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このままでは、たぶん年内に死ぬ…(『僕は、死なない。』第8話)

全身末期がんから生還してわかった
人生に奇跡を起こすサレンダーの法則


8 運気を上げろ


 翌日の16日、掛川医師が作ってくれたセカンドオピニオンに必要な僕の画像データを妻が受け取りにいくことになり、妻を車で駅まで送った。改札へと向かう妻の後ろ姿を眺めながら車を発進させたときだった。

 バリバリバリッ!

 大きな音とともに、車が揺れた。

 慌てて右側を見ると、なんと、別の車とぶつかっている。

 しまった? ぶつかった?

 相手の人も困惑した表情で車から降りてきた。

「すいません」

 おそらく、状況から見て100%僕が悪い。

「いえ、でも、困りましたねー」相手の人がいたって穏やかで冷静だったことが救いだった。

 駅前の交番からお巡りさんもやってきた。僕は急いで保険会社に連絡を入れ、事故の処理をお願いした。

 そういえば、2016年は本当についていない年だった。

 年明け、最初のボクシングジムの練習で選手のパンチを受け損なって指を骨折。

 その2週間後には人生で2度目のぎっくり腰に。

 さらにその3週間後には10年以上かかっていなかったインフルエンザに罹患してダウン。

 3月には健康診断で不整脈が見つかり、9月に手術することに。

 4月には自宅マンションの駐車場で、僕が妻と一緒に車に乗り込むとき突風が吹き、運転席と助手席の両方のドアが風にあおられて猛然と開き、左右に止まっていた車のドアを破損させてしまった。左右の車に被害を出したので、2事故扱い。

 5月にはボクシングの試合で確実に「勝ったな」と思った試合が負けと判定され、超落ち込む。

 8月にがんが見つかり、9月はそれがステージ4。

 そして、今日の事故。今年で3件目の事故だ。今まで一度も事故なんて起こしたことがなかったのに。

 このままでは今年、僕の命はもたないかもしれない。いや、この流れから行くと、多分年内に死ぬ……。

 僕は自分が3カ月後に生きていることが想像できなかった。

 9月17日から19日まで、予約をしていた自強法のワークショップに出かけた。このワークショップには妻も連れていくことにした。僕以上に妻が疲れているように感じたことと、少しでも一緒に何かを体験したかったからだ。

「おはようございます、今日は妻も連れてきました」

「おお、よくいらっしゃいました。さ、中に入ってください。その後、体調はどうですか?」

 トキさんは静かに言った。

「体調は変わらず元気なのですが、ちょっといろいろあって疲れてます」

「そうですか、自強法は疲れも取れますから、なおさらいいですよ」

 トキさんが自強法について説明をしてくれた。

「自強法のコツは、徹底的に力を抜いて、身体の持つ自然のリズムと動きに身を任せることです。身体は自らを治そうと、自然に動き始めます。自然治癒力として自動運動というものを行なうのです」

「自動運動ですか?」

「ええ、身体のゆがみ、傷や病気、そういったものを修正しようと本能が身体の動きを調整するのです。身体が動き始めたら、その動きを判断したり分析したりしないで、そのまま身を任せてください。それが自強法です」

 トキさんの指導に従って、毛布を敷いた部屋に妻と2人で横になった。

 しばらくすると身体が微妙に動き始めた。背骨を中心にゆらゆらと揺らいでいる。僕はその動きに身を任せた。しばらく動いていると、今度は首が回り始めた。ゆっくり右へ……次は左へ……。それが終わると太ももが貧乏ゆすりのようにゆさゆさと動き始める。いろいろな場所が次々にその部位独特のリズムと大きさで動いていった。

 胸がゆっくりと動いていたときだった。へその下のほう、いわゆる丹田と言われている場所がビクビクと渦を巻いたように震え、それが頭まで登ってきた。

 うわっ、なんだこれ。

 それはその1回だけで終わったが、僕はその感覚が忘れられなかった。

「午前中はこのくらいにしましょう」

 トキさんの言葉で午前のワークが終わった。気づくとあっという間に3時間以上経っていた。

「どうだった?」昼食を食べながら妻に聞くと、

「うん、寝ちゃった」妻ははにかむように笑った。

「いいんですよ、寝ても。身体は自らがそのとき一番要求していることを行ないますから。ゆっくり休息することも、とても大事なことなんです」

 そうか、妻はパートで働きながら僕の野菜ジュースを作ったり、面倒くさい食事を料理したり、治療の心配をしたりして、本当に疲れていたんだな。僕は彼女の献身的な毎日に改めて感謝をした。

 僕と妻はその日の午後も含め、19日まで丸3日間、この不思議なワークを行なった。身体がすっきりして、細胞自体のエネルギーレベルが上がった気がした。

「これは、やり方さえ体得すればお家でもできます。毎日でもやってください」トキさんはにこやかに言った。

 最終日、全てのワークが終わってお茶を飲んでいるときだった。世間話をしているうちにトキさんが不思議なことを語り出した。

「奇門遁甲ってご存知ですか?」

「ええ、確か三国志で諸葛孔明がやってたやつですよね」

「そうです。実はあれ、私もできるんです」

「えっ? トキさん、できるんですか? というか、そんな簡単にできるものなんですか?」

「ええ、まあ簡単ではないですが、不思議なご縁で私も先生に習いましてね」トキさんはニヤリと笑った。それは今までの自強法の指導者ではなく、怪しい世界への案内人のようだった。

「奇門遁甲とは、ある計算に基づいて算出された方位に基づく、占術なのです」

「つまり、どういうことなのですか?」

「具体的な願いがありますよね、その願いを祈願した木の杭を、決められた日時に決められた方角に打ち込むという儀式なのですよ」

「木の杭を打ち込む……」とても不思議な感じがした。

「今までも不思議なことがたくさん起こりました。つぶれそうな会社がいきなり融資を受けられたり、受かるはずもない大学に補欠で受かってしまったり。そうですね、そういうことが起こる確率は、私の経験だとおおよそ……7割」トキさんがにやりと笑った。

 7割……抗がん剤よりよっぽど確率が高いじゃないか。

「がんにも効きますかね?」僕は即座に聞いた。

「がんですか? うーん、それは今までやったことがないですね。今までは経営とか受験とか、そういう分野ばっかりで……。一つ言えることは、その人の運気を大幅に上げる可能性がある、ということです」

「運気……」

 そう言えば今年の運気は最悪だ。指の骨折から始まって3日前にも車をぶつけたばっかりだ。もしかして、これやったほうがいいのかも。

「運気が上がりますかね?」

「そうですね……」

 トキさんは何やら薄汚れた小冊子を引き出しから引っぱり出して、ペラペラとめくり始めた。そしてカレンダーとつき合わせて計算を始めた。しばらくすると振り向いてこう言った。

「ちょうど来月に運気が来ますね。いろいろなエネルギーがありますが、来月は地遁がありますね」

「できるんですね」

「ええ、まあ」

「じゃあ、お願いします。僕は今年はホントについてなくて、このままだと年内に死にそうな気がするんです。どうにかして運気を上げたいと思ってたんです」

「そうなんですか、わかりました。では、やりましょう」トキさんはうなずいた。

 奇門遁甲は11日後、10月1日に決行することになった。

 よし、これで運気を上げてがんも消してやるぞ! 僕は心の中でガッツポーズをした。

次回、「9 死神」へ続く



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