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この世界の片隅に

先日『この世界の片隅に』という映画が地上波のテレビで放映されていた。
このときは観なかったが、以前この映画は観たことがあった。

以前観たのは終戦記念日の日に観たので、観てからおよそ1年が経っていて、けれども覚えていることがあるか振り返ってみると一つ強く印象に残ったシーンがあった。

あらすじは、昭和19年(1944年)に広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描く物語で、そのすずが嫁いだ先の呉という軍港が空襲に、絵を描くことが好きだったすずはその右腕を失い、そして出身地が原子爆弾で破壊され、母、父、姉もその被害を受けるなか、終戦を告げる玉音放送が流れる。


聴いていた他の者は、やっと終わったか、というような面持ちで生活に戻ろうとするが、すずは違った。

今まで失ったもの、我慢してきたこと、耐えたこと、戦いの最中だから、勝つためだからと、圧し殺してきたものが、爆発したように、ラジオに叫び、丘の高台でぼろぼろ泣いていた。

普段おっとりした性格で、喜怒哀楽が激しくない主人公の感情が爆発したシーンだったので、戦いが続き、勝つためだからと圧し殺せたものが、もう終わりです、負けました。
と聞いたときの、「ならば今まで失ってきたものは、仕方ないと我慢した気持ちは何だったんだ」という感情の行き場の無さを、その激しさを描いたシーンだったので、心に残ったのかもしれない。


この映画のラストシーン。
広島では、長崎では、戦後の日本では、みんなが誰かを探していたし、誰かから探されていた。

この世界の片隅で、探していたあなたと再会できたことは奇跡のようでほんとうに嬉しかったと思う。



今ものが溢れ、豊かな僕らにその感情はないかと言うとそんなことはないと思う。
改札で空港で玄関先で、それは街中の至るところでほんとうは起こっている。

あとはそれに僕らが気付くだけ。
この世界の片隅で、大切な人に、巡り会える、巡り会えた奇跡に。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
お互いが大切な人を守るために敵と戦うのなら、同じ目的なので、お互い戦わないで帰るという選択肢もありそうなものですが、そうではない人の欲望が強いのでしょうね。


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