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【ヒメタタライスケヨリヒメ】神武天皇の皇后の父親がヤベェ神様だった話【日本神話】

どーも、たかしーのです。

今回は、日本の神話に登場する『ヒメタタライスケヨリヒメ』について、書いていきたいと思います!

おさらいですが、これまでの「古事記」のお話を、家系図でまとめてみました。

日本神話 家系図 ~神武天皇即位まで~

前回のお話で、カムヤマトイワレビコが日本国初代天皇神武天皇として即位しました。

↓ 「神武天皇」が即位した話はこちらから

今回は、その続きとなるお話ですが、この家系図にも登場するオオモノヌシが久々に登場します!

神武天皇の結婚

※今回も「古事記」をベースに書いていきます。

【スクープ】神武天皇、実は即位する前に嫁と子供がいた!

実は、神武天皇が 橿原宮かしはらのみや(現在の奈良県橿原市)で即位するずっと前、まだカムヤマトイワレビコとして、 日向ひゅうが(現在の宮崎県)にいた頃、アヒラヒメ(阿比良比売)と結婚して、タギシミミ(多芸志美美命)とキスミミ(岐須美美命)という名の子供をもうけていました。

実は嫁と子供を残して東征をしていた神武天皇(wikipedia)

ですが、 大和やまとまではるばる向かい、日本を統べる天皇に即位した神武天皇は、天下を治めるのにふさわしい正妻を探すことにしたのです。(おいおい…)

ヒメタタライスケヨリヒメ誕生秘話

すると、正妻を探していると聞いた家臣のオオクメ朝廷の軍事を司る氏族・久米氏の祖神)が、皇后候補としてヒメタタライスケヨリヒメ(以下、名前が長いので「イスケヨリヒメ」と記載)を推挙しました。

もちろん、それなりの出自でないと、神武天皇は皇后候補として認めてくれないので、オオクメは、イスケヨリヒメの出生の逸話についても、説明をしました。

イスケヨリヒメの母親は、セヤダタラヒメ(勢夜陀多良比)と言い、容姿端麗な女性であったといいます。

ヒメタタライスケヨリヒメの母 セヤダタラヒメ(イメージ)
※AIにそれっぽい人物を描いてもらいました

そして、イスケヨリヒメの父親は、なんとあのオオクニヌシと同一視された神様オオモノヌシであったといいます。

オオクニヌシがオオモノヌシであるエピソードは、以前書いたことがありますので、チェックしてみてください!

この両親が結ばれ、イスケヨリヒメが生まれたワケなのですが、その出会いのエピソードが、衝撃的なものでした。

ある日、セヤダタラヒメが川でウ〇コをしていると、その様子を見たオオモノヌシが一目惚れをしてしまったので、 丹塗矢にぬりやと呼ばれる朱で赤く塗った矢に変身して、近づくことにしました。

オオモノヌシ にぬりやのすがた

そして、あろうことか、ウ〇コ中の川の上流から、丹塗矢になったオオモノヌシは流れいき、セヤダタラヒメの近くまで来たやいなや、ヒメのほと(陰部)を突いたのでした。(トンデモナイナンパを仕掛けとる…)

これに驚き走り回ったセヤダタラヒメでしたが、その矢を持って帰り、自分の寝室に置くことにしました。(なぜテイクアウトした…)

オオモノヌシ イケメンのすがた(イメージ)
※AIにそれっぽい人物を描いてもらいました

すると、その矢はたちまちイケメンに姿を変え、これに心を打たれたセヤダタラヒメは、オオモノヌシと結婚することにしたのでした。(初めからその姿で声かけたほうがよかったのでは…??)

そして、誕生したのが、イスケヨリヒメであり、オオモノヌシの娘、つまり神の御子であるこのヒメこそ、皇后にふさわしいというオチのエピソードだったのです。

ちなみに、実は生まれてすぐ、ヒメの名はホトタタライスケヨリヒメ(富登多多良伊須須岐比売命)と名付けられていました。

ですが、この頭の「ホト」が、実は両親が出会うきっかけ(?)にもなった陰部を指す言葉であったので、「こんな名前はイヤじゃ!」ということで、ヒメタタライスケヨリヒメに改名したそうです。(そりゃそうだ)

神武天皇のプロポーズ大作戦!

ある日のこと、 狭井川さいがわの近くに神武天皇一行が行幸をしていると、川の岸辺で7人の娘たちが遊んでいるのを目撃します。
そして、よーく見てみると、その中に、オオクメが皇后にふさわしいと推していたイスケヨリヒメがいたのです!

なので、ただちに神武天皇はイスケヨリヒメを妻にすべく、オオクメを向かわせて、自身の思いを伝えに行かせます。

すると、やってきたオオクメを見たイスケヨリヒメは…

イスケヨリヒメ「あなたはどうして、いろんな鳥のように目のまわりに入れ墨をして、鋭い目つきをしているんですか?」

と問いかけました。(あれ?神武天皇のプロポーズの返事は???)
どうやら、オオクメの見慣れない風貌が気になったようです。

それを聞いたオオクメは…

オオクメ「あなたにまっすぐにお目にかかろう思うて、ワイはあえて鋭い目つきをしとるんです。」

と答えました。(怖っ!)

それを聞いたイスケヨリヒメは…

イスケヨリヒメ「わかりました!お仕えしましょう!」

と、謎のやりとりで縁談は成立し、神武天皇は狭井川のほとりにあるイスケヨリヒメの家に行き、一夜をともにすることとなりました。

このときの感想を、神武天皇は歌でこう詠んでいます。

葦原の 穢(しけ)しき小屋に 菅畳(すがたたみ) いや清(さや)敷きて 我が二人寝し
(現代語訳)
河原の草むらにあるむさ苦しい小屋に、菅(すげ)で編んだ畳をきれいに敷いて、私はそなたとふたりで寝たことだ。

出典『古事記』

(むさ苦しいて…)

なお、この狭井川は、大神神社の 摂社せっしゃ(※)である狭井神社のそばを流れる川のことです。
摂社せっしゃ・・・本社に付属し、その祭神と縁の深い神を祭ったやしろのこと。

狭井神社(wikipedia)

そして、大神神社とは、オオクニヌシの回でも紹介をしましたが、三輪山をご神体とする神社のことで、この三輪山にはイスケヨリヒメの父であるオオモノヌシが祀られています。

三輪山(神体山)と、大神神社の大鳥居(wikipedia)

綏靖天皇、誕生!

ともあれ、こうして2人は結婚し、3人の御子が産まれました。

  • 長男・ヒコヤイ(日子八井命)

  • 次男・カムヤイミミ(神八井耳命)

  • 三男・カムヌナカハミミ(神沼河耳命)

そして、この三男であるカムヌナカハミミが、のちに第2代天皇 綏靖すいぜい天皇となるわけなのですが、それはまた次のお話…。

綏靖天皇(wikipedia)

おわりに

イスケヨリヒメと神武天皇(wikipedia)

今回は、神武天皇の皇后『ヒメタタライスケヨリヒメ』について書いていきました。

ちなみに、ヒメの名前に「タタラ」という言葉が含まれていますが、これは「たたら製鉄」のことではないかという説があります。
イスケヨリヒメを妻に迎えたことで、神武天皇が「たたら製鉄」、つまり製鉄産業を牛耳ったのではないかとも言われています。

確かに、天皇の権力を確固たるものにしていくためには、鉄を押さえる必要はあったでしょうし、なんだか納得のいく説だなと思いました。

他にも、歴史上の人物神話などをベースに、記事を書いていく予定ですので、是非フォローなどしてもらえるとありがたいです!

それでは!

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