の文章に関する本なので「英語」の部分を「国語」に替えて、

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> 怒涛の国語と個人指導! <
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といってもいいだろう。
 「個人指導の要素はどこにあるのだ?」という疑問もあると思うが、下記のインタビュー記事によれば、田中泰延さんは「読みたいことを、書けばいい。」を読んだ大学生に作文指導をしている。

「大学生に作文をメールで提出する課題を出したら、名前も大学名も名乗らず、作文だけが添付で送られてきたので不合格にした」という主旨のツイートをしたんです。これ、僕の本を買ってくれた知り合いの大学生に頼まれて添削を行った際の、私的なやりとり(以下略)

  きちんと「個人指導」の要素もあるのである。それにしても人にメールを出す時には、自分の名前と所属組織名は忘れずに書いておきたい。

 最後に「みすず学苑」の広告には、どういう定義かは全く不明だが、例年「難関大学進学率」が小数点第2位のレベルまで記載されており、2018年の実績は93.63%である。
 一方「読みたいことを、書けばいい。」で、田中泰延さんが提唱するのは「物書きは『調べる』が9割9分5厘6毛(p.144)」すなわち99.56%である。
 小数点第2位までこだわって100.00%を目指す両者の姿勢は、常識にとらわれない子どもの心の発想等とあわせて、見習っていきたいものである。

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「怒涛の国語と個人指導!」の要約

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 常識にとらわれない子どもの心で発想した、自分が面白いと思った読みたいことを書くことで、人々の記憶に残る、インパクトのある広告や文章ができる。これは「読みたいことを、書けばいい。」における重要なメッセージの一つであり、また本書や広告などで自ら実践しているものである。

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青年「失業」家のキャリアアドバイス

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 最後の項では、まず「青年失業家」の「失業」の意味を解き明かすことにしたい。そしてこの本の副題でもある「人生が変わるシンプルな文章術」とは何かを考察することにしたい。
 
 「ことばを疑うことから始める(p.64)」という項では、田中さんが歴史に関する記事を執筆している時に、不意に「幕府」という言葉の意味が分からなくなったエピソードが紹介されている。その時の経験から、田中さんは、自分自身が言葉の実体を理解していないと、他人に意味を伝達することはできないのだと説く。
 ところで、私が「読みたいことを、書けばいい。」をずっと読んでいて、不意に意味が分からなくなった言葉がある。

それは「失業」である。

 この本の中で、田中さんは自分自身のことを「無職」「青年失業家」と語る時もあれば、ライター業や様々なセミナーの講師等と語る時もある。果たして、田中さんは起業して仕事をしているのか、それとも失業して無職のままなのか、よく分からなくなってきた。この本では、定義をはっきりさせよう(p.60)とも田中さんは言っている。そこで、インターネットの色々なサイトをあたり「失業」の定義を調べてみたところ、おおむね下記のような定義であった。

 失業: 
仕事を失うこと、および働く意思も能力もあるのに仕事に就けない状態

 また総務省の「日本標準職業分類」によれば、「仕事」と「職業」について、次の定義がある。

仕事
 一人の人が遂行するひとまとまりの任務や作業をいう。

職業
:  
個人が行う仕事で、報酬を伴うか又は報酬を目的とするものをいう。

 これらの定義に従うと、田中さんは失業の状態ではなく、仕事をしているように思える。では、田中さんはどういう意味で「失業」という用語を使用しているのだろうか。
 前述の「幕府」のエピソードで、田中さんは「鎌倉幕府」の英訳である「カマクラ・ミリタリー・ガバメント」(p.67)という英語を見て、「幕府」の本質が軍事政権だと気づき、腑に落ちたと述べている。そこで、「失業」を英訳してみた。

「アンエンプロイメント(unemployment)」

まったく腑に落ちない。
 続いて、「失業」と50回書いて唱える(p.65)ことを試みた。

失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業失業
 
 ゲシュタルト崩壊して、たまに「銛でカニを生捕りしようとする漁師」に見えてくるが、「失業」の意味は相変わらず分からない。 
 田中さんは「青年失業家」と名乗って、どこが青年だという厳しい批判にもさらされた(p.24) そうだが、私は、むしろどこが失業だという批判をしたくなった。しかし、文章を書くとき絶対に失ってはいけないのが「敬意」だ。(p.184) ここはやはり「読みたいことを、書けばいい。」を丹念に読み込み、「失業」の意味を紐解いていかなければいけない。そこで、まず私はこの本の中で、田中さんが自分自身の職業について言及している記述を洗い出して並べてみた。

わたしは、まがりなりにも文章を書いて、お金をもらい、生活している(p.4)

2016年、会社を辞めて、無職となってしまった(p.19)

無職となったわたしは「青年失業家」と名乗った(p.24)

わたしの書いた映画評などを読まれた方たちが集まる場に赴いて、僭越ながら講義などすることが増えた(p.32)

2018年から「写真者」という肩書も名乗っている(p.45)

わたしが講師として登壇させてもらっている授業(p.58)

退職してからも依然として東京コピーライターズクラブと大阪コピーライターズクラブの審査員(p.68) 

わたしたち広告制作者(p.89, p.90)

いまわたしが次の職業に選んだ「ライターとして文章を書く」(p.92)

退職してからも地方自治体や各種団体からの要請でいわゆる「就活セミナー」の講師を務めている。(p.116)

わたしは以前、ライターゼミの講師を務めたとき(p.151)

終電を気にするのは無職のわたしだけである(p.234)

序章でわたしは、なぜサラリーマンを辞職して、書くことで生活するようになったかを述べた。(p.239)

2016年に退職、「青年失業家」と称しフリーランスとしてインターネット上で執筆活動を開始。(袖)

「明日のライターゼミ」講師 (袖)

 田中さんは、ライターという職業を選び、ライターゼミや就活セミナーの講師も務めている。また「青年失業家」は無職の状態というより、フリーランス、個人事業主としての執筆活動を指しているように思える。更に、田中さんが次のようなツイートをしているのを発見した。

 田中さんは、1年間は「失業」保険をもらうと書いている。無報酬ということは、先の定義でいえば、仕事はしていても、職業には就いていなくて、無職である。とはいえ、仕事をしている状態で、失業手当の給付を受けることができるのだろうか。そんな疑問が浮かび、調べてみたところ、2014年の記事ではあるが、次のような日経の記事を見つけた。

政府は起業を準備している人にも雇用保険の失業手当を払う。いまは準備段階の人は「自営業者」とみなして失業手当を支払う対象としないことが多いが、今後は原則として払うように運用を改める。最長1年間、前職の賃金の5~8割の失業手当を給付する。サラリーマンが起業のために会社を辞めても、急に現金収入が途絶えないようにして、起業を後押しする。

 私はこの記事を読んで、やっと腑に落ちた。2014年から、起業の準備をしている人には最長1年間、雇用保険の失業手当が支払われる運用になっているのだ。田中さんは2016年退職なので、上記の運用期間にあてはまる。
 ライター業として開業届を提出していれば、青年実業家といえるだろう。しかし、起業前の「失業」手当が支払われている準備段階だから、田中さんは青年「失業」家と称した、そして「失業」というのは「失業手当を受けている状態」という独自の定義なのだと理解した。

 もちろん、この「失業」の定義は私の勝手な解釈でしかない。ただ、この起業準備中の状態に「青年失業家」というキャッチコピーをつけたならば、ズバリはまっていると思う。「青年失業家(せいねんしつぎょうか)」は、「青年実業家(せいねんじつぎょうか)」には、濁点ひとつ分だけ足りないという感じが、プロのコピーライターの技を感じさせる。
 それに、地方自治体や各種団体からの要請でいわゆる「就活セミナー」の講師を務め(p.116)文章術コラム②「履歴書の書き方」(p.116)では、型破りなエントリーシートの書き方を提示した結果、Amazon売れ筋ランキング 学生の就職(エントリーシート)で1位をとってしまった人の肩書が「青年失業家」というのは、ちょっとシュールで面白い。

 しかし「青年失業家」といった肩書も、言葉だけ聞くと、会社を辞めフラフラしているイメージを勝手に抱きがちだが、それは誤解であり、田中さんは相当の覚悟をもって、真剣に書くことを次の職業に決めたのだと分かる。そのことが分かる箇所を「書くことはたった一人のベンチャー起業」(p.232)から引用する。

DeNA、GMO、ザッパラス、KLab、パーソナルキャリア、北の達人コーポレーション・・・・・・これら東証一部上場企業を創りあげていった仲間たちに共通することは「金持ちになりたいのではない。自分の正しさを証明したいのだ」ということであった。(p.233)

書くことはたった一人のベンチャー起業だ。
わたしは、なかなかにいい給料が振り込まれていた電通という会社を、なんの保証もなく辞めて50代を迎える。それは自分がおもしろがれることが、結果として誰かの役に立つ、それを証明したいからなのだ。(p.237)

 田中さんは、東証一部上場企業の社長となった大学時代の仲間と同様に、自分の考えが正しいことを証明するために、ライター業として起業しようとしている。「読みたいことを、書けばいい。」は、書くための考え方を示す本(p.15)ではあるが、一方で「書くことを職業に決めた田中泰延さんの決意表明の本」でもあるのだ。
 つまり、本気で起業を志す人からのキャリアアドバイスが、この本には書かれている。それも「人生が変わる」レベルの話である。そのへんの会社勤めのサラリーマンよりも、就職活動やキャリアについて、はるかに考え抜かれたものであり、それは、この本の副題「人生が変わるシンプルな文章術」と、第4章の副題「生き方を変えたいあなたへ」からも伺える。ちなみに 「人生変えちゃう夏かもね」は、田中泰延さんではなく西田ひかるである。紛らわしいので、間違えないように注意したい。

 果たして「人生が変わる」文章術とはどういうものなのか。わたしなりの解釈だが、田中さんが語るキャリアアドバイス、また田中さん自身のライター業へのキャリアチェンジの経緯は、2019年5月に亡くなられた、スタンフォード大学の教育学・心理学教授であるJ・D・クランボルツ教授が提唱する「計画された偶発性理論」というキャリア形成理論とその事例に近い。
 ちなみに「ハーバード流スタンフォード術」(p.187)とは全く関係がない。紛らわしくないが、間違えないように注意したい。

 その解説については、当初、この記事の中に記述していたのだが、あまりに長くなって18000字を超えてしまったので、下記の通り、別の記事を起こした。こちらを参照していただきたい。

 「読みたいことを、書けばいい。」は、「人生が変わる」文章術の本であり、キャリアアドバイスの本でもある。「だいたい、わたしはビジネス書なるものが世界で一番嫌いだ。」(p.187)と語る田中泰延さん曰く、この本は「ハウツー本」でも「ビジネス書」でもない(p.68, p.116)とのことではあるが、ビジネス書に相当する効用はある、就職活動中の学生さんにもおすすめできる役に立つ本である。

ていうか、ビジネス書である。

 田中さんは次のように語る。
 「だいたい、1500円くらいで買ったビジネス書が人生を根本から変えて、めきめきとスタンフォードできたり、みるみるうちにハーバードするなら苦労しない。そういった本には、妙に結論めいたことがズバッと書いてあったりするのだろう。」(p.188) 
 わたしはこの箇所を読んで、裏表紙の記述を思い出した。

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 定価(本体1500円+税)と、「ビジネススキル」という文字が小さく書いてある。
 これはいったいどういうことなのだろうか。この本を当初、ビジネス書として企画した(p.269)ダイヤモンド社の編集者・今野さんの「やっぱりビジネス書にしたい」という、ささやかな抵抗なのだろうか。色々考えてみたが、やはり188ページの記述は、田中さん流のボケでツッコミ待ちではないかと解釈したので、こうツッコミたい。

「人生変わる副題つけた1500円のビジネス書を書いてるのは、あんたや!」

 いずれにせよ、糸井重里さんの言葉を借りれば、役に立ってしまうのは本意ではないだろうが、立たせてしまったのは、うっかり実用的なことを書いてしまう(p.68,p.116) 田中さんのせいである。田中さんが文章を書いて、今野さんに見せて「それは誰かの役に立つか?いままでになかったものか?」(p.236)と考え抜いたからこそ、1500円という値段のつく価値ある意見が掲載されている本になったのである。

 この本を読んでも、人生を根本から変えて、めきめきとスタンフォードできたり、みるみるうちにハーバードする(p.188)ことはできない。しかし人生をより楽しく変える術を学ぶことができる本である。この本の最後の方で、田中さんはこう語っている。

 いまのところ、べつに金持ちにも有名人にもなれないが、わたしの人生はパッと変わった。書いて生きる毎日は、苦しいが、楽しい。(p.262)

 「読みたいことを、書けばいい。」における、田中さんのキャリアアドバイスは、大胆なエントリーシート等、一見、奇異に思えることはあっても、それは建前や綺麗ごと抜きの現実に根差しているからであり、きちんと読めば、役に立つものばかりである。就職活動中の学生さんには、この本のアドバイスに従っても、全く心配無用であることをお伝えしたい。

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「青年「失業」家のキャリアアドバイス」の要約

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 「青年失業家」の「失業」の意味は、起業準備中で「青年実業家」一歩手前の、失業給付を受けている状態を指す、田中泰延さんのキャッチコピーである。「読みたいことを、書けばいい。」は、文章術の本であるが、一方で、就職活動中の学生へのキャリアアドバイスの本でもあり、また、ライター業として起業する、田中泰延さんの決意表明の本でもある。

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おわりに

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 以上、田中泰延さんの著書「読みたいことを、書けばいい。」について、田中角栄やみすず学苑等と絡めながら考察してみた。私も「なぜこんなことをしているのかわからない」という気持ちが湧き上がる(p.240)ことが何度もあったが、腰の痛みと眠気に耐えながら1万字の原稿を書いた。(p.109)  
 もっと正確に言うと、13887字書いた。原稿用紙35枚分、Twitterに換算すれば100ツイート、ダイヤモンド社の編集者の今野さんのnoteによれば、「読みたいことを、書けばいい。」の総文字数は約77000字とのことだから、私の文章は、対象の書籍の約18.02%の分量である。
 しかし悲しいことに、私は宇多田ヒカルでも、西田ひかるでもないので「だれも読まない(p.109)」のだろう。
 果たして、この文章の最初に述べたように、巨人の肩に乗るような文章を書けたであろうか、と省みたところで、今更ながらタイトルを覆すレベルの致命的失敗に気づいた。田中泰延さんは阪神ファンであり、巨人は糸井重里さんの方だった。しかも、西田ひかるも巨人ファンだった。
 そうなると「『読みたいことを、書けばいい。』の虎の巻」と改題して、書き直した方がよいのだろうか。ていうか、「読みたいことを、書けばいい。」の虎の巻って何だ。自分で言っていてよく分からない。
 ともかく13887字書いてしまった今、書き直す余力はない。田中さんには「西田ひかるは巨人ファンのままだが、兵庫県西宮市在住で、旦那と息子が阪神ファン」という豆知識情報の一次資料を提供することで、ご容赦いただきたい。

 自分としては愛と敬意(p.185)を込めて書いた文章のつもりだが、果たしてあるある・る・る、愛があるだろうか。きっと大丈夫だと思ってはいるが、少し心配なので、機会があれば、田中泰延さんのトークイベント等にお伺いし、直接「ありが」(p.268) と感謝の言葉を伝えたい。そして、ハリセンではたかれるべく、自らの頭を差し出す所存である。


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