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善と悪

おはようございます!
 
このコラムで安島はなぜ、
メッセージを明確にしないのか?
 
仕事では、明確にしろ
と口を酸っぱくして言うにもかかわらず、
なぜなのかと聞かれました。
 
確かに、
仕事ではお客様からどう考えますか?
と聞かれますので
私なりの考えを明確にしています。
 
しかし、
この場は多数の方を対象としているので、
少し違うと思っています。
 
物事の良し悪し、
そのことにかかわる意見表明は、
とても微妙なものだと思っています。
 
正しいことは毒を含みやすい
と書いたことがありますが、
良いことも、結構危険だと感じます。
 
良いことをする時に、
恥ずかしそうにしているのは
好感が持てます。
心の中で、
自分は良いことをして気持ちが良い
と感じるのもかまいません。
 
しかし、
俺は良いことをしているのだぞ
という雰囲気がその態度に表れると、
どうなのだろう
と感じてしまいます。
 
さらに、
なぜ他の人はそう思わないのか?
他の人もそうするべきだ、
そうしない人は間違っている、
等と言い始めたら、迷惑だなと感じます。
私も気をつけようと思いながら、
時々、度を過ごしてしまいます。
 
だから、良いことだと表現するのは
とても微妙なことだと思うのです。
同じ意味で、
悪いことだと表現することも微妙です。
 
良し悪しということは、どちらであっても
それが近づいてくると、息苦しさ伴います。
どちらも排他性を伴いやすい。
 
良し悪しを善悪と言い換えても
よいかもしれません。
バリ島のバロン劇では、
善のバロンと悪のランダが戦い、
勝負決着つかずに
エンドレスに絡まり合って終演します。
私は、結構、意味深長だと感じます。
 
今日もよろしくお願いします。
 
安島

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