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noteで目指すレベル・正岡子規と寺田寅彦

お前は何様だと言われそうなのだが、noteで書くエッセイというか随筆のレベルを目標として俳人の正岡子規と物理学者の寺田寅彦に置いている。両方とも東京帝国大学を卒業した才人であるのだが、何かを始めるときに目標の人物を決めるくせのある自分には、エッセイというジャンルでは正岡子規と寺田寅彦ということになる。

他に趣味?としている水彩画にしても写真にしても、日本で最高レベルだろうと思える先生方の作品集や教則本を揃えているし、以前は登山家の山野井泰史さんやラインホルト・メスナーの登山紀行も読んでいたから、ハイレベルを意識する癖がついている。これがプレッシャーになるとまずいとは思うのだが、結局自分の目標地点としての目安になっているようで、案外心理的には酷くならない。

この最初からハイレベルを意識する癖もたまに誤解されて「ハイソ趣味」だと言われたり「身の丈に合わない」とか言われがちなのだが、少年期に大学教員だった父を目標に勉強していたり、建築家の安藤忠雄先生やファッションデザイナーの山本耀司さんを目標に、精神科病院退院後の短大受験や短大生活をがんばったりしたから、このハイレベルな人物や作品を基準にする癖は特に自分に悪影響を与えていないようだ。

正岡子規について語ると、心の病で療養生活をしている自分は少し行動範囲が人よりも狭くなりがちだし、収入も限られているので少々我慢を強いられる羽目になる。そういう時に随筆「病牀六尺」や「墨汁一滴」を書いた正岡子規にかなり共感するし、最も憧れの人物である夏目漱石の教え子の寺田寅彦も、最初はそうとは知らずに読んでいたから、夏目漱石も含めたこの三人衆にはよほど縁があるようだ。

夏目漱石のように小説を書くのは無理なので、まずは随筆というかエッセイをnoteに書いているが、最近は「病膏肓に入る」ような感じになってきて、正岡子規に倣って俳句を、寺田寅彦や物理学者の岡潔に影響されて数学の学び直しを始めることにしてしまった。幸いなことに両方ともすんなりスタートを切れそうだから、今後が楽しみ。まさか、一流の俳人や数学者を今から目指すのは無謀というものだから、これは気分を味わうというか人生の充実感を増やすという目的で取り組んでみたい。

とにかく、noteに書いているエッセイも正岡子規と寺田寅彦を目標のレベルにおいて、最低でも10年間は書き続けてみたい。好きな学問の行動遺伝学によると人間の能力発揮は遺伝と環境に影響されるので、結局は生まれつきの文才があるという結論に達する。この考え方に反対の方もいると思うのだが、自分の場合諦めが早いので、自分なりのレベルで随筆を書き続けて、ある程度文章力が向上したなら幸いだと思うくらいなのだ。

駄文も混ざったこの自分のnoteも、どういう文章レベルに達するかは謎なのであるが、「あとは遺伝子のみぞ知る」ということなのであった。


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