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プルーストの話

 「マドレーヌ」 「忘れえぬ人々」と、プルーストにからんだ話が続いたので、さらに続けてみることにします。
 半世紀ほども昔のことですが、私は大学の仏文科(専攻)に在籍していたので、マルセル・プルーストの畢生の大作『失われた時を求めて』は、ほとんど強迫観念じみた必読書のようなものとして存在していた。そもそもが長い。超長い——奇しくも2010年のほぼ同時期に刊行が始まった高遠弘美訳(光文社文庫)と吉川一義訳(岩波文庫)の双方とも全14巻である。おまけに文章が難解だし、作品全体の構成も解説がなければほとんどわからないといった伝説的名著(?)だった。
 名著、必読書とはいえ、悪評も半端ではなかった。実存主義とマルクス主義の旗を掲げて、方々に喧嘩をふっかけていた哲学者のサルトルに言わせれば、ブルジョワジーの断末魔を象徴する作品であり(たしかそんなことだったような気がするけれど)、わざわざ書斎の内壁をコルク張りにして無音状態で書いたのだとか、誰も読まないのに肖像画だけが出回っていて、みるからに病弱で不健全、気持ち悪い……。
 でも、読まなくてはという強迫観念だけは去らない。
 この強迫観念とおさらばするためにも読まなくてはならない。
 というわけで、大学の三年か、四年のとき、一夏かけて読み通しました。(以下は、ブログに「マドレーヌ——その2」と題して投稿した文章に多少手を入れたもの)

 暑い日が続いていた。ほぼ半世紀前のことである。夏休みに帰省した私は毎日のように図書館に通っていた。駅前にある今の新しい図書館ではない。今よりずっと西寄りの、市役所の裏手にあった小さな図書館である。木造モルタルだったような気もするし、小さいながらもコンクリート造りだったような気もする。二階建ての建物の玄関を入ると、たしか右手に階段があって、二階が閲覧室になっていたように思うのだが、これも定かではない。
 ただし、この年が記録的な暑さの続く夏であったことはまちがいない。当時、北海道にエアコンが装備された建物などあるわけもなく、開け放した窓からときおり暑気を含んだ風の吹き込む閲覧室で、こめかみからしたたり落ちる汗を拭いながら本を読んでいたことだけは鮮明に憶えている。
 読んでいたのは、プルーストの『失われた時を求めて』。個人完訳はまだ出ていなかった。たしか十人くらいのフランス文学専門の先生方が手分けして訳した六巻本(新潮社版)で、箱が印象派風の絵で飾られていたことまでは記憶に残っているが、それが誰の絵かはもうわからなくなっている。
 今はもう手元にないのだから、確かめるすべもない。
 読み終わって、しばらくたってから人にやってしまったのである。
 すでに読み終わった時点で、もう二度とこの作品を読み返すことはあるまいと思っていた。読了するまでに二週間か二十日くらいはかかったはずなのに感動もなければ満足感もなく、ただ徒労の感覚しか残らなかったのである。
 失われた時を求めて、その時は見出されるどころか、ついに語り手(著者)は時間に捕縛され、囚われ、呑み込まれてしまったとしか思えなかった。
 そして、フランス文学も、文学それ自体も、ずいぶん自分からは遠いものだなと思った。文学部に入ったことも、専攻にフランス文学を選んだことも、何か重大な過ちを犯したような気さえした。
 それがどういうわけか、いつのまにかフランス語の翻訳者となり、数十冊もの現代フランス文学の小説を翻訳し、何の因果かまた生まれ育った町に舞い戻り、そして、半世紀ぶりにプルーストの畢生の大作を手にして読んでいるのである。みずみずしい日本語訳と、分厚いペーパーバックの原書を読み比べながら。
 気がつくと、日本語は読まずに、プルーストのフランス語だけを追っている。そして、あたかも耳から音楽が入ってくるかのように気持ちよく文字を追いかけている。そこに記された語彙のすべてを理解しているわけではなく、日本語に変換せずに読んでいるのである。
 遠い昔に放り投げたブーメランが、半世紀ののちに一巡りして、後頭部を直撃しているといえばいいのか。
 これはひとつの成熟なのか。
 だとすれば成熟とはこんなにも苦いものなのか。
 もっと早く気がつけばよかったとのに思い、若い、未熟な後悔をずいぶん長いこと引きずったものだとも思う。むかし読んだ詩人の言葉がよみがえる。

時の締切まぎわでさえ
自分にであえるのはしあわせなやつだ

 堀川正美「新鮮で苦しみ多い日々」

 本当に自分自身に出会えたのかどうかはわからない。たぶん、わからないまま死ぬのだろう。いずれにせよ、人生のことはわからない。具体的な話をしよう。
 大長編小説『失われた時を求めて』は次のように書き出されている。

 Longtemps, je me suis couché de bonne heure.

 フランス文学に親しんだ人にとっては、きわめて有名な書き出しであると同時に、翻訳者泣かせの一文でもある。参考までに、三つの訳文を並べてみる。
「長い時にわたって、私は早くから寝たものだ」(井上究一郎訳、ちくま文庫)
「長いこと私は早めにやすむことにしていた」(吉川一義訳、岩波文庫)
「長い間、私はまだ早い時間から床に就いた」(高遠弘美訳、光文社文庫)
 意味は同じだとしても、ずいぶん印象が違うと感じる人も多いだろう。厳密に言うと、印象が違うということは意味も違うのである。つまり、解釈が違うということだ。どれが正しいというのはなかなか言えることではない。
 ただ、三十年余りフランス語の翻訳に手を染めてきた身として、まず強調しておきたいのは、このフランス語の一行はとても美しいということである。美しいというより、耳に心地いいと言ったほうがいいかもしれない。まるでこの一文が眠りのなかに滑り込んでいくかのように心地いい。
 この「心地よさ」はおそらく、冒頭の Longtemps という副詞の「音」に由来しているのではないか、と思っている。「ロンタン」(あるいは、一般のフランス人の——とくにパリジャン風の——発音に近いカナ表記にするなら「ロントン」)という音は、遠くから聞こえてくるやわらかい鐘の音、鉄路を走る列車の音のように聞こえはしないだろうか。
 そして、最初にプルーストの頭にあった書き出しは、
 Depuis longtemps, je me suis couché de bonne heure.
 だったんじゃないだろうか、と推測しているのである。日本語としては、「久しい以前から、私は早い時間から床に就いてきた」くらいの訳になるだろうか。つまり、この冒頭の一行の背景には、幼い頃から今日まで、寝付きの悪い私は早いうちから床に就くことにしていた、という事情が隠れているということである。でも、Depuis が頭にあると重くなるし(longtemps の軽やかな響きが重くなる)、depuis と de と音的にも意味的にも重なって「心地よさ」が失われる(ちなみにこの日本語訳でも「から」が重なっている)。
 むろん、プルーストはいったんDepuis と書き出してから、これを消すなんて初歩的なことはせずに、最初からすんなりと現行の一文が頭に浮かんだのかもしれない(プルーストの研究家ではないので、確かめる術もないけれど)。
 でも、吉川一義氏の懇切丁寧な解説によると、この一文で始まる冒頭の数ページは、語り手の「私」の晩年(第一次大戦あたり)に相当し、この長編小説の序曲の役割を果たしているということだから、私の直感もまんざら的外れではないと言っていいように思う。そう考えると訳の調子も、私個人としては吉川訳が一番しっくりするということになる。
 でも、この手の細かい語学的な話は苦手だという人もいるだろう。次回は、ここを起点にしてもう少し俯瞰的に、プルーストと日本文学の関係を考えてみたい。

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