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【レポ】映画「エリザベート1878」

珍しく映画を観ました。「エリザベート1878」(原題「CORSAGE」)

そう、ミュージカルファンならご存知の、あのエリザベートを題材にした映画。オーストリア・ハプスブルク皇帝フランツ・ヨーゼフの妻・皇后として有名なエリザベートの、40歳の1年間をドキュメンタリーチックに描いた作品です。

彼女は実は、謎のベールに包まれたところも多い人物。絶世の美女だったと言われていますが、一方で希死念慮、精神の異常、あるいは死というものへの憧れを抱いていたという説もあります。また自由な家で育ったこともあり、堅苦しい宮廷での生活に疲弊し、何かと言い訳を作っては帝都ウィーンから逃げるように旅に出た、奔放なイメージももたれています。

ウィーン・東宝のミュージカルでは、このイメージから「死(トート)」の存在を使い、ある種のロマンス要素を入れながら彼女の人生を"上演する"という体で作られています。

僕はミュージカルを観る際、特に歴史的な題材があるものは、観劇前後で歴史を少しだけ勉強してみたりするのが好きなのですが、今回もまさに、「勉強」的な意味も込めて、観てきました。

※以下、ネタバレありですのでご注意を!

総論

全体としてまず、エリザベートについてある程度の知識があることを前提にしている感じはしました(その意味で僕は楽しめた)。その点、背景が端折られているところもあり、バックグラウンドなどを丁寧に説明するタイプの映画ではないです。

彼女がなぜ、ことあるごとに旅へ出るのか、美しさに執心するのか、このあたりはミュージカル版で知っている人はすんなり理解できそう。
食事はオレンジ2つしか食べないとか、ところどころで感じる希死念慮、ルドルフとの微妙なすれ違いなど、ミュージカル版と通ずる設定があります。

ミュージカルでは彼女のエゴにスポットが当たっていて、きらびやかなお姫様のイメージも強いですが、本作はエゴももちろん感じるものの、どこか心ここにあらずな、空虚で退廃的な雰囲気も感じます。シシィに喫煙のイメージはなかったのですが、この映画ではことあるごとにスパスパ吸ってます(調べると史実でも吸ってたみたいです)。

全体的にドキュメンタリー風の仕立てで、BGMなども控えめ。

1878

ミュージカルなら60年間を3時間で描きますが、こちらは約2時間で、40歳の誕生日を迎える少し前から1878年の1年間を描いていて、その瞬間のエリザベートをのり深く伺い知ることができます。

1878年、「40歳」の彼女をピックアップしたのは、すごく良い視点だなと感じました。あえてウィーン版ミュージカルでいうと、ちょうど2幕中序盤あたりでしょうか。

ハンガリーとの二重帝国が成立して10数年経ち、なにもかもうまくいかない宮廷生活で、唯一彼女が手にしたと言えるハンガリーの存在感はとても大きい。
また、彼女が宮廷生活を生き延びるたの武器とした美貌にも陰りが出始める40歳という年齢は、彼女の異常なまでの美への執着を描くのに、ある意味ちょうどよい設定だと思います。

周囲の登場人物では、のちに非業の死を遂げることになる皇太子ルドルフは19歳前後で存命、誕生以来最初から彼女が手元で育てた唯一の子・ヴァレリーはまだ幼い。親交深かったとされるバイエルン王ルートヴィヒは、史実ではのちに変死することになりますが、作中では元気に自由を謳歌(ミュージカルでは終盤「悪夢」で出てくる一人)。
ちなみにミュージカル版では存在感の大きい、姑の皇太后ゾフィーは1872年に亡くなっているため、作中に登場しません。

束縛

この映画の原題は「CORSAGE」で、コルセットを意味するようです。邦題は、日本人に印象付けやすい意味で「エリザベート」の固有名詞を持ってきたのですかね。

エリザベートは、宮廷生活は自分を縛り付けるものとして感じています。その辛い宮廷生活を生き抜くために、美貌の維持に執心します。
ですが皮肉にも、美貌の維持に努めれば努めるほどに、抗えない老いという現実を突きつけられ、さらに苛烈な執着心に縛られる。自分を自由にするための武器が、かえって自分を締め上げている。まさに原題の、「コルセット」のように。

しかも彼女は、それを周囲にも求め、縛り付けます。愛娘のヴァレリーには、非皇族的な振る舞いや、彼女にとって自由の象徴たるハンガリーの文化を。侍従たちには、生涯独身を貫くことを。
誰よりも自由を愛した彼女が、周囲の自由を縛り付けるのも、なんとも皮肉でエゴイスティック。

自由

規律と伝統の塊である宮廷生活を嫌い、自由を愛するというのは一般的なエリザベート像に合致しますが、自由=死というのが本作では強調して描かれているように思います。実際中盤で、フランツと喧嘩した挙げ句に窓から飛び降りてますし、落馬して馬が亡くなった際は、なぜ馬が死んで自分が死ねないのか、と口にしています。

そして何よりも衝撃のラスト。イタリアの海の船上から、海へダイブするところで終幕。ここで彼女は死んでしまったのか、はたまた生き延びて、史実通り残り20年を生きたのかは不明です。
作中で海が好き的なことを言っていて、ルートヴィヒから「僕の湖で死んでくれるなよ」と言われてましたが、まさかそれがラストに繋がるとは。

侍女のマリーを見事に影武者に育て上げていくあたりから、過度なダイエットをしていたにも関わらずクリームを口にしたり、夫の愛人を皇后自らのお墨付きで用意したり、様子がおかしいなとは思っていましたが、このラストのための準備だったわけです。

彼女にとって死は、世間の理想とする皇后像から、自分を満たすことのできない世の中からの、解放であり、尊厳でもあったのかもしれません。

またミュージカルでも「精神病院」のシーンは中々に強烈な印象を残しますが、この映画でも精神病院のシーンは印象的。ミュージカルでは狂った人を見て「あなたのほうが自由」と歌うエゴが描かれていますが、本作では多くは語られません。ミュージカルよりもより生生しく描かれる精神病患者たちに、一体彼女は何を思ったのか。

満たされない心

この映画でのエリザベートの印象的なところは、目の虚ろさ。死を愛し焦がれるような目でもなく、周囲の好奇の目に怒るわけでもなく、彼女の魂はこの世にはないかのような、心ここにあらずの様相。

夫であるフランツ、馬術師のベイ、自由にくらすルートヴィヒなど、様々な男性とも体を重ねる(未遂含む)けれども、それでも心は満たされない。(語弊があるかもですが少なくともこの時代においての)女性としての価値すらも見いだせない。

その様子を踏まえて観る終盤の彼女は、着々とマリーを影武者に仕立て、夫には愛人を充てがっていくのですが、微笑みをたたえ、どこか誇らしげな表情にすら見えました。
影武者として表舞台に立ったマリーを見て、何も知らない娘のヴァレリーが「あのときのママは威厳があった」と話したとき、エリザベートの中でなにか決心がついたようにも見えます。

世間も、夫も、娘でさえも、自分を満たすことがないと諦めたとき、ラストシーンに至る計画が思いついたのか。自身の尊厳を守るために。

踊る時は

本編ではないのですが、エンドロールでは、彼女が心のままに踊る様子が描かれます。ミュージカルでの「エリザベート」が好きな僕は、劇中歌「私が踊るとき」にリンクしました。

一人でも 私は踊るわ
踊りたいままに好きな音楽で
踊る時は命果てるその刹那も
一人舞う あなたの前で

東宝版エリザベート「私が踊る時」より

この歌はトート(=あなた)に向かって歌う曲なので、歌の背景などと完全に一致はしませんが、海へ飛び込むラストシーンからのエンドロールダンスは、彼女の魂の解放、自由、そんなものを感じさせました。

途中からヒゲをつけて踊っていたのは、その意図まで理解できなかったですが…この話は男女関係なく、人が人として生きる上で通じるところがあるよね、ってことかな?

まとめ

きっともっと色々と書けるところはあるのですが、なんせ1回観ただけなので、記憶があるところでというと感想はこんな感じです。エリザベート像を、別の角度から見ました。

食事会を中指を立てながら去ったり、動画撮影の際に(音声は入らないのでわかりませんが)たぶんめちゃくちゃ下品な言葉を叫んで見たり、タバコをスパスパ吸ったりと、おおよそ伝統的なプリンセス像と一線を画す描き方。

見ようによっては、フェミニズムチックに、女性の尊厳と自由の戦い!みたいに評することもできるのでしょう。
ただ、僕の感想としては、もっと根源的な、生きるとは、死ぬとは、というような人生観まで思い至るような作品でした。

死んだように生きるくらいなら、自ら死を選ぶことは幸せなのか。史実通りに描くのでは抱けないテーゼだと思います。

普段はあまり洋画を見ないし、映画自体それほど見る機会は多くないのですが、心に何かがひっかかる、そんな映画と出会えました。フィクションだとしても、一人の人間の様子を勉強するのは面白い。

ややまとまりがないですが、初見感想として。


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