小説『理想の兄』第4回 最終回「黒魔術」

兄貴が逆光で廊下に立っている。今回のネタは難しいな…シルエット…シルエット…シルエットロマンス?大橋純子?
もっとロマンス、私にしかけてきてほしいのか?すまん、無理なもんは無理だからお帰り下さいお願いしま」

いやいや兄貴の仕掛けにのってはいかん。

「ちょ、あのさ、話があるんだけど」

兄の周りにたなびいているのはトイレットペーパーか。業務用の扇風機を持ち込んだのか…?そういえば昔、絵本を読んでいたら、天女が地上に降りて来る場面が出て来た。本から目を上げるとそこには兄がトイレットペーパーをまとって立っている。そして「天女~ひらひら~」と言いながら回り始めた。トイレットペーパーは汚らしく兄の体にまとわりつき、どちらかと言えばミイラ少年が絶命するところに見えた。

兄貴がガラス窓に頭ぶつけたのって、天女事件のとき?忘れたな。

「いやいやトピックをずらしてその場を乗り切ろうとする貴様の姑息な手口はお見通しじゃア!!まやかしを弄するのはやめ、正体を現せい…そりゃっ…白の魔法使いの術を受けてみよ…じゃなくてさあ!!!」

また兄の手にのってしまった。何か薬でももられたのか?俺?

突如音楽が聞こえて我に返った。これは…ニュー・ミュージックの…

♪日没の合図とともに
砂漠に起こる風よ…

松任谷由実のコンサートが始まっていた。子供の頃ビデオで観たような気がする。…別にユーミンは好きじゃなかったが兄が聴いていた。意味もわかんねーくせにさ。でも懐かしい…

イリュージョン 時はかげろう…
光る 砂の色…♪
ソリチュード 一人ではなく
もっと強くなって君を 迎えに行くよ

いやいや、迎えにくんなよ。「時はかげろう」二番が始まりそうだったので兄貴からスマホを奪おうとするが失敗。兄が別の動画を再生しやがった!

びゅおおおお…まだトイレットペーパーはたなびいている。アニメ日本昔ばなしのテーマが流れる。これは…妖怪系のネタだな…蜘蛛の糸でも吐きかけられたらたまらんと、無意識に身構える。市原悦子の声がする。茂作と巳之吉という親子が?この話は…

「雪女ぁ?」

「とうとうお前様は…知ってしまいましたね…そうです私は雪女です…」

「いや雪女って兄さん…男じゃん。俺は猟師じゃないし、ネタが長すぎる。貴様は詰めが甘いッ。見え透いた手管を弄して吾輩を煙に巻こうとしたなッ?そうはさせん。これで貴様も年貢の納め時だァ!名を名乗れぃ」
「私のノリを完璧にマスターしつつあるわね…恐ろしい子!ガーン」(白目)
「ほざけ小童ぁ…所詮人の子がぁ!!!…はっ…キャラと設定がぶれてしまったじゃないかッ!!じゃなくて!!!」

またのってしまった。ひとしきり暴れ、兄貴からスマホを奪い、茶番を停止することに成功した。

「どういうこと…ぜえぜえ」
「雪女じゃないけど、似たようなものじゃない。私も分からない。でも朝言ったじゃん。あんたは私のことも見ようとしないし、自分のことも見ようとしないって」
「何者なんだよ、何しに来たんだ。しかも10年前にも会ったじゃないか。なのに、姉ちゃんが、兄ちゃんは死んだって…お前誰なんだよ」
「ま、いいよ、夜は長いからね。まずはほら、これプレゼント」

あの日、兄が『ポルターガイスト』を実演したせいでぶち壊し、部品が無くなったレゴブロックの家がそこにあった。もうどこを探しても売っていないはずのものが。それから、兄貴が無くしたり壊したりしたミニカーまで。好きだったな。くるま。たかし兄ちゃんも車が好きで取り合いになった。父さんが車好きだったからな。あの頃はいつも喧嘩していた。

「返すよ、今になったけど。でもお金はあんたが出すってのがしょうもないねー私ーあはははー」
「どういうことなのか教えてくれよ」
「うーん…あんたは記憶と引き換えに私を呼んだみたい。私も仕組みはよく分からない。あんた、この前インドの田舎で何かしなかった?」
「何って…」

インドには、田舎町で起きた連続殺人事件についてのドキュメンタリーを撮る友人のアシスタントとして行った。特派員の仕事ではなかった。でも念願かなってのインドの田舎町潜入だったから行ってみたかった。僕は、取材の途中で物乞いに少しお金を渡した。取材クルーたちはやめとけと言っていたが、インドで色々なものをまざまざと目にし、何だか一つくらいいいことをしなければならない気がしていた。要は、インドで人から足元を見られてしまい、気が弱くなって魔が差したのだろう。

「お金を渡したその男が黒魔術師だったのよ」

つまり、あの男は僕の願いを聞き入れ、その願いをかなえる代わりに、僕の記憶を受け取った…。インドでは今でも黒魔術がうっすら信じられている。何らかの願いをかなえるために、魔術師を訪れる人が今でもいる。でもそんな魔術ってありなのか?

「知らないわよそんなこと。憶測だもん」
「俺の願いが兄ちゃんに会うことだって?そんなはずは…」
「想像なんだけど、私が死んだことに関係する記憶を全部差し出して、代わりに私を呼び出したんだろ。その依頼も「死んだ」ってことと関係しているもんだから、頼んだ内容までついでに頂戴しちゃったのかも。商売のやり方テキトーよねーあはははは」

「…会いたくなかったよ…」
「分かるよー。気持ち悪いオネエの兄貴なんか。親からちやほやされて、何も頑張らないのに叱られない兄貴で。忘れ物ばっかりして恥をかかせる兄。まともに職も無い遊び人になってるだろうって?それがたかじにとってのたかし。こんなバカ兄貴なんかいなかったことにしてやるって頑張ったんじゃん。私のおかげで!!!?私、やるわね」
「そんな兄貴なんか…」
「好きじゃなかったんでしょ。知ってるよ、学校の日記にも私のことが大嫌いって書いてて、担任の先生が嗜めていたんだってさ。お母さんに聞いた。あはは、まあ仕方ないよね。大人になっていたとしてもこんな私じゃあねえ」
「でも…兄さんが死んだ記憶なんて、いい思い出じゃないよ。何か差し出すってさ、普通はいい思い出を差し出すんじゃ…」
「あんた…何か隠しているわね…?自分を見なさいよ。何か後ろくらいことがあるんだろう。罪悪感みたいな強い気持ちは、他の魔術にも使えるんだろ。憑き物みたいじゃん。でもさ、いいことがあったら、必ず悪いことがある。楽しく笑っていたら、突然私が何か言って父さんが不機嫌になったり、二人で喧嘩したりしてさ。でも、繋がっているんじゃないの思い出は全部」
「…」
「私は10歳で死んだ。あの火事でね。だから私だって私の10代20代なんて知らない。存在しないんだから。あんたは、私があるとき家を出て一人暮らしをしたっていう風に、記憶のつじつまを合わせたんだよ」
「じゃ、皆、兄貴の話したがらないんじゃなくて…本当に…いなくなっていた…。あ、でも仏壇があったはず…」
「その記憶も差し出したんだろうか。それか本当に覚えていないのかもよ。ひどいわねーちょっとは仏前で手ぇ合わせなさいよー祟るわよ!今ある意味祟ってるね、ぬはは。祟りじゃー。でも今日日の黒魔術はすごいね、さすがIT大国インド。私を復活させるときに、ネット上の色んな情報をAIで分析して、「たかじに必要そうなたかし」を作り上げたみたい。私も知らないことばっかりだよ、自分のこと。花の10代も20代も無かったんだよ。わ、私、だって、そんな時代が欲しかったヨぉ…」

ウソ泣きをする兄。へったくそだな。でも俺もウソ泣き位はするか。あはは。

「でも、兄さん、どうやって10年前に会ったんだよ」
「魔術をなめるんじゃないよ?ずっとずっと、憑いてくる…たかし・フォローズ」
「勘弁してくれよ」
「全部分析して、あんたが一番会いたくなるときを選んで送られたんじゃない。知らんけど。あのとき、あんた近所の側溝みたいに薄暗い顔してたよ。私を見て元気になりたかったんじゃない。見下すなり何なりして。本当にはいなかった、いてもいけなかった、山本家の面々がその名を呼んではならぬあのお方であるたかし兄さんを見てさ。…やっぱりあたしはどぶ川暮らし。あんたを待ってちゃいけない女さ。そうなんだろう、ねえ、あんた…」
「ちあきなおみで煙に巻くなよ…」
「あんた…よく知ってるねえ。ホモぉ、あんた?」
「その言い方やめい!!『疑惑』の山田五十鈴かよッ!…友達にゲイがいるからさ」
「まー私に紹介しなさいよー」
「やだよ」
「私はガイセンっていう設定だから、ドメスティック・ホ…いや、ゲイは話が合わないって思ったのね。気遣いご苦労。苦しゅうないぞ。わらわは…中年以降のスピルバーグとか、中東のテロリストおやじとかインドのジジィ政治家とかがタイプなの…言わないでね誰にも」
「そんなこと聞かされてどうすれば」
「特派員として誰か紹介しなさいよ」
「もっとやだよ」
「あ、ところでね、私はあと1回は送り込まれるよ。多分また10年後なんだけど、よくわかんないってさ。バグが起きているみたい。もーーあんたがうっかりお姉ちゃんと電話して本当のことを思い出しちゃったから」
「俺のせいかよ」
「あんた…思い出したんでしょう。あの日のこと。うちに火事を起こしたの、あんただったって。あああ…また黒魔術が壊れ始めたあ!時間が無いッうがああ…あたしは…もう、ダメ…これで…さよな…ら…会えて…よかっ…た…あり…が…と」
「そ、そんな…そんなはず…俺が火事を…?」

そうだった…僕は庭でよくごみを燃やしていたじゃないか。その火が家に移って…そのせいで兄さんは…。神妙な顔で俺を見つめる兄貴…心なしか兄貴の後ろに後光が差しているような…俺に罪悪感だけ思い出させて恨みを晴らし遂に昇天か…いやいやいや。違うぞ。そんなはずはない。実家で焼却炉買ったのはもっと後だし、家族みんなゴミ焼が好きだったはず。火事になった後なのにゴミ焼きにハマるなんて変な家だと思ったんだ…

「違うよ。兄さんが火遊びしたから火事になったんだよ。小芝居やめろよ。まじで騙されるところだった」
「ちっ、ばれたか。ちょっとからかってみたかっただけーぬはは」
「ひっでーーーーーー兄だなああああああどこまでもさーーーー」

父さんも母さんもみんなも…あんなに泣いていたけど、どこかでほっとしていたんだろうか。俺だって…もう思い出せないけど。絶好のタイミングだった。春休みの宿題一つもやってなかったじゃん、兄さん。春休みは宿題無いんだってって勘違いしててさ。ばっかじゃねえの。

「あのときさ、登校日と勘違いして学校に行って教室にあった竹ひご粉々に折ったんだろ。先生、かんかんだったらしいよ。誰がやったんだって。代わりに疑われて泣かされた子がいたってさ。飼育係で学校来てた子が。かわいそうに。あのまま生きてたら兄さん廊下に立たされるだけじゃすまなかった。

「本当に、まともなところが殆どなかったんだね私。絶妙なタイミングでの退場。お見事だわ。10歳はちょっと若すぎるけどね。あのあとちゃんとした大人になった可能性だってあったのにねえ。でも、唯一の存在意義って、あんたの反面教師になったことで終わっちゃった。いいの…私を永遠に見下してくれて…悪いところがあったらぶっていいのよ…あなた好みの…オネエになりたい…」
「昭和ネタ…その頃お前生まれてねえだろッ80年代しか知らない貴様が何を言うかッ」
「そういう人なの」

絶妙なタイミングでうまいこととんづらこいた挙句、全く反省なくキムチのつけ汁を一緒に浴びる兄貴。ひでぇ。しかしキムチは美味い。

ぷっぷぷっ…

笑いがこみあげて来た。狂気のような、殺人的な、脈絡のない笑いの衝動に襲われ、咳が出た。笑い過ぎて、腰が抜ける。立てない。あひゃはハハハハハ…ひいひいいひいあはははははははは僕の色んな記憶違いや憎しみや優越感や困惑や恋しさ(?まさか!)や劣等感(そんなバカな!)。それも自分ではもう分からないって、僕はバカじゃんただの。おかしくておかしくていつまでも笑っていた。

気がついたら兄は消えていた。レゴの家も消えていた。ミニカーも。キムチはまだ残っていた。大量に(どういう仕組みなんだ黒魔術)。疲れて寝てしまった。

翌朝起きて、冷蔵庫を開けたら、キムチのタッパーの下から1000円札が1枚出て来た。何でここから…さすがは兄だ。AIだか何だか知らんが、ADHDまで御丁寧に作り込むとはお見事だ、インドの黒魔術師よ。

それから10分かけて、部屋の色々なところから、1000円札3枚を探し出した。合計4000円。小芝居して金の無心をしたくせに。僕につまんねー小芝居と乗りツッコミを教え込んだくせに。結局過去のものは取り返せない。おもちゃも、思い出も、自分も。みんな、謎を残して去っていく。

「ちゃんとさあ、返すんだったらまとめて返せよ。何で手間かけるんだよ忙しいのに」

「ばーーーか!!!」

少し大きな声で言ってみた。

「お前なんか生まれて来なきゃよかったのに!!」

怒鳴ってみた。

胸の奥がぐうううっと苦しくなってきて、喉が締め付けられた。目から熱いものが溢れて出て来た。舌で舐めたらしょっぱかった。あとからあとから流れて来た。おいおい泣いた。ばか兄になんか、本物より本物らしい狂った兄の偽物になんか会いたくなかった。自分の心を知りたくなかったのに、兄のせいで知ってしまった。いや、自分のせいなんだ。

僕の優越感を満足させてくれる最低の兄のままでいて欲しかったのに。消された記憶がどんな感情を伴っていたのかもう分からない。結局全て、自分が選んで手にして捨てたんだ。流れていくだけ。あとからあとから、子供の頃のことが、これまでの色んなことが、この数日の茶番が浮かんでくるが、形にならずに消えていく。あの頃はあれしかなかった。今は今しかない。取り戻すことはできない。

こんなに寂しいと思ったことは無かった。

飲みなれない酒を飲み、ひどい二日酔いで寝込んだ。

僕の正気を案じた姉がうちまでやって来た。ことの顛末を一気にまくしたてた。1時間か2時間は話しつづけた。姉は黙ってきいていた。

しばらくして。

「よく分からんけど(むしゃむしゃ)確かにあんたは仏壇のある部屋に入ったことはないと思う。皆、たかしの話はせんやったしね。あんたが勘違いしたままとは思わんやったけど。まだ信じられんわ私は」
「まあ、無理に信じろとは…(もぐもぐ)」
「美味いね、このキムチ。持って帰っていい?」
「(むしゃむしゃ)ご飯にのせて食うと最高だなこれ」
「ほんとほんと止まらない(もぐもぐもぐ)納豆うまいよね。おかわり」
「はいどうぞ(むしゃむしゃ)生卵かけたら絶品」

二人で死ぬほどキムチとご飯と納豆と卵を食べ続けた。たらふく食べて満足した姉は帰って行った。姉が帰った後もふと冷蔵庫を見るとキムチでいっぱいになっている。僕が買っている?食っても食っても減らない不思議な兄のキムチ、兄キムチ。後に、人々は、たかじのことを「キムチ長者」と呼ぶようになったそうです市原悦子」

「先輩、最近小ネタ好きですよね。独り言も多いし。大丈夫ですか」
いかん、職場なのに口から出ていたか。
「そうかな。元々そういう人間だったのかも。俺は」
「面白くなさ過ぎて面白いですよ逆に。おやじギャグとも違うし」
褒められていない。でも悪い気がしなかった。バカ兄の偽物?の記憶はどんどん薄れていくが、小ネタだけは残った。結局こういうのが好きだったのかも。

兄のことを夢に見るような気がする。目覚めると何も思い出せない。でもときどき、涙かよだれか、寝汗か分からない湿った臭気を放つ己の枕の上で目覚めると、寝ぼけた頭の中で声が聞こえる。

「戻って来るよ。お前が呼んだんだから…けけけけけ…アーイル・ビー―――べえええっく」

兄なのか、魔物なのか。聞かなかったことにしよう。どうせ、来るときゃ来るんだから。


おわり。

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