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【創成期】 プロローグ 第1章 (1/3)まとめ

本作品は筆者の引きこもり経験から抜け出した体験に基づいて執筆したものです。

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プロローグ


人が人生のどん底に落ちた時、そこからどうやって這い上がるかを、考えたことがあるだろうか。

この問題を真剣に考えたことのある人はおそらく、人生の試練に遭遇した当事者か、その悲劇に巻き込まれた関係者ぐらいだろう。

けれどそう思っているうちはまだ、本当の意味でのどん底にはいない。

なぜかというと、そこから這い上がる意思があるからだ。

苦境に差し込む光から目を逸らさないうちは、放っておいても勝手に抜け出していくものだ。


本当の意味でのどん底は、這い上がる意思を失った時だ。

手が届くかわからない光よりも、足元の暗闇の居心地が良くなった時がもっとも救いようがない時なのだ。

あの時の私には、暗いところが非常に居心地がよかった。

闇に包まれていれば、何も感じずにすんだからだ。

自分が落ちこぼれだということも

大人たちの批判の声も

もう…大切な人がいないということも

ずっとこのまま、闇が永遠に続いていけばいいと思っていた。

闇こそが私の唯一無二の友であり、拠り所だったのだ。

私が試練を乗り越えた時、多くの人達に聞かれたのは当然のことながら

「どうやってあの試練を乗り越えたのですか?」だ。

人は突発した結果にはなんらかの突発的な要因があると考える。

あの時、諦めなかったからとか、あの人が支えてくれたからとか、まるで色のついた方程式のような答えを求めるのだ。

けれど私は同じような質問をどれだけ聞かされても、相手が期待するような答えが浮かばなかった。

だから無難に「良い先生との出逢いがあったんですよ」と答えた。

多くの人は納得するか、その先生について詳しく聞かせてとせがんだものだ。


けれどそれは答えでもあり、答えではなかった。

なぜかと言うとあの人自身が言っていたからだ。


「わしがいつお前に変わるように指導したんや? お前が勝手に変わっていったんやろ?」と

そんなサウンドが頭の中で残響のように響いていたから、私は先生がどう私を変えてくれたのかはうまく伝えることができなかった。

その人は不思議な人だった、彼が口を開けば世界が再創造されたような気がした。

気づかないうちに私は、新しい人生を生きていたのだから


これは人生を放棄した人が、新しい世界に生きるきっかけになった話である。



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虚構の世界

かつて私は、自分を誰よりも孤独で救いようがない人だと考えていた。

誰かから見れば非常におめでたい話でもあるのだが、当人とっては世界の真実だった。

もちろん、そんな逸脱した主張を聞かせる相手はいない。

聞かせようと思う相手もいなければ、言ったところで誰も私の言葉に真剣に耳を傾けるわけではないのだ。


そう思っては日々、心の隙間に虚無を広げ、私は納得していた。

私は誰よりも、救いようのない人だと。

人が孤独を感じるのは独りぼっちの時ではなく、自分だけの空間が肥大化してしまった時なのだ。

それが一定のラインを越えると、まるでハイリスクハイリターンのギャンブルをしているようなもので、いったい何が起きるか分からない

狂気にかられる人もいれば、危ない使命に目覚める人もいる。

違う世界に繋がりを求める人もいるだろう。

私はそんな数多ある可能性のなかから、珍しい当たりを引き当てたことになる。

なぜ当たりだったのかというと、私は通常あり得ないと思える確変を経験したのだ。

それを引き起こした要因は何だったのだろうかというと、到底説明出来ない。

ラッキーだったとも、縁だったとも、運命だったとも、必然だったとも解釈出来る。

ただ言えるのは、私の虚構の世界が気づかないうちにどこかに消え去っていったということだ。


小さな世界の均衡

その日の1日はいつもと同じ取るに足らない1日になるはずだった。

目覚め、食し、戯れ、再び眠る

14歳の私の毎日はただ、飢えを満たす為の生存本能と、乾きを避ける為の惰性的習慣によって成り立っていた。

眠い瞳をこすりながら制服に袖を通すこともなければ、期末試験に頭を抱えることもせず、未来を見通しては希望と憂鬱が混じりあった一般の14歳とは違うのだ。

私は朝とも、昼とも、夜とも言えない時間に目覚め、

朝食とも、昼食とも、夕食とも、いえない食事を作り、その時にあったテレビゲームで遊んだ。

剣と魔法の世界に興じることもあれば、人類が滅んだ近未来に旅立つこともあったし、異世界の住人との交流が織りなす物語の登場人物になることもあった。

それはもう、微笑ましくも憎らしい、子供の行事とは到底いえない。

起動すれば一定のプログラムを立ち上げ、黙々と作業を行う機械のように、私は誰かが創造した異世界の情報処理を淡々とおこなっていた。

そのような生活を送っているから肉体は相当な体積をなしていた。

鏡を覗き込めば、冬眠前の熊のような身体が映り、頬についた脂肪がもうすぐに視界を塞ぐのではないかと思ったほどだ。

しかし、そんな特徴的な体型より気になるのは”その表情”だ。

四六時中、電磁波を浴びているその顔には一切の光がなかった。

だから私と正面から顔を合わせて話し続ける人など到底いなかった。

話したとしても、”そこに私はいなかった”からだ。


文字通り、私は現実を生きることを拒んでいた。

いま、この時を、感じたくなかったのだ。


「…どうなのかね…」


「…いるのかね?」

その日、私の意識を現実に引き起こしたのはいつもの無秩序な睡眠サイクルではなく、本能が鳴らすアラートだった。

それが小さな世界の秩序が崩る序章だったのだ。


窓外のハイエナ

がやがやと甲高い女性の話声が聞こえる。

どうやらそれは薄いカーテンと窓で仕切られた家の外からから聞こえてくるようだ。

家の外で誰かが会話をしている、それ自体はなんら可笑しいことではない。

けれどその会話は私にとって十分に警戒心を刺激させるものがあった。

問題は会話の内容ではない、”聞こえてくる場所”だ。

その話し声は田舎町のごくありふれた風景を彩るサウンドというよりは、
こっそりと秘密の会合を聞いているような密やかな雰囲気があった。

そう、彼女らは”すぐそこ”にいるのだ。


「こんな近くまできても大丈夫なの?」

声色から一人は隣人のおばさんであることは理解できた。

その事から私は直感的に彼女達の目的を察した。

彼女達は”匂い”に釣られてやってきたのだ。

類い稀な人々がもつ、陰鬱のにおいを

「聞こえていてもどうせ出てこないわよ…」

その予測は虚しくも当たっていた。

私は天敵から身を守る動物のように、出来るだけ自分の気配を押し殺していたのだ。

手足を止め、視線の動きを止め、呼吸すらも止めようとした。

なぜそうする必要があるのか、それは蓄積された経験に基づいたうえでの結論だった。

この場で彼女達と接触したところで、良い未来が訪れることがないことは分かっていたからだ。

「どうせいるんでしょ?」

その声は私に向けられたのか、会話相手に向けられたのか、それとも彼女自身に向けられたものなのか、理解できずにいた。

その後も一言、二言、言葉が発せられた後、少しの間沈黙が訪れた。

話す言葉が見つからないのか、私からの反応がないからなのか、それともその異様な空気に居心地が悪くなったのか

なんにせよ、私にとってその異様な沈黙は警戒心をさらに刺激させた。

今にも彼女達が窓を覗き込み、そっと我が家に侵入してくるかもしれないからだ。

腹を空かせたハイエナの群が獲物にそっと近づいていくように…

変わるもの、変わらないもの

それからどれくらいの沈黙が流れただろうか。

まるで一枚の静止画を眺めている時のように、世界の流れが止まったような気がした。

それは一瞬だったかもしれないし、永遠だったかもしれない。

思考は役に立たなかった。

視野はモノクロとなり、心臓の鼓動の脈動がひしひしと重圧を増していく

蛇に睨まれた蛙とは、おそらくこういう気分なのだろう。

「……おばちゃんら、どないしたん?」

私を現実に呼び戻したのは、聞きなれない声だった。

一定の低みと乾き、そして妙に空に響くその声は,
まるで新しい人種に遭遇したかのような、妙な感覚があった。

「どないしたん、そこの家になんかあるんか?」

凍りついたような空気が広がる。

「…いいや……そのねぇ…」

無音の空間から一転し、ざわざわした雰囲気が漂い始めた。

どうやら彼女達からすれば、”その声の主”の登場は想定外だったらしい。

かすかな物音が聞こえ、その響きは少しずつ離れていく。

「実はここのお宅にね、ずっと家から出てこない男の子がおるんよ。」

どうやら彼女らは家の目の前の道路に移動し、声をかけてきた男性に会話を試みた様子だった。

距離が変われど、その甲高い声から、会話のほとんどの内容を聞き取ることができた。

「もう一年ぐらい顔見てへんし、家からも気配すら感じないんよね。」

「ふーん、そんなやつがおるんか」

関心と無関心が入り混じったような相槌が聞こえる。

「昔はこのお宅も、普通の家やったんやけどねぇ。」

彼女達は不審がられないように、慎重に言葉を選んでいる様子だった。

通りすがりのオオカミを、少しずつ群に引き込もうとしているのだ。
昔から人も動物も、その点において変わらない。

それが大自然のサバンナだろうが、理性と欲望がひしめく社会だろうが、弱いものは淘汰されていくのだ。

「ここのお宅のお母さんがおった頃は、なんの問題のないお宅やったんやけどねぇ。」

その会話は私の中の琴線に触れた。

悲しみ、怒り、憎しみ、みじめさ、不甲斐なさ、

眠らせようとしていたあらゆる感情を呼び戻した。

虚ろと幻想

私が「死」というものを理解したのは12の時だ。

前の宵、おやすみの言葉をかけた人が、翌日の朝、冷たい肉塊と化していたのだ。

その日の朝は不安と驚きが入り混じった姉の騒がしい声で、私は目覚めた。

母の寝室に向かうと、側で眠っていた姉が必死に母を揺り起こそうとしていた。

それらが視野に入るが否や、私はいつもと”なにか”が違っているのが感じられた。

その部屋に漂うものか、あるいは欠けてしまったものが、私に何かを訴ているような気がしたのだ。

ここでなにかが終わり、”なにか”が始まるのだと。

私にとって、それが「死」を理解した瞬間だった。

臨終の宣告も、涙を堪えきれなかった葬儀も、火葬された亡骸との対面も、親族や知人の慰みの言葉も、ただそれらの記憶に付随するものだ。

死は時を止める。

それが身近であればあるほど

翌日の朝も、その翌日も、一ヶ月後も、一年後も

私は朝を迎える度にこう思ったものだ。

また、”いつものような朝”がくるのではないかと

けれどその”いつもの朝”は永遠にこなかった。

ただそこに存在するのは何かが終わって、何かが始まった世界だった。


私も、父も、姉も、新しい世界に必死に生きようとしていた。

父も姉も、欠けてしまったものを必死に埋めようとした。

虚ろに包まれようとしていた世界に光明を見出そうとしていたのだ。

やがて、父と姉は衝突するようになった。

姉は家出と警察沙汰を繰り返したのち、精神病棟に入院した。

父は鬱と持病の糖尿病に日々蝕まれていった。

私は引きこもり、社会から隔離した世界に身を隠した。

私達は新しい世界に適応できなかったのだ。

カルマの種

なぜ人は物事に意味を求めるのだろう。

それが知り得ない、体験したことない、不可思議なものであればあるほど、それらに対してラベルを貼らないと気が済まない。

おそらくそうしないと、心の平穏が保てないのだ。

何事にもおいても、自らの世界に得体の知れない存在がいてはならない。

だから私達も「母の死」に対してそれぞれ独自のラベルを貼った。

父にとってそれは「愛の欠如」だった。

毎晩のように母の仏壇の前で泣き伏せ、慰み物のような酒を飲んだ。

姉にとってそれは「愛の犠牲者」だった。

母の死は父が齎したものだと信じ、狂気に狩られて叫び続けた。

私にとってそれは「愛の加害者」だった。

床に伏せた母に愛をせがみ続け、母の命を縮めたのは私だと信じた。


その新たな愛を何処かに見いだせれば、その世界が歪む前に誰かが気づいていれば、

その盲信を振り払う勇気があれば

私達の生きた世界はまた、変わっていたかもしれない。


それぞれが独自の世界に、独自のタネを蒔き。

行き場のない愛と悲しみを、その地に注ぎ続けた。

芽が咲いた頃には、もう遅かったのだ。


数年の時を経てようやく、それぞれの世界は秩序をかろうじて保っていた。

かつては同じ世界に生きていた筈なのに、私達の距離は少しずつ、確実に遠くなっていた。

寄り添えば寄り添おうとするほど、空いてしまった穴を塞ごうとすればするほど、その虚しさに嘆き、悲しまずにはいられなかったのだ。


「ふーん、それで、それがどないしたん?」

熱心に説明する彼女達の声を遮り、回想に浸りきっていた意識を再び現在に戻したのはあの独特の響きのある男性の声だった。

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