目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(2)

<1991年の夏>

 時は26年程さかのぼり、中学3年生だった私は、祖父母の家に帰省して、一日中、海で素潜りをしていた。おそらく多くの昭和世代の男兄弟育ちの次男が同じ経験をしているだろうが、私には運動狂いの3歳上の兄がいて、この兄と行動を共にしていた少年時代は、ほとんど自分の意思など無視されて、完全に主導権、いや支配力を持たれていたので、こう言った磯遊びも基本的にはペースをコントロールされていた。ところが、この時に限って、兄は部活の合宿で忙しく帰省せず、私はここぞとばかりに一人で自由を謳歌し、海に際限なく入って、日焼けをし過ぎてしまった。
 
 数日後から、微熱を繰り返すようになり、両親も私もそれこそ町の医院ですらも、夏風邪だからすぐ治るだろうと、たかをくくっていた。ところが、熱症状は、すぐには治らなかった。良くなったと思ったら、また悪くなり、特に夕方から夜にかけて熱が上がり、朝までだるいので、学校に行く事が困難になってきた。そのうちに、手指の関節が腫れ上がり、お祈りのポーズが出来ないほどに太くなっていった。それは痛みも伴うものだった。

 町の医者は、私たち親子に「関節リウマチかもしれないね」と簡単に説明した。塗り薬を処方されて、指示された通りに使ったが、一向に治る気配は無かった。解決策を求めて、より評判の高い整形外科に病院を変えたが、状況は好転しなかった。そうこうしている内に、季節はまだ秋だと言うのに、夜になると、全身の震えでベッドがガタガタするほどの高熱を出した。もちろん食事は喉を通らず、次第にやせ細り、頭髪は抜けてフケが大量に出た。ひどい腰痛や腹痛にもなり、親にさすって欲しいとお願いした。正にボロボロの状態だった。

 整形外科医は、私のひどい状態を見て、近くに出来た大学病院に紹介状を書いてくれた。その病院は、県内のX大学付属病院から、リウマチの専門医が来て診察をしてくれているという事だった。

 早速予約を取って、大学病院に行くと、そこには膨大な患者が待っており、長時間待たされた間に、私は二度嘔吐した。順番が来て、診察室に入ると、そこには年配の男性医師がいた。私を見るなり、医師は私たちに向かって、「何でもっと早く来なかったんだ!」と声を荒げ気味に言った。不意を突かれて動揺している私たちに構いもせず、医師は、手早く私の体のあちこちを触って確かめて、的確に私の痛む箇所を探し当てた。その時点で、大方の見当がついていて触っているのだろうと言うことは、14歳の私でも察しがついた。医師が母に、即入院となる事を告げて手続きに行かせると、それまでの強張った顔が急にほころび、「辛かっただろう。でももう大丈夫だから」と私に語りかけてくれた。その笑みは、私にとてつもない安堵感を与えてくれた。

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