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うつ病患者yazuの「自己肯定感が得られない」を考える

現代社会の底辺yazuをご覧の皆さん、こんにちは

https://allabout.co.jp/gm/gc/483871/

最近卑屈になりすぎなんじゃないか疑惑があるyazuです。noteを読むと気持ち悪いほどへりくだってますよね。

大丈夫。現実の日常でもこんな感じでメンヘラをキメこんでますんでご安心ください。会ってみたいと思われる方、週末の中山競馬場でお待ちしております(とんでもないクズ)

卑屈って難しいですよね。

あんまりやりすぎると相手から「馬鹿にしてるんじゃないかとか」、逆に「お前はそういって逃げてるだけなんじゃねーの」と思われる節がありますから。

前者については全然そんなつもりはなくて、後者については認める部分がありつつも、どっちかというと「ごめんなさいの最大級を表現したい」というお気持ち表明なんです。相手からすりゃどっちに転がっても気分はよくないでしょうけど…。

そんなこんなのyazuのネガティブ思考は「俺はダメダメな人間なんだ…死んじゃえばいいんだ」というマインドが根本にあるような気がします。

これが自己肯定感の無さってやつです。



自己肯定感を得るって本当難しい

自己肯定感なんてどうやったら得られるんでしょうかね。

別にこのことについて心理学的にお勉強したわけじゃないんですが、僕はこの自己肯定感の無さは2つのことから起因していると思ってます。

①他人から自分がどれだけできない人間なのかと評価されたとき
②自分が自分をどれだけできない人間なのかと評価したとき

僕の場合、①も②も当てはまります。どっちかっつーと、①が起因して②へ行ったタイプでしょうかね。

①の「他人から自分がどれだけできない人間~」というのは幼少期の家族関係からでしょうかね。人間関係も勉強も出来ない僕が、大リーグボール養成ギプス(分かるヤツいるのか?)をハメられて特訓するも成果は全く出ず、毎度親にシバかれるという体験が当てはまるんじゃないかなーと思ってます。

そんなこんなで上手くいかない人生ですから、社会人になってもなんも変わらず、どンくさい面がMAXに出て評価されることはほぼありませんでした。あんまりにできないから、上司に何度呼び出されて怒られたことやら…(遠い目)

どの場合でも自分なりには努力しているつもりなのに結果が出ないということに対して、他人から𠮟責なんかを食らうわけでして、そっから「あー、僕はダメなんだなぁ」としみじみ思いこみます。

時には努力してることに関してはそれなりに認めてもいいんじゃねーかと思う事もありますが、ま、残念ながら僕はおっさんなんで。努力が認められるのは若者まで。おじさんは結果が出なけりゃしゃーない。

ここまでくれば②の自己否定の刷り込み現象が発生するのも仕方ないですよね。自分で自分をシバきあげるフェーズに無事突入します。

②は多くを語るつもりはないんですが、これの問題って①と違って永遠のループに入りがちなんですよねえ。

①は最終的に相手が人間として、社会人としての制御で留まることはあります(度を越してるパワハラは論外ですが)。あとは自分自身が問題の人や会社から離れるという判断も出来るので逃げ出すこと自体は可能なんです。

でも②の「自分が自分を責める」というのは永久に自分を殴り続ける上に逃げ出すことも出来ないってのが一番辛いところです。

殴り続ける自分から離れようとして、「自分をやめる=自殺」みたいな悲しいことにも繋がっちゃうんだろうなと思ったりします。僕もそういうフェーズはありましたので、凄くわかります。



自己肯定感は結局自分なりの納得だと思う

たらたら書いていきましたが、要は何処までいっても最終的には「自分で自分を認められない」のが自己肯定感の無さっていう文字通りの結論でした(笑)

なもんで、ちょっとしたことでも自分を認めてあげることで自己肯定感の形成するという解決案にはある種納得がいきます。

例えば「一日を通して、小さなことでも成し遂げた自分で評価してあげればよい」という手法は色んな方が実践されていて、これはいい習慣なんじゃないかなーと思ったりします。

note界隈でも、今日一日のことを日記にしてそこから自分の良いことを数点示している方がいらっしゃいます。

これ、何よりも書き手の方が自分自身を納得させるためのプロセスなんだろうなと思います。

仮に他人から見たら大したことでもないことを、自分自身を認めてあげるという作業を通して自己肯定感を積み上げていくという一連の流れが重要なんでしょうね。

この自己肯定感をあげる手法なんて、ぶっちゃけなんでもいいんです。

自分で自分を褒めてあげる人もいれば、他人からの評価を得るために何とか頑張ってる人もいます。承認欲求は他人から認められたいという自己肯定感の爆上げ行為の最たる例でしょう。

僕も他人の評価を気にするタイプなんで、noteに文章を書くことで色んな方からスキしてもらえるのは自分なりの自己肯定感の形成に繋がってるような気がします。

あとは自分の記事に共感を得られたり意見を吸収することで、自分のマインドの補強に繋がっていき、自己をより強い思考に導かれていく気持ちがあります。



え、それでもyazuは卑屈なのはなんで?

おかしい。yazuはnoteでブチまけることで自己評価をあげているはずなのに、やっぱり卑屈で自己肯定感がないのってなんでやねんという話。

いやー、まー、やっぱさー。自虐ネタでウケを狙ってるnoteじゃ、駄目だよねー(さっきまでの発言は何だったのか)

嘘でもいいからインスタみたいなキラキラしたnoteでも書けばよかったんだと今とても後悔しております。

よし。わかった。明日からこれでいきます。

「きょおー、スタバの‎キャラメルフラペチーノが美味しかったの♡お昼にMacbookでnote書いてる僕ちょーイケてる」

キラキラしたインスタの想像力がここまでしかない自分に絶望です。

それでもこんな文章を書き始めたらとうとうyazuはどうにかなってしまったと思って、そっとフォローを外してください。

yazuからは以上です。

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