目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(25)

<2018年2月>

 私の意識混濁状態の時と同様に、妻が許可を得て録音した退院時の医師からの説明を、これもまた退院してから初めて自分で確かめた。そして、その内容は、この様なものだった。

 まず、基本的な歩行や嚥下のリハビリが終わっているということ、長い距離を歩くには、もう少し時間が必要だが、動作の面では、ほぼ日常生活に支障は無いと考えられるという事。
 だが、しかし、脳の炎症の方については、白い影も無くなっていたので断言はできないが、高次脳機能障害という脳障害が残っている可能性が感じられると伝えられた。基本的にやり方が分からないとか、そういう事は無いが、指示が無いと止まってしまう、次に何をすれば良いか自分で考えるなどの判断力の部分に気になる所があるのだという。一方で、それも日常生活に戻って補われていく部分は実際あり、過去に診た同様のケースでも、退院した時と1年後に外来で見かけた時では、まるっきり違って良くなっていたという、言うなればフォローの意味合いの事例紹介も付け加えられた。すなわち、明らかに脳障害の後遺症があるとは言い切れないが、何らかの影響はやはり残っているという診断が下されたのだった。

①高次脳機能障害とは
高次脳機能障害とは、病気や事故などのさまざまな原因で脳が部分的に 損傷されたために、言語・思考・記憶・行為・学習・注意などの知的な機能に障害が起こった状態を指す(図 1)。注意力や集中力の低下、比較的 古い記憶は保たれているのに新しいことが覚えられない、感情や行動の抑制がきかなくなるなどの精神・心理的症状が出現し、周囲の状況に合った適切な行動が選べなくなり、生活に支障をきたすようになる。 

②高次脳機能障害と間違えられやすい状態
高次脳機能障害と間違えられやすい脳の全般的な障害として、せん妄と認知症が挙げられる。
(1)せん妄
せん妄状態とは、軽い意識障害(注意力の散漫となってあらわれる)、 幻覚と運動不穏(落ち着きのなさ)を伴い、落ち着かずに歩き回ったり、 大声で泣いたり怒鳴ったりする状態を指す。高齢者では夜間に増悪することが多く、診断されれば回復可能な状態である。
(2)認知症
認知症とは、「発達期以降に生じた脳障害のために、全般的に知的能力が低下し、日常生活に支障をきたすようになった状態」である。認知症では記憶障害が認められるが、それだけではなく、時間や場所に対する見当識(認識)が障害されてくる。さらに、仕事や日常生活場面で判断を求められると、その判断が適切でなくなってくる。したがって、今 まで行えた仕事を続けられなくなったり、今まで興味があった趣味などに対する関心が失われたりする。

③高次脳機能障害の特徴
高次脳機能障害は前述のように、精神・心理面での障害が中心となる。 したがって、以下の 3 つの特徴がある。
1)外見上は障害が目立たない。 2)本人自身も、障害を十分に認識できていないことがある。 3)障害は診察場面や入院生活よりも、在宅での日常生活、特に社会活動場面(職場、学校、買い物、役所や銀行の手続き、交通機関の利用など) で出現しやすいため、医療スタッフに見落とされやすい。

出展:高次脳機能障害について−東京都医師会

 その歳40にして、簡単な計算や書き取りすら出来なくなった私を見て、そう診断されたことは、ごく真っ当な見解だったと私も思う。

 これに対して、妻や義母は、落胆の色を帯びた声色で、自分たちも私と話していると、こんな状況、つまり自分の名前も書けない様な深刻な状況なのに、本人が何も心配していなさそうな所が、逆に心配だとこぼした。
 医師も同様の感じを受けたと話し、大人が考える常識というか理性の部分で普通は心配に思う様な所がない、ある意味、子供の様な純粋無垢な、怖いもの知らずな様子、心配が無いのが心配というのは有ると説明した。ただ一方でリハビリ指導者に対しては、色々な話をしている様だという状況判断からも、ものすごく深刻なレベルかと言うと、そこまでの状態には陥ってない気がするとも補足した。

 「、、、本人、車も早く運転したいって言っ てるんですが」

 医師は、即座にそれは禁止しなければならないと答えた。そして、医師自身の口から、運転は再開しないように伝えると話した。運転のリハビリは、退院後に別のリハビリセンターに通い、そこで適切な診断をして貰った方が良いとも付け加えた。何しろ脳の事なので、外からは分かりにくく、何かあってからでは遅いので、専門的な所できちんと判断してもらう必要があると言った。

 私の脳に後遺症があり、可能性と言えども、直球で障害という言葉を用いて伝えられたことは、妻や義母にとっては、まさに人生の岐路に立たされた瞬間だったに違いない。”走馬灯の様に”とは、命の危機に際して使われる様々な記憶のフラッシュバックを指す表現だが、きっと2人はその時、医師を目の前にしながら、私の事はともかく、育児、生活資金などの将来への不安、そして突如訪れた悲運の人生を、妻は当事者として、義母はそういう境遇に陥る事になる娘を想う親として、頭の中で思い浮かべ、それは積乱雲が高く高くせり上がるように、ぐるぐると回りながら巨大化して行ったことだろう。それこそ走馬灯の様にエンドレスに。

 丁度この日、忙しい仕事の合間を縫って、休みの日には私の見舞いに来てくれていた親友Kから妻に連絡があった。退院日が決まった様で良かったと、わざわざ祝いのLINEを届けてくれたのだ。妻は医師から説明を受けた内容を要約して話し、相談に乗ってもらった。私の言動からも、高次脳機能障害の特徴として思い当たる節があることや、周りにもどう説明して良いか悩むということ、周りからも見えにくい障害である事から、もし本当に後遺症が残ったままなら、友人達と普通に交流させて良いのかどうかも分からないと話した。
 対して、Kは、まずはあの危機的な状態から、ある程度の事が自力で出来るようになったのは喜ばしい事だと、前向きな言葉をかけて、妻の視界を開けさせた。そして、それまでの病院での治療を中心とした生活から現実的な家での生活にシフトすると、今度は家庭内の問題としてしまい、中々人に相談できずに抱え込みがちになる事への注意喚起をしてくれた。周りに話すことの大切さや、それこそ私自身が、一緒に悩んだり考えたりしたい筈だとも、妻に伝えてくれた。

 妻は、私の回帰を素直に手放しで喜べていない、後ろ向きな自分を責めながらも、現実の重圧に押しつぶされそうで苦しむ自分を支えてくれるKや家族、周囲の人々への感謝を表した。

 結局、この重要な一連の状況説明を、私自身が妻からも医師からも、事細かく説明されることはなく、「運転は危ないからやめてくださいね」という、私からすれば、単に暫くしていないし、体力も落ちているからという理由で忠告されたに過ぎないものと片付けられた。

〜次章〜焦り


ありがとうございます!この様な情報を真に必要とされている方に届けて頂ければ幸いです。