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おいらのいのちは、君のいのちの一部になるんだよ。おいらのいのちと君のいのちが一緒になるんだ。「さとりをひらいた犬/ほんとうの自分に出会う物語」無料公開/第6話

主人に仕える勇敢な猟犬・ジョンが主人や仲間から離れ、「ほんとうの自分」「ほんとうの自由」を探しに、伝説の聖地・ハイランドを目指す物語。旅の途中、多くの冒険、いくつもの困難を乗り越えながら、仲間や師との出会いを通じて、聖地・ハイランドに導かれていく。そして、ついにハイランドへの到達を果たすことになるのだが、そこでジョンが見た景色とは…。

【第6話】


 森を抜け、僕はご主人様や仲間の声が聞こえないところで止まった。


 「やった。やったぞ」


 ついに、ほんとうの自分への第一歩を踏み出したんだ。


 深呼吸を、してみる。


 冷たい朝の空気気が、鼻孔を冷たく流れ、肺に張り込んでくる。
 ああ、なんて気持ちがいいんだろう。
 新鮮な森の精気が、僕の体を満たしていくようだ。


 なんだろう? 何か違うぞ…


 濃密な森の匂い、さわさわと流れる木々の音、きらめく太陽の光…


このあたりの森は熟知していた。どこにどんな木があり、どこに小川が流れていて、どこに獲物の通り道や住処があるか…。今までの僕にとって森は仕事場でしかなかった。でも、いま僕を包んでいる森は、まるで違っていた。

そう、頭の中にあった地図が、いきなりありありといのちになって目の前に現れたみたいだった。


 そう、ここは良く知っている森だけど、初めての場所みたいだ…
 森って、こんなに美しかったんだ…


 太陽の光がキラキラとはじけるように輝いている。小鳥のさえずりが音楽のように心地よく響き、木々や草たちの香りが僕の心を包み込む。今、僕は森を感じ、森と一体になっていた。


 「これがダルシャの言っていた『自由』なのか…?」


 束縛を離れた自由、誰の命令も、誰の指示も、誰からの評価もされない自由、それは解放だ。なんの役割も、なんの役務も、なんの義務もない…そう、僕は自由だ!


 「自由って、最高だ!」
 微笑みながら独り言をつぶやいた。


 「さて、北だ、北に行こう!」
方向は分かっていた。僕は北に向かって歩き始めたが、ふと立ち止まった。


 「まずいな…」


ベレン山に行く途中、北の谷を通らなければならない…


 北の谷はあの『ガルドス』がおさめていた場所だった。あの屈強なイノシシ、無敵の岩のような『ガルドス』…。僕は『ガルドス』の鋼鉄のような筋肉と巨大斧のような牙を思い出して身震いをした。僕のしっぽの半分は、ガルドスと戦ったとき、食いちぎられてどこかに行ってしまった。


 あそこは危ないな


 ガルドスはその猛々しい気性と優れた統率力でイノシシのみならず、他の動物たちをも統治し、皆の尊敬を一心に集めていた存在だった。
 僕たちがご主人さまと一緒にガルドスと戦って、激闘の末に倒した光景は多くの動物たちが目撃していたことだろう。しかも、ガルドスにトドメを刺したのは他ならない僕だった。北の谷では、僕は尊敬する主を討った“憎き敵”なんだ。


 でも、ベレン山には行く道は他には無いし…
 いまの僕は仲間もいない、ひとりぼっちだ。注意深く、用心深く、警戒しながら進むしかない。


見つかったら、終わりだ…。


 さっきの幸福感はどこかに飛んでいってしまった。僕は、抜け目なく周囲を窺いながら歩き始めた。


 しばらく歩くと、急に空腹感を感じた。
 そういえば、朝から何も食べていなかったっけ…
 今朝の朝食も食べる気にならず、口をつけなかった。
 食べとけばよかったかな…


 ハリーの言った通りかもしれない。決まった時間に決まった場所でご飯が食べられるというのはなんて楽だったんだろう。これからは自分で食べ物を見つけなければならないんだ。


 果たして、僕にそれが出来るだろうか?
 このまま、獲物が獲れなかったら、どうしよう 
 飢え死にしたら、どうしよう


 そう考えると、僕の胸は不安でいっぱいになった。
 もしかして、ダルシャの言っていたことを真に受けて、うかつなことをしてしまったんではないだろうか? 心の中に早くも後悔に似た気持ちが湧いてきた。


 しかし、自分で何とかするしかない。そう、もう自分でやるしかないんだ。
 そう、自由って、そういうもんなんだ。


 僕は自分を奮い立たせるようにブルブルッとかぶりを振ってから、周囲を見渡し、必死になって獣道をさがしはじめた。
 一時間ほど探したころだろうか。小動物の獣道を見つけた。僕はそこで待ち伏せをすることにした。身を隠し、気配を消してさらに一時間、その獣道に灰色のウサギがやってきた。


 僕は飛びかかれる距離まで用心深く待った。ウサギはそれとは知らずに、トコトコと近づいて来る。僕はパッと飛び掛り、首筋にガブリと噛み付いた。ぐっとあごに力を加えると、ぽたぽたと生暖かいものが口から地面に滴り落ちた。ジタバタ動いていたウサギは、しばらくすると観念したようにおとなしくなった。僕はゆっくりと口を開いてウサギを地面に落とした。


 僕は生まれて初めて自分が生きるために、自分で食べるために、命を奪った。


 僕は思わず、ウサギに向かって言った。
 「すまない、でも、君を食べないと、僕が死んでしまうんだ」


 ウサギはつぶっていた目をびっくりしたように開け、苦しそうに話した。


 「はっ、これは変わった奴だ。どのみちおいらを食べるんだろう? ま、いいんだ。気にするな。おいらはここで死ぬ。そして君に食べられる。きっとこれは決まっていたことなんだろう。おいらのいのちは、君のいのちの一部になるんだよ。おいらのいのちと君のいのちが一緒になるんだ。君もそのうち死ぬだろう、そして誰かに食べられる。この世界は、そうやってつながっているのさ。そういうふうに出来てんのさ。つながっていないのは人間のやつらだけだ。君が人間の手先じゃなかったのが、唯一の救いさ。さあ、ひと思いにやってくれ」
 そう言うと、目をつぶった。


 そんなこと、考えたこともなかった。食べたものと一緒になる。いのちが一緒になる。身体は死んでも、いのちは続いていく…。じゃあ、僕が今まで食べてきたものは、いったい何だったんだ? 今まで殺してきた獲物たちは、いったい何だったんだ?


 僕はウサギにトドメを刺し、食べ始めた。食べているうちに熱いものが胸の奥から湧きあがってきた。この世界はみんなつながっているんだ。いのちという大きなつながり、大きな流れなんだ。僕も、このウサギも、みんな、みんな、つながっているんだ…。


 「ありがとう…ありがとう…」


 ぽたぽたと涙が流れ落ちてきた。涙で目が曇って、前が見えなくなった。
 僕の一部になったウサギのためにも、僕はしっかりと生きていかなきゃいけない。それがウサギのいのちに対する責任だ。生きるということは、いのちに対して責任を果たすことなのかもしれない。
 僕は、決意も新たに歩き始めた。


 夜になる頃、やっと北の谷へさしかかった。
 暗くなったら危ない。明るくなってから北の谷へ入ろう。


 気配を隠せる場所をきょろきょろと探すと、せり出した大きな岩と、茂った枝葉で身を隠せるちょうどいい場所を見つけた。


 よし、今晩はここで一休みだ。
 僕はすぐ、ぐっすりと眠りに落ちていった。

第7話へ続く。

僕の肺癌ステージ4からの生還体験記も、よろしければ。


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