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アルチュール・ランボーと学生時代

子供の頃というより高校1年生ごろまで住んでいた家には6帖の書庫があって、本に触れる機会の多い家庭で育った。
書庫といっても6帖の洋間にびっしり本棚があるってだけなのだけれど。

祖母からの誕生日プレゼントはいつだって図書券だったし、おもちゃは比較的ハードルが高くても本であれば買い与えてくれるような両親だった。
それは祖父がともに文筆家だったことも影響しているのかも知れない。

なので、けっして勉強ができる子ではなかったけれど、本を読むのは好きな子だったのです。

中学時代は柔道部に所属し、並行してボクシングジムにも通うような男の子に。
柔道は1992年のバルセロナオリンピックの古賀さん、ボクシングは1990年に東京ドームで行われたマイク・タイソンの試合に影響を受けたから。

当時は今のように総合格闘技がなく、あるのはプロレスやUWFだった。
これらを強さの憧れとして見ていたのだけれども、ボクシングや柔道という階級制の競技を知ったことで小柄だった少年時代の自分も「強くなれる!」という希望を持ったりしたのです。

そう言えば第2次UWFの旗揚げの挨拶で前田日明氏が口にした「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり」はフランスの詩人ヴェルレーヌの言葉。
太宰治の引用なのかも知れないけれど。

男の子、特に強さを履き違えたような不良と呼ばれるような思春期の男の子には格闘技をしているのはウケが良かった。
おかげでグレてはいなかったけれど、ヤンキーと呼ばれるような不良少年たちとは良い距離感で付き合えたので、殴られたり蹴られたりされず比較的に楽しい青春時代を過ごせたと思う。

同級生たちが尾崎豊のように自由を求めて夜の帳へ進む中、読書を通して「存在」や「自由」を考えたりした少年時代。
けっして形而上学的な方法で考えていた訳ではないのだけれど。
それでも色々と考えた少年時代だった。


同年代の友人たちのように尾崎豊は大好きです。
エネルギーに満ち溢れ、自由を渇望し、存在を求めた10代の頃の作品には強い憧れと共感を抱いたものです。
今でもカラオケで歌いたくなる日があるのよね。

また見附かつた、
何が、永遠が、
海と溶け合ふ太陽が。



エティエンヌ・カルジャによる肖像写真


櫻井先生。
高校2年生の頃、担任だった貴方とランボーの詩集のはなしをしたのを覚えていますか?
自宅にある本とは別の翻訳でランボーの詩を読みたくて、櫻井先生には詩集を借りたりしましたね。

ランボーのはなしをする機会はあまりないので、いまでも当時のことを思い出します。

先生を困らせる行動の多かった私を叱った後、私がなにか言おうとすると「またはじまった、貴方のは理屈ではなく屁理屈。はなしが長くなりそうだから、もう分かったから」と私のバカ話を苦笑いで遮りながらも理解してくれていたのは嬉しかったのものです。

青春時代。
永遠と繰り返されると思っていた、なにげない日常はいつの日か日常ではなくなっていく。。。

ランボーの詩のなかで「永遠」はとても好きな作品です。
原文で読んでいる訳ではないですし、作者の意図を汲み取れているかは分かりませんが。。。


また見附かつた、
何が、永遠が、
海と溶け合ふ太陽が。


これは大好きなフレーズ。
そうですね。どこかで映画『気狂いピエロ』の感想文も書かなきゃね!


せっかくさ、昨日はフランス映画『スイミング・プール』の感想文を書いたからさ、今日はそれに託けてランボーの思い出ばなしを書いてみた訳なのよ。


なんでって映画の日本公開日が5月15日みたいなの。

ほらランボーの有名な「見者の手紙」。
あれって1871年の5月15日にポール・ドムニー宛てに送った手紙らしいから。
だから今日はランボーにまつわる思い出ばなし。
天才でいて狂気に満ちていたランボーの。


「〈詩人〉は長期にわたる、おおがかりで合理的なすべての感覚の攪乱により、自らを見者となします」


天才で狂気に満ち、見者になったランボーの。

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