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(6) 検証・実験・テスト、そして本番へ


 4月末、日本はGWを迎えていた。蛍とあゆみの母娘は日本に留まり、横浜から富山・南砺市に移動して、恒例の田植えにやってきた。
今年はベネズエラ滞在組が増えたので、ロボットが作業を進めていたが、連休で街に出ている村人たちも帰省するので、交流も兼ねての滞在となる。
飛び級により高校生活を1年間で終えたあゆみにすれば、当時、自らが起こしたムラでの事業が今も継続しているので、極力顔を出して必要な改善策を講じ続けたい、そんな使命感もあるようだ。

長野松本市で田植えを終えた、山下智恵会長とサミア社長も五箇山入りし、合掌造り家屋の生活を体験する。五箇山での滞在が終えると、4人で再び松本へ移動して、林檎の花を間引く作業を体験するのだという。
ウチの会社の幹部連中はローカルな生活にすっかりハマってしまった、と智恵とサミアは社員から笑われる事になる。ベネズエラ居残り組にとっては、2人の参加は有難かった。口にこそしないが、誰もが智恵とサミアに感謝していた。

静岡でサッカー三昧の生活をしている4兄弟は、チームの連勝を9へと伸ばし、この連休中でリーグの首位に躍り出ようとしていた。新加入の南米選手がゲームの度に入れ替わり、活躍をし、チームに勢いを齎していた。
10人の選手が新たに加わったが、試合登録可能な外国人選手は5名までなので、相手チームに合わせて登録選手を変えていた。チームの紅白戦でも、彼らが入ったことで白熱したものとなった。言わばレギュラー争いだ。モリ4兄弟も必ずしも出場出来る訳ではない。
実際、4人はフルタイム出場して居ない。キッカーの圭吾と歩が2枚ボランチとして出る日もあれば、先に圭吾で、後半途中から歩に交代する試合もある。一番試合に出ているのは長男の火垂で、次が海斗。コロンビア、アルゼンチン選手とのコンビやトリオで、ゴールを量産していた。テンポと感覚がお互いが親しいものがあるようだ「ホタルとカイトとは、合わせやすい」と南米から来た選手達が口にしている。2人は短絡的なもので南米に行く気になっている。

相手チームにしてみれば、誰が試合に登録されて、誰が先発なのか分からない、エスパルスはそんな掴みどころのないチームだった。試合に出てくる選手が毎試合で異なり、特にモリ兄弟のポジションが流動的なので分析しきれない。ある試合は4バックを4兄弟が担当したこともあった。理解出来なかったのは極めて完璧な4バックで、鉄壁のディフェンスラインと左右両サイドバックの攻撃参加がエグかった。攻撃のコロンビアの5人の選手に、良いように蹴散らされていったチームがあった。あの布陣が最強のように誰もが感じたのだが、そのゲームだけの布陣となっている。選手はある程度固定化して連携を高めるのが普通だが、エスパルスは誰が出てきても試合にフィットしていた。そこが謎なのだがチームの強さだった。
データとしても、驚くべき結果が残っている。チームのボール奪取率が6割を超える。当然試合に出た全ての選手の平均値だ。ポジション別だと、ダブルボランチの圭吾と歩のコンビで66%で奪取している。歩はディフェンダーにも入るのだが、チームトップの74%と言う数値だ。4回マッチアップして3回勝っているのだがらもの凄い確率と言える。
どうやら、チーム全体で相手選手の特徴や、複数での攻撃時の動きをよく把握し、チーム間で理解しあっているフシを映像で確認する事が出来る。
前半で「あれっ?変だぞ」と違和感を抱いていると、いつの間にか点を取られていて、気がついたときには最早どうしようもない状態になっていて、焦りを感じたままゲーム終了のホイッスルが鳴っている。エスパルスは、そんな罠というか、術中にハマってしまう「仕事をさせてくれない」チームだ。
外人選手も含めて、対戦相手の分析がよく出来ているのだろう。後で得点シーンまでの過程を分析するとそれがよく分かる。的確な守備からボールを奪取すると、相手の弱点箇所に向けて、押し寄せるような攻撃を見せる。 個人技で中央突破する動きをで切り裂こうかするかと思えば、スペクタクルな左右のサイドチェンジや、一気に形成を逆転するロングフィードパスを効果的に使ってくる。セットプレーの完成度・得点率の高さは言うまでもない。特に、南米選手とモリ4兄弟が小憎らしい策を弄じてくるので、翻弄され続ける。そのストロングポイントが効果的な場面で生きてくるのも、AIツールの賜物なのだが、使っている側はAIが「見せ場」を考えているような気がしてならなかった。サポーターはツールの存在を知らないので、毎試合がサッカーゲームを見ているような展開なので大喜びしていた。Jリーグには無かった、欧州的な規律ある組織的な攻めもあれば、南米らしい個人技での突破もある。そんなエスパルスに魅了されていた。静岡県以外でもファンが増えている。
クラブ自体はJリーグ設立時から在るチームだ。設立時を知るサポーターは、あのJリーグ設立時、開幕ゲームでテレビ中継されたヴェルディーエスパルス戦の異様な興奮と盛り上がりを感じていた。その時の高揚感を、今の選手は誰も知らないのだが。

クラブ側も粋な計らいを見せる。電力収入が発生したので、サポーターはホームゲームのチケットを約3割安く購入できるようにした。また、市民クラブの発想だが、ホームゲームには「市」が立つようになり、近隣の農家と漁港の直売所が出来る。インディゴブルーの契約農場、漁港の野菜と魚なので、間違いなかった。養鶏場を営む店は、味付け骨付き肉をパックしたものを販売し、炭火で焼いて周囲の食欲を煽り、温泉卵で堪能させた。
バーガーショップが焼いたサバとイワシをバケットに挟んで、生ビールお友達攻撃を繰り出してくる。スタジアムに行って、浮いたチケット代で味わいましょうという、何処かで聞いたことのある展開が繰り広げられる。
コインロッカーは冷蔵庫でもあるので、試合前に購入して格納しておける。このロッカーはサポーターはタダで利用できる。スタジアムの電気が使い放題というメリットを活かして、市民のクラブ感を打ち出すためにクラブ側があれこれ知恵を出し合った結果が、展開される。
対戦相手のサポーターからは、エスパルスが羨ましい!と投稿が相次いだ。チケットは安く買えるし、魚を買っても冷蔵庫がある。それにスタジアムの飲食店が充実しすぎだ。ビールが安いし、ファストフードは美味しいと言われる。目前は富士の伏流水が流れ込む駿河湾だ。魚メニューの売上の方が、肉よりも上回る。
エスパルス社社員は「楽市楽座」と呼んでいた。真似をしようにも、他チームは直ぐには真似出来ない。何故なら、シーズン中はそんなに簡単に設備工事はできないからだ。外壁工事を行うためには、チームにアウエーゲームが暫く続かないと、工事もしたくても出来ないだろう。少なくとも、このシーズンは楽市楽座は注目されると、分析していた。

サポーターばかりではなく、選手の環境も変わった。
試合は満員だし、電気代もゲットしてクラブの収入が増えたので、勝利ボーナスが増えた。北海道・東北、中国地方、九州への遠征は専用機で移動出来るようになり、スポンサーの全国型スーパーから、遠征先でその土地の名産品を使った食事が振る舞われる。勿論、栄養士がバランスをしっかりと見て献立を決めているし、練習中・試合後の栄養・ビタミン補給も有機栽培果物・野菜をベースにして、ブルースター製薬の栄養補助食品を摂取する。

練習メニューも試合後のクールダウンメニューも、選手一人一人のポジションと特徴によって異なる。AIウォッチと数滴の採血によって、血糖値や尿酸値、酸素量などをAIに取り込むと、心拍数と呼吸数の計測が始まり、通常値との分析が済むと、メニューが用意され、それぞれの選手にトレーナーが居るのと同じようにAIが音声で命じてくる。
「居残り練習だ」みたいな古風な事をしようとすると「オーバーワークだ!」とアラームを鳴らして大騒ぎする。全く人と変わらない。
南米から来た選手達には、全てが驚きで、日本のクラブチームは凄いと感心し続けていた。しかし、9月の自分たちの国のシーズンイン時には、同じ支援を受けられるようになる。彼らが逆にお手本となって、チーム内で使い方を指導してゆく役割も担う。
そのタイミングで、日本に残るメンバーと南米に行く選手で別れる事になる。当然、その分の補充選手がやって来る。
今回の南米10選手で言えば、トップ5人が日本のシーズンが終わる11月まで残留する事になり、逆に、5人以上の優秀でコンデションの良い日本人選手が先発されて、レンタル選手として南米に向かい、シーズン終了の3月まで滞在する。選手は休むことなくサッカー漬けの日々となるが、そこはAIがオーバーワークにならないように試合毎に戦術を立てるので自然に分散されたものになる。もしも「この選手はチームの大黒柱だ。どげんかせんといかん!」と使い続けるようならAIが警告を発する。それは労働法違反だ!と。

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週末、サンクリストバルに家族連れで向かった。
蕎麦を収穫した農地に、今度は綿花の種を蒔く作業を手伝う為だ。

年間を通して、蕎麦と綿花を交互に栽培する実証実験を始める。農地の一部分に土を慣らして再び蕎麦を植え、同一作物を連作した際の生育状況や土壌の変化を見ようとしていた。
昨年末に蕎麦の種を蒔いた。それこそ、トラクターで耕してそのまま地中に雑草と混ぜ込んで土と馴染ませただけの畑だ。蕎麦は荒れ地でも育つ。サンクリストバルの気候は日本の甲州、南信地方の夏の気候に近い。時期的にはベネズエラは乾季だったので、数日置きにドローンで水を撒いた。4ヶ月未満で育ち、先日収穫した。つまりベネズエラでは計算上は、年3回の蕎麦の収穫出来る可能性がある。実際に1区画だけ年3回栽培してみて、土壌の状態を見てゆく。蕎麦は連作にも強い作物というが、それでもこの高原地帯でどう育つか確認しようとしていた。今度は雨季の栽培となるので、水も撒かずに放ったらかしの状態で育ててみる。

元々、この土地は草原地帯で、人の手が入った形跡もない広い土地だった。牧場でもやろうかと考えていた時、蕎麦がフト頭に浮かんだ。耕作放棄地のような荒れた土壌にほんの僅かな有機肥料を混ぜたただけ、それでも蕎麦は育ってみせた。
南米で蕎麦を栽培する・・日本人だからというのもあるが、蕎麦好きのロシア・ウクライナ人にヒントを得た。日本人のそばの食べ方は殆どが麺になるが、ロシア・ウクライナ料理でのそば粉を使ったレシピは数多くある。
アルテイシアがNYに来た時には、何度か作って貰った。ロールキャベツの中に挽肉と共に入っていたのは驚いたし、すいとんのような練り物にしてボルシチの具として出てきたのも堪らなかった。そんなロシアの家庭料理のレシピを取り入れて、小麦粉偏重の食文化にアクセントを加えてみようと考えた。最悪、浸透しなければ乾麺にして日本に輸出すればいい。

先日、収穫・脱穀された蕎麦は収穫量も多く、しっかりとした実をしていた。蕎麦粉にして、アルゼンチン産小麦粉と8:2にして、プルシアンブルー製の製麺機で蕎麦を作ると、実に風味の良い蕎麦だった。蕎麦は成功、採用決定となった。AIロボットも栽培日記を付けていたので、情報がロボット間で共有されている。こうして、パイナップルとバナナは味と質が向上していった。プルシアンブルー社の契約農家で実際に生じている現象と同じだ。

ベネズエラーコロンビア国境地帯は高原になっていて、一面に草原が広がっている。ここ一帯で蕎麦だけを育てたら、それこそ莫大な量の蕎麦が収穫できる。それを年に2度3度栽培となると、もの凄い量になってしまう。そこで綿花を思いついた。雨季の期間に栽培し、乾季に入った頃に収穫する。ちょうどいいサイクルだ。ブラジルの綿花栽培がまさにこの時期でベネズエラでも試してみようと考えた。ブラジルも、実に良質な綿を栽培している。

プルシアンブルー社もRs,Anで衣料品を手掛けている。供給原料になればいいなと考えた。
世界中で、新疆ウイグル自治区で生産される安価な綿を使うのは如何なものかという風潮がある。農薬散布量が多い環境下での栽培にウイグル人が携わっているという報告が多数寄せられているからだ。そこで、選択肢の一つとしてベネズエラ・コロンビアのコットンが加わったらどうだろう?と夢想した。Rsは近いので、USコットン、ブラジル産コットンを購入しているが、これだけの敷地があるのだから、ベネズエラでもテストしてみようじゃないか、という発想だ。実験栽培がうまく行けば、蕎麦と綿花の連作を、この草原地帯で一斉に始めてみようと企んでいた。

昨日から作業に当たっている玲子と杏が大型農機に乗って、種を蒔いていた。自動操縦にしないで、真剣な顔をして操縦しているようだ。機械任せの方が確実なのだが、まぁ実験農場だから大目に見る。

ベネズエラがW杯の切符を逃し、今度は4年越しのプランを描く。
現在、日本のエスパルスが使っているAIや栄養指導プログラムをもっと早い段階から気がついて作成して、利用していたら、結果は異なったかもしれないと悔やむ。しかし、考えもしなかったのだから仕方がない。そもそも絶対的に選手層が薄いので、そこをどうするかが最大の課題だ。いずれにせよ、次回に向けて取り組んでいく。日本対ベネズエラなんてカードは、4年後の夢へ持ち越しだ。

そもそも、昨年まで南米最貧国だったベネズエラで、栄養指導をする発想も環境も無かった。ベネズエラは野球とバスケがアメリカの影響を受けるので、食文化もアメリカに似通いがちだ。これは野球の盛んな近隣国、プエルトリコやドミニカ共和国等にも共通している。それぞれの国に郷土料理があるとは言え、どうしてもアメリカナイズされてしまう。
経済的に低迷しているのだから、食生活の改善をしている余裕はない。農業に力を入れたとしても、如何せん農業人口が壊滅的だったベネズエラが1年で改善するはずもなかった。そもそも、作物は種を蒔いて収穫するまで時間が掛かる。そんなに早くは育たない。それでも去年は、比較的早く収穫できて栄養価の富んだ野菜を選んで栽培していた。
カボチャ、サツマイモ、各種ジャガイモ、里芋、人参の栽培に取り組んだ。レタス、キャベツ、ホウレンソウ等の葉物は高原地帯で栽培し、ワカメ、アカモクといった海藻もカリブ海で生育を促した。そして間に合わなかったが、先日収穫した穀物、蕎麦だ。この1年間で多くの農場を切り開いてきた。肉じゃが、コロッケ、天ぷら、カレー、海藻サラダといった日本の安価な調理をベネズエラやコロンビアの郷土料理の中に取り入れて・・そんな事を漠然と考えて、大統領府の女性陣が中心となって話し合い、多様な栄養素で満たすという発想で取り組んでいた。
来年、再来年は、もっと良くなると期待している。

「自分が食べたいから」という欲求がどうしても先行しがちとなる。実際そんな事の繰り返しだったな、と畑で種を蒔きながら回想モードに入っていた。
寒冷地漁業を営み、穀物と牧畜を産業とするアルゼンチンに近寄った。それもアルゼンチンの負債を請け負うという手段で近寄っていった。1次産業の収穫物だけでは回収するまで何年かかるか分からないので、工業生産のネットワークの中に、アルゼンチン経済を組み込み、同一の経済圏の中に当てはめた。経済的にも豊かな国にしようと、今でも力を注いでいる。さらにボリビアという農業国・資源国も仲間にして、ベネズエラの食の問題がカバー出来るようになった。
これで一応の達成はしたが、ゴールでは無い。いつ何時、アルゼンチンとボリビアの1次産業に深刻な被害が訪れるかは分からない。そんな不測の事態にも対応できるように常に策を考えねばならない。それが食料自給率の向上へと繋がり、更なるルートの開拓、コロンビア、エクアドル、ペルーからの食料調達となる。南米内での経済循環促進を考慮しながらの合わせ技だ。

経済圏として地域として成長を始めると、中米カリブ海諸国の問題も見過ごせなくなってくる。一部の国を除けば南米よりも経済レベルが低い。それでアメリカの耕作放棄地問題に乗じて、北米の土地を求め、そこで栽培するようになった。
アメリカ経済を支える3つの企業を進出させ、アメリカ市場における確固たる地位を確率する。物流、輸送面が整った所で流通業を促進させ、アメリカの1次産業を活性化する。
ベネズエラを始めとする中南米諸国は、この肥沃な大地を所有するアメリカ合衆国の食糧生産物の恩恵を受けるのと同時に、その見返りとなる砂糖、コーヒー、バナナ等果物を提供し、補完関係を築いていく。
これを一定の時間を掛けて作り上げてゆくのが狙いだった。そもそも、アメリカは中南米経済に関与せず、アジアからの輸入量を増やした。政治的な思惑もあったのかもしれないが、アジア経済に依存し切っていたのは間違いがない。そこに体制の変わったベネズエラが中南米代表として、切り込んでいった。アジアに比べて輸送コストが掛からない分、同じ製品を作るだけで安く売れる。どうして誰も、こんな簡単なカラクリに気づかなかったのだろう?世界一の経済大国という大市場が、カリブ海を渡っただけの場所にあるというのに。

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プルシアンブルー社が5月1日付で新会社PB Eurasiaを発足させて、北欧、イギリス、スペインからアジア,中東各国に至る各商社を束ねると発表した。
それぞれの商社の自主性と独自性に任せた商売を各国で取り組んできたが、事業としてバッティングするケースも生じてきた為、全体を統括管理する組織を設立することになった。
PB Motors社のゴードン社長が新会社の社長に就任し、PB Motors社長には副社長のドミニク・ウィルキンスが昇格する。

PB Motors社は同日、Ste//antis N.V.グループが新たに加わったと発表した。元々技術提携関係にあったが、PB Motors社が資本を増強し、子会社と位置づけた。アメリカのChrys/er,イタリアのF/AT,LANC/A Alfa RomeoMaserati、フランスのPeugeotC/TROEN,ドイツのOPE・Lブランドが新たに加わった。/suzu、Vo/vo、SAAB、Jaguar/Rover、LAND・ROVERと合わせた巨大自動車・トラックグループが誕生した。

PB Eurasia社は、PB MiddleEast社を地域商社として新たに発足させて、ゴードン社長が兼務すると報じた。事実上、上海北陸公司の志木総経理が社長になるのだが、男性社会のアラブ圏ということでゴードンの名前だけ使う。
上海は香港海運王・劉氏の娘である劉黎明が就任する。中国の事業は香港組に全て委ねる。その代わりにASEAN,東南アジアを上海管轄から分離して、志木さんを支えてきた坂田さんが、バンコクに出来るMillennium SE-ASIA Co.の社長に就任する。
 
PB Eurasia、ユーラシア大陸の拠点は悩みに悩んで、勝手知ったるウクライナ・キエフとした。PB Ukraineをベースにして、機能を拡大する方が効率的と考えた。新しくビルを建設して、大陸の中央拠点として確立してゆく。
「さぁ、ヨーロッパを、ユーラシア全土を席巻しようじゃないか」ゴードンはウクライナ人社員を前に、英語でそう語ったらしい。

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先日G20の場で、フランス首脳にフランス領ポリネシアのニューカレドニアとタヒチにホテルを進出させたいと、柳井首相がハワイの施設の映像を見せて要請し、了承された。フランスにしても、日本人観光客が増えるのは歓迎と了承された。
連休なので柳井首相と長男、次男の家族と共にタヒチに滞在していた。ヴェロニカだけが一人でホテル建設候補地を見て回っていた。この後、一人でニューカレドニアに向かう。
部屋で図面を書きながら、この家に嫁いだのは失敗だったのかな?と頭をよぎるが、飲み物を持ってくる太朗の笑顔を見ると、そんなことはない!何、バカなこと言ってんの!と直ぐに自己否定していた。

フラウとハサウェイ、そして治郎の子の雄大は、久々の従兄弟同士の時間に   はしゃいでいた。
カリブ海で覚えた、砂浜での遊びをハサウェイが同じ年の雄大に教えている。その砂遊びというよりも彫刻を、治郎が感心して見ていた。ハサウェイが見事な城を作っているからだ。
「ハサウェイは、どんなお城が出来るか、分かってるのかい?」

「うん、頭に浮かんだ通りに作ってる。もう少しで完成だ。雄大がクルマの方がいいっていうから、次はクルマを作るよ」

「浮かんだ通りか・・」これは間違いなく義姉さんの血だな、と治郎は確信する。兄のハズがない。

「雄大は何を作ってるの?」

「分かんない。ただ何となく浮かんだんだけど、なんだこれ・・」

記号のような、文字も書かれている。治郎もなんだろう?と思いながら、ハサウェイの城と共に写真を撮った。

首相と治郎夫人の澄江は、フラウとテーブルに座って、フルーツジュースを飲んでいた。

「お母さん、ハーくんが作ってるお城ですけど、何処かで見たことありません?」

「えっ? ごめんなさい、そういうのわたし疎くって・・あれ、でもあれって・・チベットだったかな?」

「あっ、そうです!ラサにあるお城ですよ!えっと・・」澄江はスマホで検索した。

「やっぱり。そうでした。ポタラ宮って言うんだった。凄く、似てますね」

「あら、本当・・ハサウェイ、写真か何かで見たのかしらね・・」

「きっと姉さんの持ってる本にあるんでしょう。しかし、ハーくん、凄い記憶力ですね」

「そうね、ちょっと忘れないように写真に撮っておくわ。なんか怖くなってきた。やけにリアルな感じがする お城ね・・」

首相は澄江のスマホを持ったまま、砂の城と見比べながら歩いていく。雄大がせっせと作っているものまでは、意識は及んでいなかった。

「チベットって、なんでこの子が・・」柳井純子は震えを感じていた。

(つづく)

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