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原田宗典著「十九、二十」

この本と出会ったのは高校一年の夏、「ATOM」という地元の中古本屋でのことだった。
夏の盛りでムラムラしていた僕は「東京大学物語」が欲しくて必死に自転車を漕いでその本屋へ行き、まずは「僕は文士なのです」みたいな顔をしながら小説コーナーへ立ち寄り、徐々に徐々に青年漫画コーナーへ移動し、エロの頭角を現すという戦法を取っていた。

小説コーナーでふらふら目線を彷徨わせていると、「原田宗典」という著者名に目が止まった。
中学時代、僕が生まれて初めてまともに読んだ小説「海の短編集」の著者だった。
海の短編集とは言ってもその物語の中には夏の陽射しのような恋模様、甘酸っぱい儚さなど皆無で、物語は海をベースに短い文なのにどれも怠くて苦いようなものばかりだった。
しかし、僕にとっては何の引っ掛かりもなくすんなり読めた初めての小説でもあった。

止まった目線の先には「十九、二十」と本のタイトルがある。本の裏を見てみると、こんなあらすじが載っていた。

『僕は今十九歳で、あと数週間で二十歳になる――父が借金を作った。ガールフレンドにはフラれた。せめて帰省の電車賃だけでも稼ごうとバイトを探したが、見つかったのはエロ本専門の出版社だった。岡山から東京に出て来て暮らす大学生、山崎の十代最後の夏は実にさえない夏だった。大人の入口で父の挫折を目にし、とまどう青年の宙ぶらりんで曖昧な時を描く青洲小説。』

これが僕が十六歳の夏に出会った、夏の物語である。

あらすじを読む限り何ともトホホで運に恵まれない少年だったり、時に青年だったりする年頃の主人公の青春物語……を想像した。
そして無性に読みたくなって、確か椎名誠の「白い手」と一緒に買って帰ったのを覚えている。
エロを求めて本屋へ行ったものの、買って帰ったものはエロ本専門出版社が舞台の小説だったが、まぁいいかと気を取り直して家に帰り、早速読んでみた。

で、夕方には読み終えていた。
読み終えた感想は、間違いなく「虚」だった。
何の救いもなく、未来もなく、そして唯一の答えになりそうな分かりやすい絶望さえもなかった。
どんな話しか問われたら、「不幸な話し」としか言いようがないけれど、そんなたった一言じゃ済まないような……という感覚だ。

読後当時の僕が大人の世界の片鱗すら知らなかったというのも大きいかもしれないが、とにかく僕の頭の想像力を超えた虚無感にまるごと呑まれてしまったのである。

主人公は帰省代を稼ぐために出版社でアルバイトを始める。
出版社とは言っても従業員はたった三人。
サングラスをかけ、かなりぶっきらぼうな「根子谷」社長。黒くてガリガリでカリントウのような、そして実に頭の足らなそうな事務員の「アッコ」という女。そして、関西弁を話す自称「京大中退」の美津野という喧しい男。

根子谷が写真を撮り、自社で出版している法律ギリギリ、若しくはアウトなエロ本を都内のお得意さんへ卸す(配達)のが主人公の仕事なのだが、この物語が始まってから終わりを迎えるまではわずか数週間の出来事なのだ。
その短い間に、なんとも言えない不幸や不運、因果が濃縮されている。

詳細を書くことは控えるけれど、会話のトーンだったり気まずい空気感、そして物語全体に流れている風の通りが悪く一日中蒸した六畳間のような、むわっとしていて気怠い感じが読んでいる間、僕にとっては心地がよかった。
環境的に不運や不幸でいること、心が貧しい自分を許されている気持ちになったのだ。

抗えぬ大きな壁に立ち向かうタイプの主人公ではないし、むしろ抗えぬ大きな渦に呑まれているのに、水に沈む瞬間まで渦中にいることに気付く余裕さえ持てない主人公なのも、とても好感が持てた。

主人公の父が借金取りに追われているので、そのうち主人公のもとにも借金取りから手紙が届くようになる。
とても好きな行なのでちょこっと抜粋する。

『告。おまえの父親は犯罪者だ。貸した金を期限までに返済しないばかりか、電話一本よこさない 略 即刻、元金〇〇円及び利子〇〇円を返済せよ。必ず返せ。息子のおまえからも意見しろ。さもなくば当方は、東京まで出向く心づもりもある。即刻返せ』

 今回のは非常に簡潔で迫力ある文章だ。なかなかこうは書けないだろう。今までに来た中でも、一、二を争う名文だ。
「たいへんよくできました……」
 呟きながらクシャクシャに丸め、窓外の闇に向かって投げ棄てる。しばらくそのまま生ぬるい布団の上に座り込んでいると、今読んだ文章が断片的に浮かんでは消える。


と、まぁなんとも遣る瀬無いのである。
主人公は当然、焦って父に借金を返すように促したり自分が肩代わりしようなんてことはしない。
それどころか、借金取りが送って来た文面を読んで評価をつけ、窓の外に放り投げるほどに慣れ切っており、疲れ切っている。
布団の上に座り込んでみると、頭に文面に書かれていた文言が浮かぶ辺りに、崩壊同然とはいえ、父との家族の縁が断ち切れないことも伺える。

〇〇が起きた→悩む→解決するプロセス→解決した!

というのが小説教室なんかでもセオリーとして紹介されている。
この小説には一見そんなものは皆無であるし、読んでいるうちにセオリーなんてクソ食らえ!!とも思えて来るから不思議だ。
しかしながら大きな枠ではなくて、文の構成なんかで見たらそれはもう巧妙で頑健で素晴らしく美しい骨組みであることは読めば分かると思う。

何処にも救いがなくて、初っ端から不幸の不連続で始まり、終始救いがなく、若者らしく汗を掻くシーンと言えばエロ本をせっせと運ぶくらいなもんなのであるが文章が巧みなのでサクサク読めてしまう。
サクサク読んで、急に終わって、あれ? と顔を上げたら知らない場所に居た……ここ、どこだ? という感覚に陥る。

青春とはなにか? 汗を掻くことだ! もちろん恋よ! 力いっぱい叫ぶことさ! などなど様々あるだろうが、この小説は僕に教えてくれた。
青春とはなにか? それは、抗えないことだと。

抗わないのは大人のやり方、やる事だろう。
しかし、抗えないというのは大人でも子供でもない、宙ぶらりんな時期特有のものなのかもしれない。
状況の理解は出来ている。しかし、何も出来ないのだ。

この小説は何度も買い直していて、去年も買い直している。
十九、二十という年齢が僕にもあって、今思い出してみればそれはそれは目も当てられないほどに程に鈍く、単純で、そして複雑なことがシンプルに複雑だと思えていた時代だった。
今はもう十九、二十をもう一度繰り返した年齢になった。
すると今は主人公や家族から目を背け続け、不貞寝をしつつ家族から責められるたびに「だって、俺働くとこないもの」と拗ねたような口調で言う父親の方に実感が伴ったりする。

これからさらに倍の歳を重ねた時に、この物語を読んで僕は何を感じるのかが楽しみだったりしている。
文の中に住む、怠い夏の空気や匂いや気配をまだ感じることが出来るだろうか。
この作品の中にある纏わりつくような熱気にやられたから、今の僕は小説を書いているんだろうなぁと感じたりもしている。

最後に何か大きな山場を迎えてみんなでハッピーエンド!な小説では全くないし、勝ち負けや善悪!や答えが欲しい!という方向けの小説ではないと思いますが、淀から沢山のものを掬い取って感じるのには最高の作品だと僕は思ってます。

人生で一番大きな影響を受けた作家なので、僕の分は原田宗典先生の模倣だし、なんならパクりであると豪語する。
意識しないで書いていたって、絶対に滲み出る色というのはある。
それは深く深く、自分の手ですら届かない場所に存在している。

ではまた。

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