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論文紹介 弱者のエスカレーションも戦略として合理性があるかもしれない

国際政治では強者が弱者に対して主導権を握っているというイメージがあります。そのため、ある地域で紛争が発生した際に、そこでエスカレーションを進めるかどうかを決めることができるのは、強者の方であって弱者ではないと考えられています。その軍事的衝突が地域戦争へとエスカレートした場合、苦しい立場に置かれるのは軍事的能力が劣る方であるため、この考え方がまったくの間違いであるというわけではありません。しかし、現実の世界では弱者が強者に対してエスカレーションを選択する場合があります。一部の研究者はそのような選択を非合理なものと見なすのではなく、合理的なものとして捉えて分析する必要があると主張しています。

Angstrom, J., & Petersson, M. (2019). Weak party escalation: An underestimated strategy for small states?. Journal of Strategic Studies, 42(2), 282-300. https://doi.org/10.1080/01402390.2018.1559154

先ほど述べた通り、弱小な勢力は軍事的紛争で強大な勢力に対抗することが困難であるため、エスカレーションを避けることが合理的であるはずです。研究者の多くはこの前提を受け入れて考察を進めているため、時折発生する弱者のエスカレーションについては情報の不完全さや指導者の誤認といった要因から非合理的なものとして説明する恐れがあります。

著者らは弱小な勢力があえてエスカレーションを進めることでしか利益を追求できない場合があるのではないかと指摘し、第二次世界大戦が進行中だった1941年にフィンランドの事例を取り上げています。フィンランドは1941年にソビエトに対して武力攻撃を開始しましたが、当時のフィンランドの戦力の規模はソビエトの7分の1にすぎませんでした(継続戦争)。このような事象を説明するようなエスカレーションの研究は十分に行われていないと著者らは指摘しています。

国際政治学では、安全保障のジレンマとしてエスカレーションを理解することが多いのですが、これは双方の行為主体が望むかどうかにかかわらず、それぞれが安全を追求した結果としてエスカレーションが発生することを想定しています。戦略理論の研究では、エスカレーションを軍事活動の規模や範囲を意図的に変化させる操作として理解します。つまり、国際政治学で安全保障のジレンマを前提に置いたエスカレーションは当事者に制御できない状況と想定されますが、戦略研究はそのような想定をとりません。著者らも、こちらの立場に沿って議論します。ただし、エスカレーションを進めた結果として相手が譲歩するのか、あるいは軍事的に抵抗してくるのかを予め知ることはできないと主張しているので、エスカレーション管理には常に不確かさがつきまとっていることは認めています。

著者らの定義では、エスカレーションは「暴力の水準を引き上げ、種類を変更し、地理的な制約を変えること」と見なされます(p. 289)。そして、著しく勢力比が不利な弱者であっても、環境によっては強者に対してエスカレーションを選択することが有利であると考えられる場合があることを指摘しています。まず、同盟関係、友好関係にある国家が応援に駆け付けることが信頼できるのであれば、弱者であっても強者に対してエスカレーションを行うことに利益を見出すことができます。先に挙げたフィンランドの例はこれに該当するものでした。正式な同盟関係にはなかったものの、当時のフィンランドの外交政策は枢軸国との関係を重視していたためです。1941年にドイツが仕掛けた独ソ戦でソビエトの軍事力が低下した隙に、1939年の冬戦争でソビエトに奪われた領土を回復しようとしました。このような種類のエスカレーションは、対外政策の一種であり、勝ち馬に乗ることで自国の勢力拡大を図るバンドワゴニング(bandwagoning)にも近いと指摘されています(p. 290)。

これだけでなく、自国が優位を持つ作戦領域に相手を引き込むことを狙ったエスカレーションも合理的な戦略としてあり得ると著者らは論じています。外国の支援が期待できない状況で優勢な敵に対抗するには、戦争の範囲や性質を自国が優位に立てるように限定することが重要です。このように武力紛争の範囲を限定する戦略を著者らはコンパートメント化(compartmentalization)と呼んでいます。

特定の作戦領域に武力紛争をコンパートメント化できれば、相手に対して自らが何らかの優位に立ちながら限定戦争を遂行できるはずなので、これはチャンスを拡大することに繋がります。しかし、コンパートメント化が行えるような優位性がどの領域にもない場合も考えられるでしょう。その場合、大きな危険を覚悟の上で、新たな援助国を獲得するため、武力紛争のエスカレーションを進めることが選択肢として浮上します。この戦略では、相手に過剰な暴力を行使させることが重視されています。この場合、エスカレーションは過剰な暴力の被害者となることで、追加の支援を引き出す手段となり得ます。

外国の支援を見込むことができず、また一切の優位を確立することができない場合は弱者にとって状況は絶望的であるように思われます。しかし、このような場合であっても、弱者は手強い勢力であるという評判を長期的に構築するため、エスカレーションを選択することに利益を見出すことが考えられます。これは短期的な利益が見込めない戦略行動ですが、将来において手強い相手であるという有利な評判を獲得することに繋がるかもしれません。このような利益を追求する場合、弱者は自らに何の優位がないことを覚悟した上でエスカレーションを行うかもしれません。

著者らは、これら4種類の弱者によるエスカレーションを非合理的な選択肢として排除するのではなく、それぞれの選択肢を戦略的なものとして分析対象とすることを呼び掛けています。このような戦略は一般的に考えられているよりも幅広く使われている可能性があり、国際政治の歴史で大国ではない勢力がどのような手段で生き残りを図ってきたのかを理解する上で重要な視点を与えてくれるものになると考えられています。

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